そのかんと

ねこ飼い(または、ねこ奴隷)15年。 ねこアレルギーは奴隷修行中に消滅。 ありがたや、…

そのかんと

ねこ飼い(または、ねこ奴隷)15年。 ねこアレルギーは奴隷修行中に消滅。 ありがたや、ご主人さま。

最近の記事

わたしの愛しいご主人さまたち #08 すべ

すべは2009年5月に我が家に仲間入りした。 すべ。 「すべ」って。 変な名前笑。 里子に出した「トカタ」までは、明確な方向性を持って命名していた。 ねこをうちに初めて入れた時に既に「ムジカ」という名前の先住犬がいた。ムジカはMusica。イタリア語で音楽。なので「イタリア語で音楽関連の言葉を、それもしりとりで」と命名方針を決めてみた。非常に安易な発想なんだけどめちゃくちゃハードルは高く、その都度必死になって名前を考えていたのがとても懐かしい。 Musica→Canto

    • 番外編 四十九日

      本日、でかちゃんの四十九日だ。 今しがた、ご神木の森に行ってご挨拶をしてきた。 でかちゃんが旅立ってここまで、本当に苦しかった。単に「悲しい」というのではなく、ひたすらもがき苦しんだ。 なぜこんなにも苦しかったのか? それは 「わたしがでかちゃんを死に至らしめたのでは」 という思いが、次から次へと湧きまくり、全く尽きることがなかったからだ。 「もっと早く○○をきちんと投与すればよかった」 「西洋医学的な処置にも頼ってみればよかった」 「お外に自由に行かせてあげればよかっ

      • わたしの愛しいご主人さまたち #07 ハハちゃん<あちらに移住組>

        ハハちゃんは#06ぎうちゃんのお母さん。おそらく#01のカントと同じ、2006年の冬に生まれた子なのではとわたしは勝手に予想している。 ハハちゃんは、お外時代にたくさん出産をした。わたしの記憶に残っているだけでも3回はあったのではと思う。一度わたしはハハちゃんをカントと間違えて、カントにあげようと思っていたマグロのお刺身をあげたことがあった。その時にもハハちゃんの周りで子ねこたちがぴょこぴょこ弾け飛んでいた。残念なのだけど、その子ねこたちはその後、恐らく全員亡くなった。 2

        • この世界を去ったでかちゃん⑥<わたしは生きていく>

          でかちゃんの尻尾の先は、二つに割れていた。猫又という妖怪の話なんかを聞きかじっている者としては、こんなにかわいい妖怪、最高じゃんと思っていた。 でかちゃんは多分、我が家の辺りの山の中で生まれ育ったと予想する。山中を駆けずり回っていたんだろうな、おうちに入れたばかりの頃でかちゃん、前脚の付け根、人間で言えば肩あたりの筋肉が異常に発達してムキムキだった。上半身になかなか筋肉がつかない息子が羨むほどであった。 初めて出会ったのが4年ほど前…という理由だけで「4,5歳くらい」とでか

        わたしの愛しいご主人さまたち #08 すべ

          この世界を去ったでかちゃん⑤<旅立ち後 でかちゃんからわたしへのメッセージ>

          息を引き取ったその日の午前、急遽でかちゃんをご神木の森へ連れて行くことを決め、うちを出る直前にふと思いつき、でかちゃんからのメッセージを受け取るためにタロットカードを引いた。 出たのは 「剣のナイト」 その視線に 「カップの8」 急いでテキストを開いて解釈し、涙しながらセルフリーディングした結果は 「8がキーナンバー。ナイトの剣で、次の世界へ。視線は完全に満ち足りた愛の世界。言葉とか思考を振りかざす世界から完全なる愛の世界へ。 『そっちに行こうね、おかーさん!』 がでか

