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わたしの愛しいご主人さまたち #05 ノータ<あちらに移住組>


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2013年。だいすきなカント兄さん(手前)が寝ているケージに侵入するも、カントにウザがられてしまい目が泳ぐノータ。


ノータも、ターチェに続いてしっかりと闘病を体験し、看取りをした子。わたしの腕の中で最期の一呼吸をしてくれた、本当に下僕孝行なヤツだった。

N村さんがごはんをあげていた空き地で、最後に残ったのがノータ。ノータを捕まえるのも、N村さんとH部さんが引き受けてくれた。人懐こさはあるけど、抜群の運動神経とやや警戒心強めな彼は、もしかしたら捕獲に手間取るかな…と皆で予想していた。

のだが。

なんとノータは、用意された捕獲器の中に自ら入っていった…と、ノータ受け渡しの際N村さんから聞いた。

仲良しで、毎日一緒に過ごしていたきょうだいたちが、ひとりずついなくなっていったのだもの、ノータも思うところいろいろあったのだろうな。最後になってしまって、ごめんね。

ノータは、2020年7月17日に数ヶ月の闘病の末、この世界にさようならをした。何が原因だったのかは特定していない。病名も知らない。でも、結果「これでよかった」という時間をノータと過ごせた自負は強い。

ノータがこちらを去った翌日に書いた文章が残っていたので転載する。

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昨日7月17日(金)9:55に、我が家のねこのひとり、のーたが虹の橋の方へ向かった。推定13才ぐらい。彼の最期の一呼吸をわたしの腕の中でしっかり感じることができた。お母さん孝行だね。
今年の頭から、鼻血が出るようになった。同時に、呼吸時の鼻の音が異常なくらい大きくなってきた。詰まっている感じも伝わってきた。獣医に相談に行くと、過去にひいた風邪のウイルスが残存し悪さをしている(ねこの鼻の中の構造は複雑で、こういったケースがままあるらしい)か腫瘍、との診断。麻酔をし鼻を切開して組織を取り出し生検という選択肢を提示してくれたのだが、丁重にお断りした。ひとまず、西洋医学的な処置を行うことに決めた。と言っても、抗生剤の投与と吸入をするために通院すること、この二つしか手段はなかったのだが。最終的には、最後の2か月は投薬も点滴も吸入も全て止めた。
同時に、おうちでできるお手当てやお手入れについてたくさん調べた。結果最後の最後まで使用したのは「ひまし油」と「ヨモギ」。
一日数回、鼻の下に垂れてきてガビガビと乾燥してしまった鼻血をひまし油でマッサージし、お湯で濡らしたタオルで拭う。鼻の中にもひまし油を垂らす。これを毎日毎日。来る日も来る日も施した。のーたはとてもよい子で、お手入れしているときは基本暴れまくることはなかった。むしろ、ひまし油でマッサージしているときはウットリとしていた。気持ちよかったのかな。
5月に入って近所でヨモギが取れるようになったら、それを煮出したものを点鼻するようにした。ペーストを作ってこっそりごはんに混ぜたりもした。垂れてきた鼻血をその場で拭うときは基本、コットンをヨモギ煮出し液で湿らせて拭った。
ひまし油とヨモギ。この二つのアイテムは、のーたとわたしを何度も窮地から救い出してくれた。のーたの鼻の下の皮膚がここまでキレイに保てたのは、この二つのアイテムのおかげだと思っている。本当に力になってくれた。
毎日苦しそうな呼吸音、そしてまあまあな量の鼻血にも関わらず、ごはんはモリモリ食べていた。なんでも好き嫌いせずよく食べていた。6月23日までは。
6月23日の夜遅く、夕飯を全て吐き戻した。そして、翌日からごはんを食べなくなった。虹の橋方面へ向かった昨日まで、結局食べることは叶わなかった。(厳密に言うと、6月中に2回だけ食べた。それぞれ2、3口)自らごはんを食べなくなるというのは、わたしの中では「その子が死に向かう合図」みたいな基準を感じていたので、とても悲しくなった。食べて欲しいあまり、ごはんを持って追いかけたこともしばしば。ごはんを食べなくなり始めたと同時に、しんどそうにぐったりとしている姿を見ることが断然増えた。そして鼻から聞こえる呼吸音もどんどん大きくなっていった。明らかに呼吸すること自体が苦しそうな様子だった。
自ら食事を摂らなくなって1週間。これまたわたしの中で暗黙の「命が途絶えてしまう基準」みたいなものがあり、食べなくなったら1週間しかもたないと思っていた。なので漠然と6月いっぱいもつかな…と考えていた。たまに他ねこたちがごはんの時に、自らもどさくさで皆の輪に混ざっていかにも「ごはんください」風な顔して座っていることがあった。もしかして食べる?と思ってこちらは嬉々としてごはんを差し出すのだけど、いざごはんを目の前にするとプイっとどこかに行ってしまうのだった。
