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風雷の門と氷炎の扉 最終回

フウマは目を閉じた暗闇の中でこの世界の異変を味わっていた。
死を覚悟してここへやってきたフウマは現在さほど大きな恐怖は無い。

『大地が…揺れている…私はウリュに全てを飲み込まれて…あの馬鹿者が…そうだ…ヒョウエ…お前に謝らなければならんな…』

真っ赤に光り輝くウリュの瞳を見た瞬間、フウマの身体が硬直しウリュに手ごめにされてしまったのだ。

『あぁ…意識が遠のく…死ぬ事は覚悟していたが…せめて最後に私が生きた世界を見たい…』

フウマは固く閉ざされた目を渾身の力で開くと、真っ赤に染まった天が視界に入った。
フウマはウリュに手ごめにされて絶頂を迎えた後、何と仰向けのまま大地と一体化し始めていた。
仰向けになったフウマは身体の半分以上脈打つ肉の大地と一体化してしまっている。
フウマはその状態になっている事を知る事が出来ない。

『く、首が動かせん…?か、身体も…?馬鹿な…ウ、ウリュは?…あの愚か者に…一言…クックソ!身体が…』

ニュチニュチと粘着物資が身体に深く入り込んでいくような不快な音が身体が動かせないフウマの耳に入り込む。

『ぐ?ぐぁあ!!一体何だ!?何なんだぁ!?』

音だけではなく物理的な何かが確実に耳の奥の奥へと入り込んでいるのをフウマは感じた。
耳だけではない。
全身を締め付ける感覚と、全身の皮膚に何かが癒着し、浸潤していく感覚がチクチクと鋭い痛みとなってフウマを襲った。
死を覚悟していたとはいえ予想もつかない未来と、予想していない苦痛にフウマは絶望的な恐怖を感じ始めた。

『ぐぁああ!』

バツンッ!

恐怖がフウマの全身に隈なく広がったその時、身体の中で鼓膜が弾け飛ぶ感覚が響き渡る。

「…シミダネェ…シミ…」

「…ル…ルネ…ガン…ルネ」

フウマの奪われたはずの聴覚に不思議な声が聞こえてくる。
断片的にしか聞き取れないが、自分達と同じ言葉という事は確かだ。
その声はフウマを優しく包み、何故か痛みと恐怖が緩和された。
痛みと恐怖の次にフウマを襲ったのは強烈な眠気だった。

『クッ…何だ?何を話している?か、身体が動かない…あぁ…眠い…眠すぎる…ね、眠りたくない…きっと…眠ったら終わりだ…眠りたくない…眠りたくない…死…死とは…』

肉の大地が目の中に侵食しようとしたところでフウマは恐怖で目を閉ざした。
そして瞼に肉の大地の感触と重力を感じながら永遠の暗闇へと落ちて行く。
遂にフウマの身体は遂に脈打つ肉の大地に全て飲み込まれてしまった。
フウマの視界は全て黒く染まり、不思議な声も聞こえない。
静寂を超え、無音と呼べる状況の中、フウマの意識は薄れていく。

『こうして…身体が動かせない恐怖の中で…眠りにつく事こそ…死…死なのか…死とは…こうして…ね…む…り…………あぁ…何も考えられ…………』

・・・

『暗い…何も見えない…何も聞こえないわ…私…フウマ様と…それから…どうしたんだっけ…。』

ウリュも暗闇の中でこの世界の異変を味わっていた。

『お父様…お母様…も…ここへ…?』

ウリュの心にはなぜか両親の懐かしい声が響き渡った。
身体は動かせず、何も見えず、何も聞こえない。
それもそのはずである。
ウリュはフウマより一足早く肉の大地に全身を飲み込まれていたのだ。
その状況でウリュの心の中は両親との思い出とその声で満たされていた。

『私を置いて…置いていってしまった…え…?何…?』

ウリュは脈打つ肉の大地とは別の鼓動を身体に感じた。

ドクン…トクッ…ドンッ…ドクン…トクッ…ドンッ…

『私の鼓動じゃない…だ、誰…?力強く…温かい…一体…』

そのドンッという鼓動は身動きの取れないウリュへと近付いてくる。

ドンッ…ドンッ…ドンッ!…ドンッ!!

『あぁ温かい…気持ちいいな…気持ちいい…気持ちいい音…とても…』

ドンッ!!!

