どうして未来が見えてたの? 〜久々に会った友人との会話より〜
この記事は、昨年の11月に投稿させて頂いた
『どうして心が描けるの?
〜久々にあった友人との会話より〜』
のつづきです。
私の友人(以下、shigecchi と言う)が似顔絵に凝り始めて4年目に入ろうとしています。
描き始めた頃から比べてみれば現在はドンドンと腕は上がって来て、私が言うのもなんですが素人にしてみれば結構上手い部類に入ると思っています。
とは言っても、1枚800円で販売するところまで来ているわけですから、言うなればセミプロと言うこととなるのでしょうか。
そのshigecchiと又々2人で落ち合うこととなりました。
この流れは性懲りもなく、よもやま話の始まりとなりそう位にたかをくくっていました。
とは言え、shigecchiに『色気』の話をさしたらとんでもないこととなりますので、この点だけはしっかり押さえて話をするつもりでした。
それは、shigecchiに『色気』と言う単語を使わせたならとんでもない事になるからです。
なぜとんでもない事になるのか疑問に思う方は下記の投稿をご覧になって下さい↓
こんな事を考えながらshigecchiと話を始めてみると、どうも今回のshigecchiの話はいつものshigecchiと様子が違うんです。
shigecchiはなぜかいつもと違って乙に構えて気取っているんです。
そして、彼曰く
『時代が進んで資本主義が更に発展して生産性がドンドン向上して行けば、生産過剰が祟って供給過剰となるから全ての物資が低価格となって来る』と言い出したんです。
そして、曰く
『そこまで時代が進んだその先には、有り余る物資に囲まれた人類は物資に対する執着がなくなり徐々にミニマリストへと変化して行く』
更に突っ込んで、曰く
『この様に一般的な生産物は低価格となってしまい、価値あるものは芸術的要素のある生産物、もしくは、芸術そのものになって来る』
こんなことを言い出したんです。
文字をしたためたり絵を描くこと等、芸術をすこぶる愛しているshigecchiだからこそ出て来る発想なのでしょうか。
ここに来て、なぜshigecchiが乙に構えて気取っていたのかが分かって来ました。
それは、本日の彼の興味は『色気』ではなくて、彼が以前からたずさえている持論だったんです。
この話は、shigecchiは忘れている様なのですが、今から10年ほど前に彼から聞いた記憶があるんです。
その時は、またいつもの悪い癖が始まったと聞き流していたのですが、今となってはさもありなんと言ったところです。
そこで、社会の現状を眺めてみればいずれその内にその様な流れがやって来るかも分からん、と相槌を打ちました。
すると、shigecchiは気をよくしたのか更に彼の話はヒートアップして来ました。
そして、いきなり話を切り替えて、
『虫にも色気がある』と言い出したんです。
おっとどっこいです。
踏み入ったらいけないところに差し掛かってまいりました。
私がいらん相槌を打ったばっかりに、shigecchiの芸術魂に火をつけてしまいました。
そんな私の思いなどよそ目にshigecchiは立て続けに、
『物にも色気が、例えば日本刀やアップル製品にも色気がある』と言い始めたんです。
何やらえらい事になってまいりました。
これはまるで時代の終末が訪れたかの様相です。
ここに来て、次の一手を打つことが出来なくなった私を見たshigecchiは途端に話を変えて来るんです。
shigecchiとは、こんなたわいの無い良い仲間なのです。このたわいの無さが良いんです。
ともあれ、ここは少し皆様には時間を頂いてしばしの間shigecchiの作品をご鑑賞下さい。
彼の似顔絵は色気と上品さ、それに心を映し出した作品に仕上がっています。
すみません、最後の最後になってshigecchiインスタの紹介となってしまいました。
と言うか、これがやりたかったんです。
最後まで読んで頂いて、、、
ありがとうございます。
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