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Episode 107 「トニーからの連絡」

Episode106で触れた様、beacon communications(以下、ビーコンと呼ぶ)という外資系広告代理店にてストラテジックプランナーとしてのいろはを学んだ。

ビーコンに入社し、数年が経った時期に、トニー(Anthony Cundy)というイギリス人の男から連絡をもらった。トニーは、私が電通からビーコンに転職した当時、営業局とプランニング局の局長であり、副社長も務める、いわゆる、やり手、であった。

彼はビーコンの副社長を経て、Wunderman(現VML=広告業界において世界最大のWPPグループ内の広告代理店)の日本支社のCEO(社長)になっていた。彼が連絡をしてきた理由としては、彼が新しくCEO(社長)になり、先ずは組織的に抜本的改革が必要と判断する、との事であった。

具体的な施策の一つとして、(Wundermanの東京オフィスにおける)人の入れ替えを行う必要があるとの事であった。その様な事があり、彼からのオファーをもらったのである。

こちらからの個人的な条件としては、ストラテジックプランニング部にて「ストラテジックプランナー」としてであれば是非行きたいという返答をした。その後、晴れて、Wundermanにてストラテジックプランナーとしてのスタートを切った。

(2016年頃。ソネさんの結婚式にて。トニーと) 

Wundermanでは様々な人に出会った。同い年のレナード(Leonard)。彼は、アメリカ生まれのベトナム人でありながら、日本語も堪能だった。彼もストラテジックプランナーであった。レナードとは今(2024年)でもよく連絡をし、お互いの状況などのシェアなどをする。もちろん、飲みにも行く。

彼は非常に優れたストラテジックプランナーであり、彼のプランニングに対する意見や知識などには感心することが少なくない。尚、2020年頃、彼は広告代理店に見切りをつけた、と言う事でクライアントサイド(広告代理店では無く、広告主側)に転職をしたが、今年(2024年)に入り、(やはり広告代理店の醍醐味が忘れられなかったのか)こちら側(広告代理店)に戻ってきた。

 (2018年頃。レナードと)

その他にも、ライアン・ ミズノという日系アメリカ人の男がいた。彼はアメリカのブラウン大学出身の頭脳派で、バックエンドのシステム構築などを得意としていた。アメリカにいた時にはウォール街(確かドイツ銀行)で働いていたとの事だ。彼はトランペットも吹ける男であった。そして、ヒップホップやジャズに精通した男であった。

Wundermanでは色々な人に出会ったが、その中でも特にインパクトがあったのはミヤザキサトシという男だった。彼は私より4つか5つ歳上だったが、我々は過ごしてきたバックグランドが非常に似ていた。

彼は12歳まで日本で過ごし、その後14年間ロンドンで暮らしていたとのことである。私と全く同じである。

また、大学でも非常に似た勉強をしていた。彼も航空関連を専攻していたのだった。私は操縦士(パイロット)になる為の勉強を専門領域としていたが、彼は航空力学のエンジニアを専門領域としていた。

これらの二点が被っていた時点で非常に偶然だったのだが、それに併せてファッションの好みも(時に)非常に近いものがあり、とある朝オフィスに行くとあまりもお互いの着ていた服が似すぎており、恥ずかしい思いをした。全く同じナイキのフライニット(フライニットという素材)のスニーカーに、黒い細身のスウェットパンツ、そして黒い無地のパーカー。しかも、我々は席が隣同士であった。当時のWundermanのMD(Managing Director=代表)の(アメリカ人)アレックスは我々を二人並ばせ、写真を撮っていた。その時の写真がこれである。

(事前打ち合わせなんて(当たり前だが)してない。偶然、あまりにも似た格好になってしまった。2016年頃。広尾のオフィスにて)

ミヤザキさんはWundermanに来る前はFrontage(フロンテッジ)という広告代理店(SONYと電通による合資による広告代理店)に居た。従って、広告業界の経験及び知識が豊富であった。

(2016年頃。シンガポール出張にて、ミヤザキさんと)      

これだけでも充分に尊敬するに値した。ミヤザキさんの英語は、今まで聞いた日本人のそれとは全くもって違っていた。発音がうまい、などといった単純な事(次元)ではなかった。

言い回し、使う単語、スピード、間の取り方、全てに置いて完璧だと思った。尚、英語は上手いが、その代わりに変な日本語で喋っていてはあまり価値がないように個人的には感じる。ちなみに、ミヤザキさんは英語も日本語も非の打ち所がなかった。

私がWundermanに入社した当時、Wundermanのオフィスは六本木にあった。しかしながら、入社して約一年が経った頃にオフィスは広尾(東京)に引っ越すことになった。

Wundermanと同じWPPグループのAKQAという広告代理店のオフィスに入居する形になった。このオフィスは、今までに見た様々なオフィスの中でも最も洒落たオフィスの一つだった。非常にカッコよかった。さすがAKQAである。

広尾オフィスの表札
2016年頃。AKQAのメンバーとWundermanのメンバーでの集合写真

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