純粋政治哲学

 純粋政治哲学の徴表は、その政治概念が治者と被治者という関係性において措定されるということにある。これは、国家主権の受任者が決定されるための闘争ないし合議の関係性と同定される。そして、その哲学の基本概念は、政治が国家を構成するというものである。ここには当然、歴史的、具体的事象は捨象されている。つまり、個々の人間の社会的属性は、彼が治者か被治者かという二元論において構成されるのである。
 この理論的構造が我々に教えるところ最も重大な点は、政治哲学は国家に対する把捉を相対的にしか行わないということである。哲学、法学、歴史学、経済学、宗教学・・・・、これらの学が国家の価値を規定するような形で、政治哲学も国家の価値を規定するのであり、それは言いかえれば、現実の国家の本質を規定することを、政治哲学が意図しているわけではないということである。なぜならば、諸国家においては治者・被治者関係においてのみ、国家が存立しているわけでないことは自明であり、その関係は状況や局面に応じて数や関係の数、そしてそれらの質が変化するからである。そして、何よりも、政治哲学における国家主権の概念は、現実の国家における主権の概念とかならずしも合致するものではないということを考えなければならない。というのも、現実においては、国家主権の概念は治者・被治者関係において規定されるだけではなく、国家と国家との関係という次元においても規定されるし、また自国のある時代と別の時代という関係においても規定され得るものだからである。国家と国家における主権概念においては、治者・被治者関係は捨象される。そしてある時代と別の時代の関係において主権概念に含有されるのは、国家の不変的同一性のみである。
 純粋政治哲学は、国家の政治的構造をそれ独自の概念を使って整形する学であり、国家の目的や意義を義解するものではないし、いわんや国家と国家の差別性を規定するものではない。

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