気持ちの良さにうっとりしているウリュの身体に軽い衝撃が走った。
その軽い衝撃は、力強さの中にも温かさがあり、そしてどこか励ましているような、進めと肩に手を置き、後押しをしてくれているような優しい衝撃だった。

『あぁ…ありがとう…』

ウリュは心で泣いた。
心の中は涙で溢れかえっている。

『あぁ…私は…私は行きます…ごめんなさい…そして…ありがとう…』

ドクンドクンドクンドクンドクンドクン…

ウリュの身体の中心で温かく、新しい鼓動が脈打ち始めた。

『あぁ…皆…ありがとう…何か…分かってきた…。ごめんね、皆…でも行かなきゃ…呼ばれているんだもの…次の世界へ…本当にごめんなさい…私達のこの世界は…』

ウリュは内なる意識に全てを見た。
ウリュを飲み込んだ肉の大地が見せてくれたのかもしれない。
自分達が存在した世界、自分達の存在、赤い空とそれを見た時に芽生えた衝動、ゼータへの殺意、そして呼ばれた声の正体へと辿り着く。

『私のせいで…』

ウリュの心は決まっていた。
何にも代わりは許されないという衝動は止める事は出来ない。
それは全て決まっている、全てが予定されていた事、そうウリュは納得しながらこの世界に別れを告げた。

『この世界は…』

ウリュの頭の中は思い出で満たされていた。
この世界、恵まれた戦神の家に生まれ、両親から愛され、逞しく育ち、フウマの元で戦いを学び、フウマとの別れを経験し、そしてその傍らにはいつもヒョウエが微笑んでいた。
その思い出が詰まった世界は




『滅びる…』

・・・

「うわぁ!?な、何だぁ!?」

「た、助けてくれぇえ!」

「ぎゃああああ!!」

「ヒィッ!キャアアアア!!」

「ぐぁあ!」

門の外では異変が最高潮となり、村人達に襲いかかった。
大地震が止んだ後、その大地は門の中と同じ肉の大地と化し始めたのだ。
気味が悪く、しなるような音を立てて強固な大地は肉の大地へと変化していく。
そして肉の大地は村人達をフウマやウリュと同じように飲み込んでいく。
しかし、よく見ると様子が違う。
フウマやウリュは肉の大地にそのまま侵食され、飲み込まれていったが、門の外では肉の大地が人間を下から噛み砕くようにして飲み込んでいるのだ。
肉の大地は激しくうねりながら、獣の口となり人を噛み砕き、次々と飲み込んでいく。

バリッ!!
バキキッ!
ボリボリ…

歯ごたえのある果実をかじるような音と、悲鳴がこの世界を包んでいく。

「痛い!痛い!止めろ止めろ!!」

「ぎゃあ!痛い痛い痛い痛い痛いいだいいいやだぁあああ!!いだぁいいだいいだぁいいあひぃ!!」

「ぐぁあ!!」

「クッ!くそぉっ!!この子だけは!この子だけはやらんぞ!!ライリだけはやらん!化け物め!!お前らに…!ぐぁ…あ…」

天に両手を向け、その両手にスヤスヤと眠る乳飲み子を乗せた父親らしき男がバリバリと音を立てて足元から飲み込まれていく。

「キュッ…あ…」

その男が首まで飲み込まれ、力の抜けた声が出たところで、その手の平は下へ向かい垂れ落ちた。
乳飲み子が肉の大地に落ちようとしたその時、今度は母親らしき女性が肉の大地の襲撃を躱しつつ何処からか走って来てその乳飲み子を拾い上げた。