          この世界を去ったでかちゃん⑤<旅立ち後 でかちゃんからわたしへのメッセージ>

          この世界を去ったでかちゃん④<旅立ち後 でかちゃんの仲間>

          息を引き取ったすぐ後に、でかちゃんにわざわざ会いにきてくれた人が2人いる。 KちゃんとMさん。 この2人とは昨年秋からとあるプロジェクトを立ち上げ、わたしにとってとても大切な仲間である。かつ、ダンス仲間でもある。この1,2年、うれしいも苦しいも分かち合ってきたという自負が伴った、仲間である。その2人がでかちゃんのために、わたしのために駆けつけてきてくれたことが、何よりうれしかった。 Mさんにいたっては、現在ここから遠く離れた九州在住である。たまたまこちらに数日間滞在していた

          この世界を去ったでかちゃん④<旅立ち後 でかちゃんの仲間>

          この世界を去ったでかちゃん③<5/24のでかちゃん>

          Jさんがご神木ふもとに到着したときのでかちゃんの様子が、あまりにも印象的だった。 鳴く。 みたことないぐらい、鳴く。 特にここしばらくの間、でかちゃんが声を出して鳴くことがほとんどなかったので、その様子を見て驚いた。 泣く。 だったのかもしれないね。 「Jさん、待ってたんだよ。来てくれてでかちゃんうれしいよ」 って。 そう言っていたんだね。最後の力を振り絞って。 Jさんはバイオレゾナンスの機器をわざわざ持参してくれていた。それを見たでかちゃん、まるで「早くやってよ、Jさ

          この世界を去ったでかちゃん③<5/24のでかちゃん>

          この世界を去ったでかちゃん②<5/24のでかちゃん>

          気持ちは逸っていたのだけど、でかちゃんを抱きかかえたわたしの足取りはとてもゆっくりだった。「今このときをでかちゃんと共にここにあること」を噛み締めるように、ご神木に向かって一歩一歩歩みを進めた。 「でかちゃん、いいお天気だね、気持ちいいね」 「でかちゃん、おかーさんのところに来てくれて本当にありがとう」 「でかちゃん、かわいいね」 「でかちゃん、だいすきだよ」 でかちゃんにかけるわたしの声は、溢れる涙のせいで少しうわずっていた。 ご神木に到着。 蛇行して抜けていく、風。

          この世界を去ったでかちゃん②<5/24のでかちゃん>

          この世界を去ったでかちゃん①<5/24のでかちゃん>

          2021年の夏の終わりに、激しい闘病の末一度は元気を取り戻したでかちゃん。 とても悲しいことに、2022年5月24日13:32にあちらの世界へ旅立った。 今日5/25、庭に埋葬した。 おうちの中にいてもよく見える場所にでかちゃんの亡骸を葬った。 まず「完治した」と思ったのは完全にわたしの慢心だったのでは、と後悔と懺悔の思いが次から次へと湧き上がる。完治したと思ったと同時に下痢が始まっており、それを甘い気持ちでやり過ごし大した手立てを施さなかったせいでは…と繰り返し悔やん

          この世界を去ったでかちゃん①<5/24のでかちゃん>

          わたしの愛しいご主人さまたち #06 ぎうにう(ぎうちゃん)

          2014年くらい。わたしの脚を枕に寝る。 カント→トーノ→ターチェ→チェレ→ノータと次々に我が家に迎え入れ、ちょっとひと段落なのかな、と思った2007年の秋。 空き地のねこたちと関わるうちに、空き地以外で会うねこたちに目がいくようになった。それまで全く興味がなかったのに。 カントによく似た柄の子に時折遭遇するようになった。こねこを連れていた。おかあさんなんだね。仕事帰りにマグロのお刺身を手に入れ、カントたちにあげようと空き地に向かったことがあった。空き地に着く少し手

          わたしの愛しいご主人さまたち #06 ぎうにう(ぎうちゃん)

          わたしの愛しいご主人さまたち #05 ノータ<あちらに移住組>

          2013年。だいすきなカント兄さん(手前)が寝ているケージに侵入するも、カントにウザがられてしまい目が泳ぐノータ。 ノータも、ターチェに続いてしっかりと闘病を体験し、看取りをした子。わたしの腕の中で最期の一呼吸をしてくれた、本当に下僕孝行なヤツだった。 N村さんがごはんをあげていた空き地で、最後に残ったのがノータ。ノータを捕まえるのも、N村さんとH部さんが引き受けてくれた。人懐こさはあるけど、抜群の運動神経とやや警戒心強めな彼は、もしかしたら捕獲に手間取るかな…と皆で