わたしの勝手な予想に反して、7月に入ってものーたはしっかりと生きていた。やせ細り、呼吸は苦しそうなんだけど、立派に生きていた。幾度か、ああもうダメかもという瞬間があったのだけど、ちゃんと生きていた。毎日生きているのーたの姿を見るにつけ「まだわたしがのーたにできることがあるんじゃないのかな?」という思いがムクムクと湧いてきた。そしていろいろ調べていくうちに、とあるサプリメント(?)に行き当たった。ネットで売っているところはあるけどすぐには手に入らない。それが届くまでのーたがもつかな?誰か持っていないかな??????→で、「もしかして持っていない?」と問い合わせた先は、Tちゃん。なんと、Tちゃんはそれを持っていた。事情を話すと、すぐに使わないからお譲りするよと言ってくれた…。ありがたい。
サプリを投与するとのーたは、明らかにそれまでと違う姿を見せてくれた。ふすまで爪をといだり、リラックスした体勢で眠ったり、呼吸音が静かになったり。もしかしたら、ここから挽回できるのかも!と思った。そのぐらい様子が激変した。
…でも。断固として食べなかった。何か無理矢理入れれば自ら食べるようになるかもと思い、とても不本意ではあったのだけど強制給餌をすることにした。シリンジで液体やペーストを少しずつ口の中に流すのだけど、これはものすごく抵抗された。でも、少しずつ流し込んでいった。「悲しい」という気持ちが、どうしてかな、その時たくさん浮かんでは消えていった。
のーたはまるでねことは思えないあつくるしいくらいの正義感を持っており、揉めているねこたちの間に割って入ることもあった。おそらく、そのせいでケガをしたこともあった。ケガをさせたこともあった。男の子なのに小さい子が好きで、後にやってくるこねこのお守りもよくしてくれた。運動神経が抜群によく、体型も顔も凛々しく、総合的にやつはイケメンな子だった。
今、とても不思議な気持ちがある。
のーたが行ってしまって当然めちゃくちゃ悲しいのだけど、一方で、やり切ったというか出し切ったというか、こうなんだか満たされる気持ち。すごく不思議。
6月28日のメモに、苦しさまぎれに「わたしが今思っているこうなったらいいなリスト」みたいなものを作っていた。元気なときにのーたがわたしによくしてくれていた行動など。
・しんどそうな姿を見たくない
・ごはんをモリモリ食べてほしい
・わたしの目を見つめて鳴いてほしい
・なでたらうっとりしてほしい
・なでたわたしの手をなめてほしい
・離れたくないまだ一緒にいたい
実はのーたは、これらのほとんどを、このメモを作った日以降にわたしにプレゼントして旅立って行ったのだ。「<ごはんをモリモリ食べてほしい>だけもらってないよー!」と思ったのだけど、昨日風呂に入っているときに思い出した。前日の夢で、のーたがわたしの手からカリカリを一粒ずつ三つ食べたのを。わたしがカリカリを一粒手に乗せたら、正面に座っているのーたが手からカリカリを口に入れてポリポリ食べる。それを三回。三回食べたら「もういらなーい」ってあっちに行っちゃったんだ。そういう夢を見たよ!と思い出した瞬間に、涙が溢れて嗚咽した。
今日、物質としてののーたとも完全にお別れした。さびしいね。のーたの鼻の音が聞こえない夜は、信じられないくらい静かで何だか居心地が悪かったよ。のーたの鼻血がいっぱい染みついたわたしの布団カバー、洗うのが惜しいんだけど。
もう大好きなカント兄さんに会えたかな。ターチェと揉めないでね。あと、あと、ムジカに襲いかからないでね。わたしがそちらに行くまで待っててね。わたしは死ぬまでしっかり生きるよ、のーたみたいにね。だいすきだよ。
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ノータの闘病時の記憶を辿るときはいつも、「アレもやってあげたかった、コレもやってあげたかった」と思ってしまう。わたしが無知であったことへの後悔のような。でも確かに言えるのは、ノータと共に体験したことが、その後でかちゃんにまるっと活かされている…ということ。加えて、ノータがこちらの世界を去っていなければ、あんなに軽いノリででかちゃんをおうちに迎えていなかっただろう。ノータは自身の「死」という出来事でもって、その後のうちの他ねことわたしのことを完全にサポートしてくれている。

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なんてイケメンなやつなんだ。
死んでなお、イケメンって…笑。

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