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エッセイのようなもの

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日々のうれしかったこと、悲しかったこと。
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#夫婦

完結話 無職だった私が婚活で主人と会い17年間の結婚生活を送っている話⑦

完結話 無職だった私が婚活で主人と会い17年間の結婚生活を送っている話⑦

かつて海外に住んでいた母は、インターネットを通じて娘が知り合った男性との出会いに最初は困惑しましたが、帰国時にその男性に会ったところ、彼の緊張とシンプルな人柄に心を動かされ、結婚を快く許しました。

しかし、父はどれだけ待っても夫(当時婚約者)に会おうとはしませんでした。

私は父のお気に入りの娘であり、私の結婚に対する彼の抵抗は、おそらく私がまだ結婚していない姉との比較、そして難病を抱える私の将

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無職だった私が婚活で主人と会い17年間の結婚生活を送っている話④

無職だった私が婚活で主人と会い17年間の結婚生活を送っている話④

私たちの関係がプラトニックなままであった理由は、交際を始めた初期に私が「結婚まではプラトニックな関係を保ちたい」と伝えたからです。

私たちの最終目標が共に結婚にあるという認識が一致していたため、この約束は私たち双方にとって問題ではありませんでした。

交際を始めてから約一年が経過したある日、夫は私をディズニーシーに連れて行きました。そこでジャズバーでのんびりと音楽を聴いていると、彼は婚約指輪が入

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無職だった私が婚活で主人と会い17年間の結婚生活を送っている話③

無職だった私が婚活で主人と会い17年間の結婚生活を送っている話③

私たちの関係は順調に発展していきました。当時、私は28歳で、夫は30歳でした。彼は実家に住んでいたため、金銭的にはかなり余裕があり、彼は私を様々な場所に連れて行ってくれました。私たちの世代では、男性がデートの費用を全額支払うことは珍しいことではありませんでした。

私たちはディズニーランドへ行ったり、箱根で美術館を巡ったり、一泊の温泉旅行を楽しんだりしました。横浜でのディナークルーズ、新宿でのショ

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無職だった私が婚活で主人と会い17年間の結婚生活を送っている話 余談

無職だった私が婚活で主人と会い17年間の結婚生活を送っている話 余談

いい話だと感じている読者の方もいらっしゃるでしょうが、婚活中に「顔がタイプではない」「オシャレではないから嫌だ」と断る人もいることでしょう。

正直なところ、私自身、最初は夫に男性としての魅力を感じませんでした。

東京の美術短期大学でファッションデザインを専攻し、表参道に本社を構えるアパレル会社に勤めて新宿のデパートで洋服販売していた私にとって、自分をスタイリングすることは重要でした。

夫は運

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夫、妻に自分の料理の味を変えられるショック

夫、妻に自分の料理の味を変えられるショック

我が家では私が料理を担当しています。SNSで、「夫が自分の作った料理を一口食べた後、味を変えた。もう夫とは献立別にする」と怒っている投稿を見ました。新婚の頃の私も、同じように怒っていたことを思い出し、ほほえましくなりました。自分の作った料理の味を変えられると、私も悲しかったものです。

しかし、よく考えてみれば、お互いにそれぞれの育った家庭の味に慣れているのですよね。夫や妻に自分の味を押し付けるの

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無言の中に咲く、小さな幸せ

無言の中に咲く、小さな幸せ

最近になって、私は自分が持っているものに対して感謝できるようになりました。

以前は、私はないものねだりをしていたように思います。実際、私が持っていた幸せのカードが他の人よりも少なかった時代がありましたが、その後カードが増えてからも、ないものねだりの癖が抜けませんでした。

例えば、私が一緒に暮らしている夫は、人とのコミュニケーションが苦手です。彼は、「ありがとう」や「ごめんね」といった、私が当た

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明日はきっと。向田邦子風エッセイ

明日はきっと。向田邦子風エッセイ

今日は、何とも言えない憂鬱な日でした。人との関わりは、時に難しく、言うべきことを言うのも一苦労。言った後は、相手の気持ちを思うと、心がずっしりと重くなります。そして、予定通りに進まないことが二つ三つ。生きていると、こういう日もあるものです。

でも、夕飯の支度をしている時、ふと孤独だった頃を思い出しました。今は、帰る家族がいる。それだけで、私は幸せだと感じます。明日はきっと、もっと良い日になる。そ

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