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【コラム】南チロルの風

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2003年から南チロルでソムリエとして働いているマサがサービス業を通じて気付きや考え方をコラムにしています。
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#ミラノ

【コラム】南チロルの風:13



ミラノの日常は・・・朝10時に起きて11時から語学学校。昼過ぎに帰ってきて、切売ピザなので昼食を済ませて15時に出勤。20時の営業時間を迎えるまで準備を行い、ゲストがお帰りになり、すべての業務が終わるのが24時過ぎ。夜中の1時前に帰宅したら、シャワーを浴びてルームメイトの福本伸也から夜食を作ってもらう。そこから明け方まで学校の宿題とワインの勉強。これが21歳の山下少年の1日のサイクル。

そん

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【コラム】南チロルの風:12

【コラム】南チロルの風:12

2001年の春からお世話になり始めたサドレル。そこでの私の仕事はワインをサービスすること。いわゆるソムリエの仕事と必要に応じてお皿を出し下げするカメリエーレの仕事を任されました。

「イタリアにはワインを勉強しに来ました!」

面接の時に大きい口を叩いてしまった山下少年は、ミラモンティで身につけたサービススタイルと本で得た知識のみで臨むことになりました。

しかしどんなに注ぎ方がうまくなっても、デ

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【南チロルの風】コラム11で紹介したワインの案内

【南チロルの風】コラム11で紹介したワインの案内

3世代続くニーノ・フランコ社は、現オーナーでもあるプリモ氏の祖父アントニオ氏が、1919年の第一次世界大戦後「カンティーナ・フランコ」という名でワイン産業に参入します。

アントニオ氏の息子ニーノ氏と共に、カンティーナは品質と規模を向上、拡大していきます。1970年代にニーノ氏の息子、プリモ氏により近代技術が導入され、その品質は不動なものへと変わっていきます。

コネリアーノの農業大学を卒業後、プ

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【コラム】南チロルの風:11



新たな門出21歳の3月、まだまだ冷たい春風が吹く中、山下少年はレストランサドレルの門の前に立っていました。このレストランで働くためにオーナーのサドレル氏と面接をする約束をしていたのです。数ヶ月前に康一兄さんと食べにきた時とはまた別のどきどき感と感じながら、いざ呼び鈴を押そうとするところでした。

思えばこの2ヶ月はたくさんのことがあっという間に過ぎ去って行きました。1月のサドレル訪問時の福本伸

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【コラム】南チロルの風:10



ブォニッスィモ Buonissimo!!
さてワインの注文はといいますと、これがいつものごとく大変な問題なのでした。当時から僕は何を食べようかと悩むメニューより、何を飲みたいか悩んでしまうワインリストに多くの時間を費やしていました。もちろん無言で。だまってワインリストとにらめっこをしていると、同席の方はたまったものではありませんね。その日も同じように康一さんを放っておきワインリストにかじりつき

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【コラム】南チロルの風:9



ミラノのリストランテ「サドレル」のホスピタリティ2001年の1月、その日僕と康一兄さんはミラノでタクシーに乗っていました。行き先はミラノ市内の南、ナヴィリオ地区にある康一兄さんの大好きなお店「サドレル」。

ちょっと出だしが遅かったせいもあり、予約の時間になってもまだたどり着けずにいました。その時、康一兄さんの携帯が鳴ります。

「今どちらにいらっしゃいますか?道はお分かりですか?」

とレス

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【コラム】南チロルの風:3



【南チロルの風 Il Vento dell’Alto Adige 3】

イタリア。ここには僕に大きな影響を及ぼしたあるワインとある人の存在潜んでいたのです。

そのワインとその人が僕をイタリアに連れてきたといっても過言ではありません。

イタリアにくるキッカケのワインスイスに住んで半年近く経ったある時期に、トスカーナ州のフィレンツェへ出かけました。

アンティノリ(Antinori)というワ

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【コラム】南チロルの風:1

【Il Vento dell’Alto Adige 南チロルの風】

このコラムを書き始める前に僕はここ南チロル地方(イタリア語別名アルト・アディジェ州)に来て18年目を迎えようとしています。

オーストリアとスイスに面した北イタリア。

そこは山に囲まれ、整備された落ち着いた街並、そしてのどかな風景。

常用語はイタリアだけど『ドイツ語』。

ここ南チロルは渓谷で形成されたアルプス山脈の麓にある

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