フウイヌム

 ガリヴァー旅行記においてフウイヌムの国民は呑気にもヤフーが干戈を使えるようになれば内戦を始めるだろうなどと言っている。これは文明国民の典型的な平和気質を象徴している描写である。ヤフーが組織的戦闘を行いえないという楽観である。だが現実は違う。ヤフーあるいはヤフーの如き蛮族は、たとえ武器を創造する力はなくとも、それを戦略的・戦術的に使用する力は持っているのである。そう、一度使い方を覚えてしまえば、である。戦闘の知性は永遠に動物的で野蛮であり、そうであるが故に発達するという真理を、フウイヌムの国民は見もらしている。そして、もしヤフーが武器を持ったら真っ先にフウイヌムの国民が滅ぼされることになるということも。
 現代世界はこれとまったく同じことが起きている。最も野蛮で猛悪な国民性や人種性を持つ組織や集団が、高度な兵器を手に入れることが出来るような現状があり、また最も高度な形、つまり敵と見做している存在に対して「高度」な形で損害を与えているのである。そしていわゆる文明的で民主的な国民は、この連中の攻撃に対する有効な反撃も防御を皆目見出すことが出来ていない。

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