【コラム】南チロルの風:10
ブォニッスィモ Buonissimo!!
さてワインの注文はといいますと、これがいつものごとく大変な問題なのでした。当時から僕は何を食べようかと悩むメニューより、何を飲みたいか悩んでしまうワインリストに多くの時間を費やしていました。もちろん無言で。だまってワインリストとにらめっこをしていると、同席の方はたまったものではありませんね。その日も同じように康一さんを放っておきワインリストにかじりつきます。
当時働いていたミラモンティラルトロでは1,300種類という数多くのワインを扱っており、僕が見たこともないワインをソムリエのフランチェスコが毎日多くのお客様に振る舞っていました。グラスを磨きながらその日空いたワインの空ボトルを一つ一つメモする日々が続きましたが、その中でも特に印象に残っているワインがありました。白地に赤いブドウの樹の絵。ぱっと見て日本の桜のように見えるラベルが印象的で、フランチェスコに聞くと「これはボニッスィモだ(美味しいという意の最上級型)」と言うのです。その名も南イタリアのサッシカイアこと、「モンテヴェトラーノ」です。
このワインをサドレルのワインリストで発見した時は、迷うことなく決めました。
「今日はこのワインを飲んで、フランチェスコにボニッスィモだったと言ってやろう」
ワインの注文を受けたカメリエーラがワゴンにグラスとワインボトルをのせてガラガラやってきます。なれた手つきでボトルとそのラベルを僕に見せてくれて、ソムリエナイフでキャップシールを外し、コルクを手際よく開けます。ホストテイストを行う時のドキドキ感はたまりません。少量つがれたワインをまずはそのまま嗅いで、それから2・3度グラスを回してもう1度鼻にグラスをあてます。その少量のワインからは何とも言えない奥深さ、次から次へと現れる香りの数々、そして口に含むと今まで緊張していた顔がほころびます。
「ブォニッスィモ Buonissimo!!」
その一言を機にカメリエーラから康一さんにワインがサービスされ、改めて乾杯をした後、サドレルのディナーが始まりました。優しい味のお皿からだんだんとインパクトが強くなるお皿の構成が、ワインの酸化具合と相乗し、次に出てくるお皿が待ち遠しいほどでした。その間のサービスの方々も手際よく、一人一人がきちんと役割分担をこなし、スマートなサービスでした。都会的な印象がありましたが、固すぎず柔らかすぎず、そして皆さんがオーナーシェフのサドレル氏を支えているのが雰囲気で感じ取れた気がしました。
その日もチーズワゴンには気を取られていました。先ほどのカメリエーラがデザートの前にガラガラ僕らのテーブルへやってきたのでした。正直,その時点でお腹はパンパンでした。「チーズはいかがですか」と聞かれて,ちょっと躊躇していると、「お腹いっぱいのようですので、デザートの準備をいたしましょう」と一度背を向けたのですが、それを引き止めて
「いや、やっぱり食べます」
とここでもチーズ根性を発揮。その後にデザートまで食べたのですから大変な食欲です。ここでの発見はピエモンテ産のカステルマーニョです。牛乳をベースに羊乳や山羊乳を混ぜたものから作られ、2ヶ月から6ヶ月、より希少なものは2年ほど熟成された生産量の少ないセミハードタイプのチーズです。香りも独特で味の濃いチーズだったのですが、それが栗の花からとれる蜂蜜と共にサービスされ、食すると何とも奥深い味になるのです。ちょっと甘苦いニュアンスがある蜂蜜なのですが、その味の濃さとチーズとの相性の良さに当時のマサ少年は本当に驚かされました。
デザートも食べ終わり,食後のコーヒーも頂いたあと、相方の康一兄さんがキッチンを拝見させてほしいと申し出ました。ちょうど営業も落ち着いた頃を見計らい、サドレル氏に直接お願いしました。
「うちにも日本人が2人働いているんだよ、彼らはブラボーだよ」
相手方の職場を拝見させて頂く時はお客さんという立場は関係ないと思っています。それはそこに入る人は最高の敬意をもってお邪魔するという感覚を持つべきだと僕は思っているからです。調理場に入れさせてもらいながら横柄な態度を取るということは、まるで土足で他人のお家に上がり込むようなもの。働いている人は嫌な気分になると思います。他所のお家に行ったら、ちゃんと挨拶をしてお邪魔する。小さい時から両親から教わってきました。当然のことです。
キッチンへ入り、元気な声で「ボナセーラー」と挨拶をすると、皆さんせっせと後片付けに追われている様子。近くにいた日本人コックさんがすぐ目に飛び込んできて「こんばんは、初めまして山下将士です。よろしくお願いします」と言って頭を下げると、その方がすぐさま駆け寄って来て、ギラギラした目で「初めまして福本伸也です。今日は美味しかったですか?」と握手を求めてきたのです。この一人の日本人コックさんが僕のこれからのイタリア生活を熱く、そして情熱という言葉を改めて教えてくれる大事な存在になるとはその場では思ってもいませんでした。
続きはまた次回・・・・
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