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アイデンティティの確立とバウンダリー(自他の境界線)の関係を考える



学びはまだ深めきれていないのだけれど…

私が感じていることを語ってみようと思う…




自分軸を持つことや、自分と他者の区別って、

どうやったらできるの?


人間の尊厳、人格の尊重

子、親、妻、夫、友人、他者、社会という関係…


考えることがたくさんありすぎて…

頭が混乱する……


何を守り、何を優先したらいい?


わからない……悩んでしまう……

そのように感じる人はたくさんいるのだろう…


過干渉、過保護、虐待、いじめ、引きこもり、パワハラ、夫婦関係…

さまざまに起こっている問題の根源は、


アイデンティティの不安定さ…


そう感じてならない……


個人、役割、社会というさまざまにある境界線を、

超える、越えさせる、遠ざける、重ねる…


そんな、あやふやなバウンダリーとなって現れる


そう思うのだ…




イメージするならば…


確立されたアイデンティティとは、
一つにまとまった自分が、
綺麗な円を描いているようなもの


円の大きさは、自分の評価的なイメージ
小さ過ぎず、大き過ぎず…

円の輪郭は、自分を守るバリアのイメージ
薄過ぎず、ぶ厚過ぎず…

円の形は、自分の歪みのイメージ
デコボコやギザギザと歪んでおらず、
整った、すっきりした円…

円の数は、自分のまとまりのイメージ
自分を構成する要素(ポジティブ、ネガティブ、理想、現実など)
それらが分離して散らばって存在しているのではなく、
一つにまとまり、統合されているか…



私は、このように、

人のアイデンティティの形をイメージする…




これらのどこかに、

自分の課題を持っている…


つまり、

自分が苦手となっているもの

自分が弱いと感じているもの


自分のアイデンティティを保つために

無理してしまっているもの


それがどこかにあって、

あやふやで、不安定なバウンダリーとなって


現れているように思う…




自分の描くアイデンティティの綺麗な円とは、


コンパスのように正確に描けるような、

そんな機械的な綺麗な円ではない…


私たちは、心を持った人間であり、

正確で綺麗で、完璧な円を描けるわけではないのだ…


正確で綺麗に整った、完璧な模型のような歯並びの人がいないように、

正確で綺麗に整った、完璧な模型のような骨の並びの人がいないように、


正確で、綺麗で、完璧なものなどは、ない…

一人一人違い、

どこかしら修繕があるものだ…


一定に保たれはするけれども、

時間の流れとともに、変化していく…


そのようなものと思う…




自分の持っているアイデンティティの円は、

どのようなものなのか…


自分に問えば、自ずとわかる…


気づいていないならば…

気づこうとしないのであれば…


何も変わらないまま…

また、どこかで同じ壁に何度もぶつかる…




子どもとぶつかる、

夫婦でぶつかる、

他人とぶつかる、

仕事でぶつかる、

社会でぶつかる、

人生にぶつかる、


自分の思うようにいかない…



壁にぶつかる時とは、

自分の課題にぶつかっている時…


そういうことなのだと思う…



困っていることとは、

周りで起きている出来事のように感じるが…

本質的には、自分の中にあるもの!


自分のあやふやなアイデンティティの不安定さが、

さまざまな場面で、困りごととなって現れている…


そのように感じる…




なので、することはたった一つ…

自分についてだけ…


私の考えは、いつもここに辿り着く……




子どもが…

親が…

夫が…

妻が…

仕事が…

社会が…

人間関係が…


いろいろなあるけれど…


わかることは、

自分のことだけだ!



自分の中の課題と向き合うこと

ただ、それだけなのだと思う…




他者からの強い圧力や攻撃を受けているようなことがある、

もちろん、そのような場合もあるけれど…


そのように、

他者を侵入させているのは…

自分に他ならない…


自分があやふやで不安定であるため、

侵入を自分で止めることができていない…


自分の真の感覚をわからない…

それに気がついていない…


また、

自分が他者に侵入しすぎていることも、

自分で気がついていない…


相手を自分の思い通りにしようとしたり、

自分の理想に相手を重ね

相手をコントロールし支配しようとする


自分の真の感覚がわからない…

自分を飛び越えて、他者に侵入している…



また、他者を頑丈な厚い壁で塞ぐことも、

自分の真の感覚をわからないため、

頑丈に自分を覆う…




自分の真の感覚がわからない…

自分についても

自分の立ち位置も

自分の役割も


あやふやで、歪で、不安定…



なので…

バウンダリー(自他の境界線)が
わからないでいる



それはそう!

