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この世界を去ったでかちゃん⑥<わたしは生きていく>

でかちゃんの尻尾の先は、二つに割れていた。猫又という妖怪の話なんかを聞きかじっている者としては、こんなにかわいい妖怪、最高じゃんと思っていた。
でかちゃんは多分、我が家の辺りの山の中で生まれ育ったと予想する。山中を駆けずり回っていたんだろうな、おうちに入れたばかりの頃でかちゃん、前脚の付け根、人間で言えば肩あたりの筋肉が異常に発達してムキムキだった。上半身になかなか筋肉がつかない息子が羨むほどであった。

初めて出会ったのが4年ほど前…という理由だけで「4,5歳くらい」とでかちゃんの年齢を決めつけていたのだが、もしかしたらもっと年齢がいっていたのかもしれない。もしかしたら20歳超えとかで、それで尻尾の先が割れていて、わたしの言葉も完全に理解していて、リアル猫又だったのかもしれない。…なんてことをぼんやりと考えながら、でかちゃんがいない淋しさを自分で慰めてみたりする。
「そんなに歳いってたのなら仕方ないよ」なんて。

お外時代のでかちゃん、いつもどこかにケガをしていた。首だったり目のすぐ上だったり。一度酷かったのが、右前脚を引きずっていたとき。パッと見、外傷は見当たらない。何か鋭利なものを踏んで肉球あたりに刺さったりしたのか?毎日ごはんを食べに来るものの、その頃でかちゃんはまだそんなにわたしに心を開いてくれてはいなかったので、とっ捕まえてちゃんと見てみる、ということはしなかった。右前脚を引きずりながら、ひょこひょことびっこを引いて歩くでかちゃんを見守ることしかできなかった。ところが1ヶ月後ぐらいには、完全に普通に歩けるようになっていたのでとても驚いた。「山のねこは強いねー!」とでかちゃんを褒めたことを覚えている。

そんなタフガイでかちゃんを、そもそもおうちに入れてしまったのが間違いの始まりだったのではないのか?

そんな疑問が、度々わたしに激しく襲いかかる。襲われると、わたしはひたすら無抵抗で、ただただシュンとするだけ。




でかちゃんはとても優しい子だった。一番最初獣医に連れて行ったとき、お口の中を見ようと先生がお口をおさえた際、「やめてやめて」とでかちゃんは自分の手で先生の手を払う仕草をした。そのとき先生が「優しい子だね。爪出してないんだよ」と言った。おうちの中でも、誰かに威嚇したり喧嘩をふっかけたりしたことがない。うちの最強女子軍団からは、いつもやられっぱなしだった。だからか、でかちゃんが大好きだったのは、昨年旅立った、ちょっとのんびりでポーッとしているハハちゃんだった。いつもハハちゃんのことをペロペロとなめていた。

【気は優しくて力持ち】

これがでかちゃんのキャッチフレーズ。ドカベンじゃん。人間界でこんな人に出会ったことなんてないし、まさかねこ界に存在するなんてね。かっこよすぎ、でかちゃん。



物質としてのでかちゃんがいなくなってしまったことで、毎日何かが不足しているように感じながら生きている。
それでも、わたしは生きていく。
なかなか癒えない悲しみを丁寧に自分の手で癒しながら、生きていく。
でかちゃんみたいにでっかく在りたいなと思いながら、生きていく。

でかちゃんのことを思うとき、油断するとすぐに、悔恨やら懺悔やらそんな思いがわたしを占拠するのだけど、それらにわたしが乗っ取られないよう注意深く観察しよう。そして、でかちゃんと過ごした(お外時代も含めた)2年ちょっとのことを、おもしろおかしく思い出して過ごすんだ。

でかちゃん。
おかーさんは、生きていくよ、これからも。
生きると死ぬを、一所懸命に考えながら生きていくよ。
見ててね。



あ、ポッケちゃんがきた。
ごはん、あげてくるね。



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