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「鬱は悪?」そんなのもう古いよね

前向きなお話ですが、少し長いです。2週間前に鬱が再発してしまい、仕事以外はひたすら寝ておりました。日々多くのお心配りを頂き誠にありがとうございます。

症状もだいぶ良くなってきて、今朝は久しぶりにトレーニングへ行ってきました。写真は今朝のものです。

SNSで鬱を公言するのはいかがなものか。未だに賛否が分かれます。今後も分かれ続けると思います。でも全て自己責任で記しております。

まず、僕の現在の活動の根幹には、鬱の経験と、鬱を誘発したこの性格の影響が多大にあります。特に秀でた能力もなく、成績も平凡。唯一、そんな自分自身を見つめ続け、「果たして自分の使命は何だろう?」と模索し続けてきました。その結果、今があります。思えば、それが僕に与えられていた能力でした。そして多くの素晴らしい人達との出会いに恵まれ、今日も自分の仕事をさせてもらっています。「鬱とこれからの活動」これらは、今後も切り離せない事象同士だから、迷いましたがここに記すことにしました。

鬱の症状が初めて表れたのは20歳の頃です。ドイツ留学帰国後でした。引き金になったのが、いわゆる「逆カルチャーショック」でした。でも、もともと幼少期から適応能力に問題があったことが根本原因です。さらに悪い事に、通院を開始したのは29歳でした。僕は9年の間、「この状態はメンタルの弱さのせいだ」と勝手に決めつけていました。症状を隠し続け、一方で自分の在り方を疑う事を怠り続けました。そして無理矢理平然を装いました。「平然を装うことが大切だ」と大きな勘違いをしていました。それは特大級の過ちでした。

我慢強さは弱みにもなり得る。今では痛烈にそう思います。

今回の発症は幸いでした。なぜなら再び気付きを与えてくれたからです。前回発症したのが2022年の冬でした。病は、1年間黙っていてくれたんです。だから「ようやく決別できたかな」と思っていた所で、また望まぬ再会をしました。腐れ縁もいいとこです。でもそれも必然だったなと思います。これは「まだ自分と自分を取り巻く環境の最適化を続けてね」というメッセージです。人間って、不思議だなと思います。

自分の病とこれまでの仕事を通じ、確信している事があります。

「男だから、母だから、経営者だから、指導者だから、プロだから、大人だから、親に迷惑かけるから、大人に認められたいから」日本では、そういう理由で多くの人が「強さを演じなければいけない」とか「弱みを見せてはならない」という圧力がかなり強いと感じます。大人も子供もです。そして僕も含め、「我慢強さゆえの弱さ」に陥りがちな人が、たくさんいます。確かに、「ノリ」や「ど根性」でうまくいく人もいます。でもそうじゃない人もたくさんいます。

誰にも言えない悩みや、痛みや、苦しみを隠しながら暮らしている人が、もしかしたらあなたのすぐそばにもいるかもしれません。それは、もしかしたらあなたの子供や大切な人かもしれません。その人は「いつも頑張る人」だったり「いつもごきげんな人」だったり「いつも与える人」だったりする気がします。

とはいえ、それも仕方ありません。なぜなら、まだまだ鬱に対する過剰なマイナス意識が日本にはあるからです。でも、それは間違いです。鬱は、マイナスでも悪でもありません。僕のドイツの「鬱友達」はいつも明るく鬱を語ります。鬱の僕から見ても、「なんで鬱になったの?」というくらい明るいです。明るくたって鬱になるし、鬱だから暗いわけでもないです。

「鬱に対するマイナス意識」が悪なんです。同様に、ネガティブは悪。元気が無いのは悪。失敗は悪。とにかく「陰鬱とした何かは悪だ」と、我々の無意識の中に、日本特有の固定観念が潜んでいるのではないかと感じます。明るく、ありのままを語りましょう。

「鬱は悪?もうそんなの古いよね」そう言い合える未来と社会を願っています。僕は鬱から多くを学びましたし、僕の経験がその一助になったら嬉しく思います。これからもそれを糧に「良い加減」でやっていきます。

一進一退。明日どうなるかはわからないけど、今日元気なら丸儲けです。いつも激励とサポートをしてくださる皆様、そして今まで出会い支えて頂いた皆様に心からの感謝を申し上げます。

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