「あなた!!あなたぁ!!あなた!ライリ!!おいで!ライリ!」

肉の大地は情け容赦が無い。
母親らしき女性も足元から噛み砕かれていく。

「ライリ!ライリぃ!!ライリギリギギギガガガガ…グッ…」

母親らしき女性は痛みと絶望にプルプルと痙攣し始め、口から血泡を噴き始めた。
しかしその手から乳飲み子を離そうとはしない。

「ヒギギギィ…」

上腹部まで噛み砕かれた母親らしき女性は血涙が溢れたと同時に目を見開いたまま、そして乳飲み子を抱えたまま絶命し、乳飲み子と共に全身を噛み砕かれて飲み込まれていった。
ブーク、バー、モーン等の獣、その獣達が住む森や泉、小高い丘、全て例外なく肉の大地に飲み込まれていく。
ウリュの生家ももちろん例外ではない。
バキバキと音を上げ、まるでシュレッダーにかけられたように粉塵を上げながら飲み込まれていく。
何世代にも渡り積み重ねてきた書物もこれで役目を終える。
世界が終わるのだ。
書物などもう何の意味も無い。
歴史、思考、進化、繋がり、そしてそれぞれの役目、役割を生命と共に肉の大地は食い尽くしていく。
やがて悲鳴や、何かが壊れる音がしなくなっていく。
同時に肉の大地がうねる音もしなくなる。
いつの間にか脈打つ音すら消えている。
完全無音、それはこの世界が終わった事を意味した。
ここは、この世界は何だったのだろうか。
意味はあったのだろうか。
意味があったとするなら一体何の為だったのだろうか。
耳鳴りすら存在しない、全てが終わったこの世界でそれを知る者は誰もいない。

・・・

『私…何しているんだろ…』

『死んでるの…?生きているの?』

『分からないけど…温かさだけは感じる…』

『温かいなぁ…気持ちいい…』

『あぁでも皆に謝りたい…』

『私のわがままで皆が…』

『こうなる事は分かってたはずなのに…』

『自分を止められなかった…』

『結局、お父様にもお母様にも会えなかったしなぁ…』

『お父様、お母様…死んじゃったのかなぁ…』

『あぁ…でも本当にここは温かい…』

『アハハ…何だか眠たくなってきちゃった…眠たい…眠っちゃお…フフッ温かくて気持ちいい…』

・・・

・・・

・・・

ハアハア…

ハアハア…

『な、な…に…何よ…だ、誰?』

ハアハア…

ハアハア…

『せっかく気持ちよく眠ってたのに…うぅ…ん…』

ハアハア…

『誰…何よ…』



「ンアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

・・・

『はっ!?何!?』

『何の声!?え!?音!?声!?』

『え!?何!?』

『嫌だ!寒い!寒いよ!何で!?いきなり何で!寒い寒い寒い!』

『えっ!?』

『私!』

『生きている!!!!????』

『生きているの!?』

・・・





ウリュは自分が生きている事を知り、思い切り目に力を入れるが中々その目が開かない。

『何!?え!?寒いよ!寒い!さっきまで火の前みたいに温かったのに!』

ウリュは渾身の力を瞼に込めるとその目は僅かに開いた。
本当に少しだけ目を開いた。
視界も僅かだがはっきりとその世界の全貌がウリュに伝わった。

『な、何ここ?あ、明るい?眩しい!え!?ヒョ、ヒョウエ!?どうしたの!?何よ、その格好!アハハハ!あぁでも元気だったのね!良かった!本当に良かった!ヒョウエ!ヒョウエ!ヒョウエだ!』

白い服にその身を包んだヒョウエが、額に汗を浮かべてウリュに向かい微笑んでいる。
ニカッというあの笑顔は間違いなくヒョウエだ。
ウリュはその笑顔を見て心から安心した。
あの時の凶暴化したヒョウエではない。
いつも優しく、いつもウリュの味方だった、少し頼りないあのヒョウエだ。

『あれ!?ク、クウリ!?クウリ!!大丈夫だったの!?クウリ!ごめんね!ごめんなさい!私のせいで…』

ヒョウエの隣に同じく白い服にその身を包んだクウリが微笑んでいる。

『…お母様…。お母様だ…』

次の瞬間ウリュの目の前に、ウリュの母親の顔が飛び込んできた。

『お父様も…お父様もいる…お父様…』

辺りを見回すと、ウリュの父親が微笑んでいるのが見える。

『み、みんな!私よ!!ウリュよ!!ヒョウエ!!クウリ!!私よ!お父様!お母様!ウリュです!ウリュはここにいます!こ、声が出ない!何で!?どうしてよ!!みんな!皆に伝えたい!!ありがとうとごめんなさいとそれからそれから…!ありがとうって!ありがとうって!何で声が出ないのよ!うぁああああああ!!みんなぁ!!みんなぁ!!気付いてよ!!みんなぁ!!』

