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わたしの愛しいご主人さまたち #06 ぎうにう(ぎうちゃん)

2014年くらい。わたしの脚を枕に寝る。


カント→トーノ→ターチェ→チェレ→ノータと次々に我が家に迎え入れ、ちょっとひと段落なのかな、と思った2007年の秋。

空き地のねこたちと関わるうちに、空き地以外で会うねこたちに目がいくようになった。それまで全く興味がなかったのに。

カントによく似た柄の子に時折遭遇するようになった。こねこを連れていた。おかあさんなんだね。仕事帰りにマグロのお刺身を手に入れ、カントたちにあげようと空き地に向かったことがあった。空き地に着く少し手前で、その親子ねこに会った。この際だからと、おかあさんねこにもマグロのお刺身を食べてもらった。とても美味しそうにおかあさんねこはペロッと食べた。その時にはっきりと認識した、後に「ハハちゃん」(→おかあさんだから笑)と名付けられたおかあさんねこ。ハハちゃんの子どもがぎうにう、通称ぎうちゃんだ。マグロをあげたときに連れていた子どもたちの次の出産で生まれたのが、ぎうちゃんだと予想している。

ぎうちゃんにはいつも一緒にいたきょうだいがいた。わたしたちはその子を「トカタ」と呼んでいた。ハハちゃんとぎうちゃんとトカタは、わたしが住んでいたマンションの植え込みの茂みの中で、3ニャン一緒によく寝ていた。そして、マンションの駐車場で遊んでいるぎうちゃんとトカタをよく目にするようになった。地下2階ある駐車場だ、落っこちないか冷や冷やしながらぎうちゃんとトカタを眺めていた。一度落っこちたことがあったのではと記憶している。こねこの鳴き声が一晩中マンション敷地内に響き渡っていたことがあったから。そのときはどうやってそこから出られたのか顛末はわからなかったのだが、これは捕獲してうちに入れるしかないかなーと、なんの躊躇もなく思ってしまった。

そうなると、3ニャン一斉に?捕まえる?果たしてどうやって?

カントたちを捕まえてくれたスーパーボランティアのH部さんに相談した。H部さんは「母ねこの警戒心は強いから、親子一緒に全員は難しいかも」と言いながらも、捕獲に協力してくれることになった。

そして、いざ捕獲の日。
もうわたしの記憶が曖昧なのだけど、なぜかうちの通りを挟んだ住宅の前で、ものすごく都合よくハハちゃんぎうちゃんトカタ3ニャンが揃って姿を現して、でこれまたどんな打合せをしたのかH部さんが捕獲器を用意してそこにおり、わたしと娘もいて、どんなに思い出そうとしてもこの奇跡的なタイミングの良さがどういう経緯で舞い込んだのか、全くわからない…。

ハハちゃんにはこちらの「捕まえよう」という魂胆がバレたっぽく、ひたすらわたしたちに威嚇をしてきて捕獲器に入るそぶりもない。ぎうちゃんとトカタは、用意した鶏の唐揚げにホイホイ釣られて、「わーーー!唐揚げだーーー!」と言いながらあまりにも屈託なく呆気なく捕獲器にin笑。H部さんとその場で話して、ひとまずは子ども優先にしようということで、そこでハハちゃんを捕まえるのは諦めることにした。

ぎうちゃんはこねこ時代、とても臆病だった。ふたりが駐車場で遊んでいるとき、何か食べるものを持って行ったら、トカタは「わーーー!!!!」と一直線にその食べ物に向かってくるのだが、ぎうちゃんは急いで植え込みに逃げ隠れるのだった。どうしても近くで姿を見たいわたしは、ねこ用のミルクを用意して差し出してみた。するとどうだろう。ぎうちゃんはおずおずと出てきて、勢いよくミルクを飲んだのだ。

ミルクでおびき出しに成功した子だから、命名ぎうにう。

うちに入れてからは#05のノータに激しく溺愛され、仕舞にはそんなノータが非常に鬱陶しくなったらしく、ぎうちゃんはキレてノータに怪我をさせてしまったことがあった。いや、でも、ノータが溺愛してしまった気持ちはわたしはよくわかる。めちゃくちゃかわいかったのだ、こねこ時代のぎうちゃん、顔が。面が。今でもかわいいけど。

捕獲後しばらくうちで過ごしたのち、トカタは里子として送り出した。初の送り出しだったので、不覚にも涙涙のお別れとなった。里親さんからは、たまに立派に育ったトカタの写真が送られてきた。幸せそうなトカタを見て、わたしもとても幸せだった。

ぎうちゃんは、我が家の男子陣の最年長者となった。他ねことうまく付き合えず、未だにあちこちにおしっこをまきちらす困ったやつなんだけど(我が家では老害と呼ばれている笑)、幼き頃のあのオドオドした表情を思い出すと、よくがんばってきたな!と労いたい気持ちでいっぱいになる。

にしても、いや、でも、尿攻撃はもうやめてよ。頼む。

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