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わたしの愛しいご主人さまたち #07 ハハちゃん<あちらに移住組>

ハハちゃんは#06ぎうちゃんのお母さん。おそらく#01のカントと同じ、2006年の冬に生まれた子なのではとわたしは勝手に予想している。

ハハちゃんは、お外時代にたくさん出産をした。わたしの記憶に残っているだけでも3回はあったのではと思う。一度わたしはハハちゃんをカントと間違えて、カントにあげようと思っていたマグロのお刺身をあげたことがあった。その時にもハハちゃんの周りで子ねこたちがぴょこぴょこ弾け飛んでいた。残念なのだけど、その子ねこたちはその後、恐らく全員亡くなった。
2回目の出産のときに生まれた「ミケ」とわたしたちが呼ぶ子(三毛猫だからね)は、避妊手術を受けさせた後地域にリリースした。わたしがリリースした子は、後にも先にもミケだけだ。ミケはその後、わたしが当時住んでいたマンションの一階のお家で毎日ご飯をもらっていたようで、スクスクと大きくなった。一階のそのお宅へは、菓子折り持ってご挨拶に行ったことがあった。「ミケがお世話になっております」と。ミケは、スクスクの度が過ぎて、今どきの小型犬なんかより全然でかい、逞しい女子へと変貌したのは想定外だった。ミケときょうだいだと思われる子で「クラタ」という子がいた。クラタは、最後の看取りだけ関わった。
そして、3回目の出産のときに生まれ生き残ったのがぎうちゃんとトカタだ。

と、まあ。
ねこがいかに多産かをハハちゃんひとりで証明してくれているね。よくがんばったね。ハハちゃん。あなたは本当に立派なおかーちゃんだったよ。

どこで聞いた情報かはもう定かではないのだが、ねこ社会も美人がモテるのだそうだ。ハハちゃん見てると超納得。ハハちゃんはとてもとても美人だった。


2020年夏、#05ノータが旅立った直後にハハちゃんの異変に気づいた。左目の目頭あたりにしこりのようなモノができ少しもりあがっていた。
いろんなことを想像して、やはり獣医に連れていく選択や決断をすることはできなかった。なので、調べまくってわたしなりの手当てをハハちゃんに施していくことになった。

数ヶ月後の10月。いきなりハハちゃんの容態が悪くなった。暗く人気のないところに行って小さくなってうずくまっている。ごはんも食べない。そしてしこりが、はち切れんばかりに膨らんでいた。「ダメかもしれない」とわたしは覚悟をした。「ハハちゃんもわたしもよくがんばったよ」と自己弁護のような慰めの言葉をかけた。とても虚しい気持ちだった。

ところが、5日後。ハハちゃんは謎の回復を遂げた。いきなり、いつもごはん待ちをしていた台の上に乗って「ごはんをくださーーい!」と要求してきたのだ。驚いた。そして膨らみきったしこりが少し小さくなっているのがわかった。

「すごい!ハハちゃん!まだ生きるね!ダメかも…とか思ってごめん!すぐにお食事をご用意いたします!」

生命って、ほんと、想定外のことばかりしでかす。

容態が悪くなってから10日後には、いつものポケーっとぽわーっとおっとりのんびりなハハちゃんが完全に復活していた。

その回復劇を経た後、2021年8月8日の新月の日。
ハハちゃんは旅路についた。
ハハちゃんの日(88)に行っちゃった。

その日の深夜、何やらハハちゃんが騒いでいる。布団から抜け出し電気をつけハハちゃんを見ると、どうもうんちが出きらずジタバタとしているようだ。見兼ねてわたしが、お尻からちょびっと姿を見せているうんちを引っこ抜いた。すると。スッキリ安心したハハちゃんは、その場に倒れ込むようにパタっと横たわり、即座に寝始めたのだ。その様子を見て「もしかしたら、今日がその日なのかな」と曖昧に感じてみた。

その日の日中、お出かけをする予定だったのを急遽取りやめ、一日中ハハちゃんのそばにいた。うんちを引っこ抜いてもらってパタっと横たわったその場所から一歩も動かず、ハハちゃんはそこでずっと寝ていた。呼吸の数がだいぶ落ちてきていることから、やっぱりもう出発が近いのかなと思った。

ハハちゃんは若いときから、ニンゲンに全く興味がなくニンゲンにこれっぽっちの執着もなかったことから、「わたし(ニンゲン)の目が離れてるときにこっそり旅立たれたらやだなー」と、本当に片時もハハちゃんから目を離さずにその日は過ごしていた。