ウリュは何も出来ないもどかしさで遂に声を上げて泣いてしまった。



・・・


「ハッハッハ!!おぉ!凄い元気な泣き声だ!よく頑張ったね!!」

「ハァハァ!ハァハァ!先生、ありがとうございます!ハァハァハァハァ」

「ほらっ!お母さん!元気な女の子よ!本当に元気な声ね!すんごい元気!」

「ハァハァ!ハァハァ!か、看護師さん…も…あ、ありがとうございました!あ、あなた…」

「フフッ…あ、ありがとうな…お疲れ様…ママ…」

「こ、こちらこそ…あ…ありがとう…パパ…」

「タハハ…俺が…パパか…」

『お父様…パパって…何よ…何の事?……お父様ぁ…ヒック…うぅ…うぅわぁん!お父様ぁ!!ウリュはここに…うわぁ!』

「おっほぉ!いやいや…こりゃぁマジで元気だなぁ!」

「ハァハァ…あなたそっくりじゃない…ハァハァ…」

『お母様…お母様ぁ…ヒックぅ…ヒョウエ!ヒョウエ!私よぉ!!気付いてよぉ!!うわぁ!!』

「よしよし…いい子ね…元気元気…ねぇ…元気元気…いい子…よしよし…」

『お母様ぁ…うぅ…』

「頑張ったもんね…いい子…ゆっくり休みなさい…」

『ハッ!?私眠ったら駄目…眠ったら駄目よ…』

「ねんねねんねぇ…いい子いい子」

『お母様!止めて!?私眠ったら駄目!全て!全て忘れてしまう!全て終わってしまうの!!お母様!』

「いい子ぉ…」

『お母様ぁ!駄目!終わりたくない!』

「よしよし…」

『何で分かってくれないのよぉ…うぅ…ウワァ!』

「あらあら元気ね、また泣いちゃったねぇ…大丈夫…大丈夫…ママもパパもちゃんとここにいるから…」

『あぁ!お母様…だ、だ、駄目…眠たく…あぁ』

「ねんねねんね…」

『お母様ぁ…』

「よしよし…ねんねねんね…大丈夫大丈夫…」

『わ、わ…』

「大丈夫大丈夫…」

『…皆の事…』

「いい子…ほら、大丈夫…。眠っていいのよ…ゆっくり休んで…今はゆっくり休みなさい…」

『わ、忘れたくな…』

「フフッ…大丈夫だってばぁ…見て?あなた…何か言ってるわよ…」

「本当だ。寝たくないのかな…」

『わ…す…れ…た…く…な…』

「お休み…」

「いい子ね…お休み…」

『わ…す…』


ダイジョウブダイジョウブ…


・・・


「名前はあの名前でいいの?」

病室のベッドで誕生したばかりの娘を抱いた母親は父親に話しかけた。
髪は乱れて、疲れた様子だがその表情はもう母だ。

「あぁ。駄目かな…?」

ベッドの横に座った父親は両手を前に組み、自信なさげに母親の顔を下から見上げた。

「うぅん。いいと思う。」

母親の返事に父親の表情が一気に明るくなり、自信なさげな態度は一変した。

「タハハ…ありがとう。なんかさ…男っぽいかなと思ったんだけど…でもさ、強さと美しさを持ち合わせて、んで…まぁその俺の名前とも似てるし…ま、まぁ!実はその…半分はそれが理由なんだけど!タハハ…」

父親は組んでいた両手を解き、身振り手振りをしながら母親に説明した。

「フフ…もう親バカね…。まぁ楽しみだね楽しみだねぇってずっと言ってたしね。私もいいと思う。素敵な名前よ?」

母親は笑いながらウンウンと頷いた。

「お前も頑張るねってずっと言ってくれてたから…お前の意見も取り入れたいんだが…」

「いいの。私も素敵な名前だと思うし。」

「ありがとう…」

「さぁ、パパ。呼んであげて?名前を呼んであげて?この子に。」

「あぁ。」

父親は椅子から立ち上がり、母親の腕の中で眠る娘を見つめて言った。

「ようこそ、この世界へ。リュウ、リュウ…新田 龍…」

「あ、もうすぐ先輩が来るんじゃないの?あの…お世話になったんでしょ?」

母親はハッして父親に言った。
その言葉に同じくハッとした父親は慌てて身支度をすると、病室の扉の前に移動した。

「あぁ、そうだ。尾田さんがもうすぐ来るんだった!駐車場行ってくる!」

父親は慌てて病室から出て行った。
それを見た母親は呆れたようにフンと笑うと娘に目を移した。

「フフッ…あわてんぼうのパパね…ねぇ…龍…」

母親は何かを言おうとしている娘の頭を優しく撫でた。

娘が何を言おうとしたかは誰も知る事が出来ない。



風雷の門と氷炎の扉〜完〜



最後までお読みいただきありがとうございました。
2022年 2月15日 に「あとがき」を投稿します。

ありがとうございました。

2022年 2月14日
織部.Black sword


















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