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心を受け止めてもらうということ


先週、喉の痛みがあり、母の面会を控えた1週間。
母の調子も体温調節が難しい様子。
再び、自分の中に眠る複雑な感情が呼び戻されていた。

自分を尊重することに苦しさを強く感じてしまう自分。
感情移入が強く働いてしまい、自分を肯定していけない。
今まで母が私に発していた言葉の数々。
自分を大切にしたい自分の気持ち。
周りがいうほど簡単ではない自分。

傷ついてきた自分、思いやりたい自分、罪悪感を払拭できない自分。

さまざまな感情が次々に入れ替わり、感情の波に揺れる。
自分一人で、この状態でいることが苦しくて、
自分の状態を理解してもらいたいと思う人へ吐露した。




この複雑な自分の中にあるものは、
誰に語っても、同じようにわかるものではない。

それはわかっている。

それでも、今自分はそのような状態にあり、
ちょっとしんどいんだ……。
それを少しだけでもわかってもらいたい。


はじめは皆、当たり前すぎることをいう。

自分を責めない方がいい
あまり考えすぎない方がいい
みんなそう感じてる
それを切り替えてやっている
みんな同じだよ


励ましの言葉とわかるけれど、
さらに心が痛めつけられる……


した方がよいことも
他の人たちがしていることも
自分ができていないことも

そんなことは
自分でもよくわかっている。

わかっていても、
勝手に体に刺激され、
勝手に体が反応し、
勝手に感情が湧き上がり、
自分でそうなりたくて、そうなっているわけではないのだ。

自分だって、こんな風に翻弄されたくはない。


そう、自分の中で起こっているものを伝える。


他の時にはできても、
母の時だけは、どうにもならなくなる時がある。
皆と同じといかないものがあるのだ。


ここまで伝え、やっと少し感じ取ってくれ、

わかった!


この一言に、
(私はあなたの今ある状態を理解し受け止めた!了解した!)

それを感じた。

もしかしたら、それは、
私が自分の中で起こっている状態を言葉にし、
伝えたあとだったからかもしれないが、

文字のやり取りの中でもニュアンスが伝わる。


同じものを一旦互いに抱え持った感覚。


私の状態を理解したよ!(受け止めました!)


ここで一瞬、見えない区切り、
空気が変わったのを感じた。

言い分を受け止めてもらえ、心の中には、
理解してもらえた……理解してもらえた……理解してもらえた……

静かに繰り返される言葉と余韻があった。




受け止めてくれたあとには、
今度は、相手の言い分だ。

全部をわかることはできないけれど、
そのような姿を見ていると、
何もできない自分がいるから、
こっちも申し訳なく思い、罪悪感を感じてくるから。


私に、冷静さが戻り、相手の視点に気づかされる。

そうか、自分が感じている思いのように、
まわりにいる人も、この私の姿を見て、
私が感じている思いと同じような思いになるのだ。

私自身が、周りを悲しませていることをしていたのだな。

自分の湧き起こるものに翻弄している間には、
気づけないところだ。


まわりにいる人を悲しませたくはない。
自分自身も悲しませることをしたくない。

正気が徐々に戻ってくる。

ありがとう!

私の状態を理解してくれて✨

全てはそこから。




その後、少し正気を取り戻せ、
喉の痛みもとれた私は、
母とも安定した気持ちで面会できた。

今回の母に起こった出来事、
事務的な作業も終え、ひと段落して落ち着いた。

母の微熱、自分の不調、
気が緩み、少し心が乱れたようだ。

度々、流れ込む、
長い歴史からくるもの。

なかなかに手強いが、
今は、こうやって味方がいる。

今までこのように
理解して、受け止めてもらえたと感じることが
とても少なかった……。

私の抱え持つ困難さ。

友達とは、互いを受け止め合える関係が作れるのに……。

身近な人、家族や恋人のような、
とても近くにいて、一番理解してもらいたい人に、
なかなか伝わらないという経験。

応答性と言ったらいいのだろうか……

自分の状態を伝えても、
わかってもらえずにいた日々、
とても悲しい思いを何度もしてきた。

今は、身近にいる理解してもらいたいと思う人たちも、
誠意を向けてくれ、真剣に耳を傾けてくれ、
味方になってくれていると感じられる。


私の衰弱を、目に見えてから……


どこか、私はしっかりしていて強くて大丈夫と
なんでもできると
無意識に思われてしまっていたのではなかろうか……

私は周りが思っているほど
強い人間ではなく、
自分の中の弱さや苦手さもたくさんあって、
自分自身でも、それをとても感じてわかっているのに、

誰もそのことを理解してくれない、
真剣に取り合ってくれない、
できると思われ、ろくに取り扱ってくれない。

そんな風にずっと感じてきて……

私の困難さは、まわりからは目に見えにくく、
わかりにくかったようだ……

また、近いがゆえに甘えもあったろう。
そして、私の方こそ、甘えたかったのだ。

身近なところには、それをわかってもらえず……


その人のもつイメージや印象
そんなバイアスにも引っかかる

そのことに気づき、

若い頃から、弱さもできないことも
敢えて前面に出し、
意識しアピールするようにしてきた。

わかってもらえなかった経験からの知恵。

だから、友達とは対等な関係を多く築けてきたように思う。


身近な人の方が、互いに甘え合戦で、
そしていつも負けてしまう……

家の中、家族との関わりは、
私のさまざまなものが影響していて、
一層気づかれにくい環境であったのかもしれない……




話があちこちと飛んでしまったが、
私が経験したことや感じたことをヒントに、
そのいろいろなところへ目を向けて、考えてもらえたら嬉しい。

理解する(受け止める)という対話について、
自分の状態を言葉にする大切さ、
心の傷を抱えている人の気持ちや状態、
見えているものだけでなく、目に見えないものを見ようとすること、
できていると高い水準に合わせて見ていることがあるということ、
愛着形成は大事だということ、
味方がいることの安心感、
そのままを受け止めてもらうと、心が緩まるということ、


心に寄り添い、心で語り合う

心を受け止めてもらった、今の私は、
自然体のいつもの心地よい自分を感じられている。

翻弄して周りへ迷惑をかけたと、申し訳なく思うでもなく、
無理をしてよい方向へ軌道修正しようと思うでもなく、
やり取りによって、自然に自分へと戻っていく。

私は心を受け止めてもらえただけて、
心が解け、心が緩み、心に優しさが注がれていった。

今の自分とは、
全てを受け入れ(まるで気にならなくなる)
母について揺さぶられずにいられる(淡々とできる)
安定した心を持てている。
母に起こった出来事の前後の自分がつながったような、
その前の自分と今の自分が、同一直線上にあり、
本来の自分に戻って、再びその自分を歩んでいるという感覚。
そのくらい、心が整理された自分を感じている。


私の経験の言葉が
誰かの気づきの種になりますように……


長文になりましたが、お読みいただきありがとうございます。


〜心を受け止めた先にあるもの〜



・・お読みいただきありがとうございます・・

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