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お金の本質とは何か

自分はどうしてもお金が欲しくて、この代理店営業販売を始めたわけではなく、重要だったのはそれをやることだった。取り扱いするもの、理由など何でも良かった、たまたまこのセルフレジに目が止まっただけだった。

お金なども食べる分だけあれば充分だと思ってる。そして自分はそんなにお金は使わない性格なので、正直言えばそれほどお金に執着はありません。

だからこそ何かをする必要があった、自分には何かを自分でやる経験が必要だと思った。

人は失敗を繰り返し学んで行く、たとえこの商売がうまく行かなくても、それが後々に何かをやる時のスキル、助けとなると確信しています。失敗を前提でリスクを背負った、それが必要だと思ったからやってみました。

ただお金を稼ぐ目的なら普通に工場勤務の労働者として働けば良いだけです。しかし自分で何かを経験しなければ永遠に解らないことがあります。

やらなきゃ、やってみなきゃ解らないことを失敗前提で考えていつまでも行動しないから経験が身につきません。

暴走列車のようにがむしゃらに何かをする、きっと世の中の成功者と呼ばれる人達はそういった気持ちを持って生きてきた人達なんだと思います。

この社会システムにある経済的環境の中で我々はそういった人達に支えられてきました。企業経営者がいるから労働者が生まれ、世の中にお金が行き渡ります。

だからこそ、そういった人達が何をしてきたのかを自分で経験してみること、それが自分の新しい何かを見つけるための手助けになります。ただ与えられた作業を行う労働者として生きているだけでは解らないこと、それを自力で挑戦しようと思うから意味がある。

これは自分にはできない、と思うよりもまず経験することが大事だと思いました。

もちろん必ずしもそれで成功者となれる、うまくいくとは限りません。そうでなくとも何かの経験は得られる、それだけでも充分に意味があることだと自分は思います。


少なくとも自分にとってはお金は二の次です。お金に支配されない生き方をするためにはそれ相応のリスクが必要です。

「お金のために」が辛さを生み「生活のため」が強迫観念になってしまう。それで心身共に疲れ果てるなら本末転倒、人は苦しむために生まれてきたわけではありません。


労働することが生き甲斐なのではなく、お金を稼ぐことが生き甲斐なわけではなく、お金を稼げなくても自分にとって意味があること、人のためになることをしたいです。

それは物理的な物だけではなく人の心に寄り添ったもの、そこに必ずしもお金が発生する必要などないと思います。

お金とは物々交換であり、そのお金があるのは人々の営みがあるからで、そのお互いの感謝の証と気づかい、思いやり、その積み重ねがお金と呼ぶ紙幣や貨幣といった形になり我々はそれを消費して生活しています。

美味しいものを作ってくれてありがとうの気持ち、楽しいものを作ってくれてありがとうの気持ち、感謝、謝礼、対等な取引としてある物々交換、それがお金なんです。

そのお金が多くあるから偉いわけでも優れているわけでもありません。人々の感謝、謝礼の積み重ねがあるからこそお金が成り立っている。だからこそお金は使うものなんです、自分に多くあるならそれを、その多くの人々の想いを代わりに消費する。

それができるから社会は発展し国は豊かになって行く。豊かになれば子孫も繁栄しそれぞれが大切なパートナーを見つけて幸せに生きて行くことができます。

消費をするから国は豊かになります。物が売れない資本主義社会になったのは、その人々の感謝や謝礼の想いを変わりに消費する人が減ってしまったからだと思います。

お金を使うことが、誰かの感謝の気持ち、謝礼を市場経済に循環させることなんです。だから自分は何かをするためにお金を消費することに躊躇はありません、たとえ損をしても満足です。お金は使うためにあるもの、保存してコレクションするものではありません。

お金の価値はそれを使う時にこそ発揮される。昔からよく使われてきた言葉があります『今回は損をしたけど良い勉強代になった』

これがお金の本質だと、自分は思います。



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