          わたしの愛しいご主人さまたち #05 ノータ<あちらに移住組>

          わたしの愛しいご主人さまたち #04 チェレ

          ここにきてようやく女子が登場。 右から、チェレ、しらたん。奥の茶色は、るる。 こうやって見るとチェレのお口が歪んでいる。しばらく前に寝ているときに、臭い何かが顔に落ちてきたことがあった。それはタワーの上にいたチェレの犬歯だった。多分、お口の中の状況はあまり芳しくないのかもしれない。今のところ、わたしは何も手出ししていない。 チェレは、カントの父親違いの妹。#03のターチェときょうだい。ターチェと同じくカントのことが大好きで、カントのそばで寄り添っているチェレの表情はいつ

          わたしの愛しいご主人さまたち #04 チェレ

          わたしの愛しいご主人さまたち #03 ターチェ<あちらに移住組>

          2017年9月27日、ターチェはあちらに移住した。 思えば、わたしの細かい「ねこ記録」はターチェの闘病のときに始まった。ターチェが行っちゃって今年で丸5年になる。残されたターチェの記録を見返して、5年前に起こったこととそれに伴うわたしの感情たちが、ブワッと押し寄せてくる。思い出したいことも、思い出したくないことも、全てぐちゃっとなって押し寄せる。 ターチェは、カントの父親違いの弟だ。そして、まだお外にいるときからカントのことが大好きで大好きで、いつもカントの後についてまわ

          わたしの愛しいご主人さまたち #03 ターチェ<あちらに移住組>

          わたしの愛しいご主人さまたち #02 トーノ<あちらに移住組>

          トーノのことは書くか書くまいか、とても悩んだ。 トーノは、カントがごはんをもらっていた空き地に突然現れた子ねこだった。自分が関わっているねこたちの相関関係もバッチリ知っているN村さんも、トーノの出現に少し困惑気味だった。あまりにも突然現れたから。 トーノは、すでにできあがっているカントご一行のコミュニティに怯むことなく臆することなく、グイグイと入り込んできて、ちゃっかりN村さんからごはんをもらっていた。かわいすぎる。 ある日N村さんから電話が入った。トーノの具合が悪いの

          わたしの愛しいご主人さまたち #02 トーノ<あちらに移住組>

          わたしの愛しいご主人さまたち #01 カント<あちらに移住組>②

          うちに入れる前から、カントのお口のにおいは気になっていた。 初めてカントを獣医に連れて行ったときに、真っ先に獣医から指摘されたのが、口内炎の酷さだった。そして去勢手術を行う際に「麻酔をかけているついでだから」と、グラついている数本の歯を抜くことを勧められた。言われるがまま、その通りにした。口内炎が酷い子は、ウイルス性の怖い病気(FeLVとかFIVとか)がまず疑われるのだけど、カントはいずれも陰性だった。 うちに入ってからしばらくは、この口内炎との闘いだった。抜歯直後は

          わたしの愛しいご主人さまたち #01 カント<あちらに移住組>②

          わたしの愛しいご主人さまたち #01 カント<あちらに移住組>①

          わたしのねこ下僕または奴隷としての歩みは、この子ナシでは始まらない。 Canto。カント。 2007年の秋に出会った。 わたしに酷いねこアレルギーがあったことも関係して、その頃そこまで「ねこ」という生き物に興味がなかった…というのが本音。 当時わたしは首都圏にあるC県に在住していた。中学生だった娘(ニンゲンより動物が好き)が「とあるおばさんが、近所の空き地で毎朝晩ねこたちにごはんをあげてるんだよー」とわたしに教えてくれた。娘はたまにそこに遊びに行っているらしい。カント

          わたしの愛しいご主人さまたち #01 カント<あちらに移住組>①