ハハちゃんと親交のあったKちゃんに「ハハちゃんがもう近いかも」と連絡をした。するとKちゃんは子どもたちとすぐに、ハハちゃんに会いにきてくれた。
Kちゃんと子どもたちがうちに着いて、わたしが出迎え、ハハちゃんが寝ている場所にKちゃんたちを通して、そこで皆でおしゃべりすること数分…。ハハちゃんの呼吸がおかしくなった。わたしは皆のおしゃべりを遮った。

あぁ。ハハちゃん、行っちゃうよ…

苦しそうに息をいくつか吐き出したかと思ったら、まるでどこかに駆け出すように後ろ足をパタパタと動かして、それからハハちゃんは全ての動きをやめた。
呼吸もやめた。

ほんとに、ハハちゃんは何て子なの。ニンゲンに執着ないと勝手に思い込んでいたけれど、こんなにたくさんのニンゲンのお見送りの元で旅立つなんて。実のところほんとはだいすきだったのかな、ニンゲンが。

旅立ち3日後にハハちゃんに書いた手紙が残っているので掲載する。



ハハちゃん
今まで何度も「ダメかもしれない」と思ったけど、その度にハハちゃんはケロッとした様子で戻ってきてくれたよね。今回も戻ってきてくれるかなと淡い期待を持っていたよ。でも旅立つその日の深夜、鳴きながら固い固いうんちを出して、その後疲れ切ったように眠るハハちゃんを見てうっすらと「さよなら」を意識しちゃった。
最後までごはんを断固拒否することなく、一口二口ペロッとしてくれたよね。あれはハハちゃんのサービスだったのかな。ありがとう。
ハハちゃんをおうちに入れたのは2008年の夏の終わり。ぎうちゃんとトカタを捕まえた後、N(娘)が意を決してハハちゃんを捕まえようとし、Nの決心とは裏腹になんだか呆気なく捕まっちゃったことを覚えているよ。子どもたちと引き離されめちゃくちゃ警戒していたのかと思いきや、軽やかなステップでNの目の前に現れたことをNから聞いて笑ってしまったよ。おうちに入ってからはNが奮闘してくれたよね。ハハちゃんの鳴き声に対して近隣から怒鳴られたり。W(息子)がちょうど入院をしてしまい、わたしが一切ハハちゃんのお世話できずでNに任せきりになり、Nが相当やられていたよね。Nもハハちゃんも頑張ってくれてありがとう。
ハハちゃんは他ねこたちのことをあまり認識していなかったみたいだけど、るるのことは本当にだいすきだったね。るると一緒に寝ている写真がたくさん残っているよ。最後の方は、るるのこともあまりわからなくなってしまったね。でもるるはいつもハハちゃんのことをペロペロ舐めていたよ。
病院に行かないというわたしの決断に寄り添ってくれてありがとう。たくさんのお手入れに付き合ってくれてありがとう。ハハちゃんのお陰で、ねこたちの「症状」との向き合い方を一歩掘り下げることができたよ。ハハちゃんがわたしに「自信」と「信頼」をもたらしてくれたね。ありがとう。
わたしが確認しているだけで3回の出産と子育てをしたハハちゃん。そして子どもたちの生存率はめちゃくちゃ高くて、本当に立派なおかあさんだったね。
キレイなお顔をしているのに、行動はなんとなくひょうきんで、でもハハちゃん自身は至って真剣で、それがとてもとても愛らしかったよ。
ハハちゃんがこのうちから去って、夜は静かだし洗濯物もめっちゃ減っちゃって、なんだか手持ちぶさただよ。
もうカント、ターチェ、ノータ、そしてムジカに会えたかな。ハハちゃん、その子たちは「はじめまして」じゃないからね!
未だにごはん待ちするハハちゃんを確認するために、座卓に視線を向けてしまうよ。ごはん、おいしかったかな?いつもたくさん、好き嫌いしないで食べてくれてありがとう。
わたしがそちらに行くまで、みんなとワイワイと待っててね。またハハちゃんと会えるときを楽しみにしているよ。
ハハちゃん。
うちに来てくれてありがとう。
13年間わたしと一緒にいてくれてありがとう。
愛してるよ。


あぁ。
ハハちゃんに会いたくなっちゃったな。

2012年4月
だいすきなるるがくつろぐ箱の中に割と強引に突入していったハハちゃん。と、わたしに助けを求める視線を投げる、るる。

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