なぜなら、

自分の真の感覚というものが、わかっていない

真の自己を
知覚することができていないため…


アイデンティティの確立も、

バウンダリー(自他の境界線)を引くことも、

自分軸を持てることも、

自他の区別がつくことも、


真の自己を知覚すること!


ここなのだ!


知覚は、刺激に対して意味づけを行う過程

知覚とは、知覚とは、感覚器官への物理化学刺激を通じてもたらされた情報をもとに、外界の対象の性質、形態、関係および身体内部の状態を把握するはたらきのこと。
<引用元:脳科学辞典、https://bsd.neuroinf.jp/wiki/知覚#cite_note-ref2-1>


私たちは、見えているものを知覚した上で、

それが何なのか、判断したり解釈したりして、認知をしている…


「熱い」「重い」と知覚し、

「熱いのは何故か?」「重いから手を離そう」と判断や解釈をする



私たちは、目に見えているものは、知覚しやすいが、

心のように、見えないものを知覚することは、難しいのだと思う…


一つの出来事に対して、

外側に見えているものを知覚するものと、

自分の中の見えない心を知覚するものと、

同時に2つの情報を受け取っているが…


見えているものに引っ張られてしまうことで、

自分の心の知覚が見失われ…

自分の真の心を解釈する、認知することがなされずに

行方不明になるのだろう…


真の自分の心を知覚し

認知すること


ここがとても大切な部分だ!


それは、

自分を大事にするということと同義!


だから、

アサーションという
相互尊重もできるのだろう


全ては、自分…


もちろん 環境の影響もあること


皆、完璧ではない…


壁にぶつかる
その時に


真の自分を知覚できるか

認知できるか!


アイデンティティを安定し
確立する時には

自分への問い直し、自分崩しが行われる…


試行錯誤しながら模索し、形成する


「自分とは何か」

「本当の自分は何者なのか」


それなしに、アイデンティティは生まれない…


心のもっとも深いところで自己肯定し、
自分を取り巻く世界を肯定する!

「自分は大丈夫だ」

「他人を、周りの世界を信じても大丈夫だ」


そんな皮膚感覚のような「信頼」


自分で自分をコントロールする「自律性」


それまでの身体的、知的、情緒的成長をもとに、

なんでも自分でやっていこうとする「自主性」


こつこつと頑張れば物事が達成できる「勤勉性」


これらが、アイデンティティ(同一性)となる


「自分はどんな人間か、どのように生きようか」


に結びついていく…

これは、フロイトの心理・性的発達説を基盤とした、
エリクソンの8つの発達段階、心理・社会的発達漸成説と呼ばれるもの


不安定な自分を乗り越えた先…

ある適度は、確固たる自分自身ができてこそ、


自分とは感じ方も考え方も違う他者と

真の意味での、親密な関係を作ることができる!


心理学的な観点では、そのように考えられている…



アイデンティティの確立は、

とても大きな意味を成す…


人は、

「自分はここに所属し、こんな風に生きていく」

確信を持って進みながら、

「別の道もあるのではないか」

「本当にこのまま進んでいいのだろうか」


そんな、余地やゆとりを持って、

進んだり、立ち止まったり、

自分の人生の道を歩いていくものなのだ…



子、親、他者という前に

自分なのだろう…



手付かずだった、アイデンティティの確立について、
自分の考えをまとめられたのも、
素敵なnoterさん、とのむらのりこさんのおかげです✨


「親と子の、尊厳と線引き」「繊細さんにとっての自尊心」
このようなテーマをいただいたからだ!

テーマに沿ったものではないけれど…
私の中では、繋がるものがあるように感じている

のりこさん、素敵な機会をありがとうございました❗️✨❤️



参考文献
『グラフィック性格心理学』戸田まり、サトウタツヤ、伊藤美奈子共著、サイエンス社




・・お読みいただきありがとうございます・・





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