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最近気づいた読書の魅力について

2020年頃から意識的に本を読むようしておりまして、正確なカウントではないのですが100冊くらいは読んでいるのではなかろうかというタイミングで、「自分にとっての読書の魅力」がようやく言語化された気がしているのでnoteに残しておきたいと思って筆を執っています。

自分の感情が言語化されること

もちろん「知識が増える」ことや「文章に慣れる」「ボキャブラリーが増える」などのメリットはある訳で、私もそういった「一般的な読書のメリット」が魅力的に感じていました。

しかし、最近気づいたことが「自分の感情が言語化されていること」に面白さや楽しさを感じるという事です。自分の中で言語化されていない「感情」って本当にたくさんあります。

・何故、嬉しいのか
・何故、悲しいのか
・何故、怒りが湧き上がるのか

これを「理解すること」「腑に落ちること」が読書の楽しさに繋がっていると再確認できました。


「ハッとする」面白さ

例えば私が今読んでいる「エーリッヒ・フロム」の「愛するということ」という書籍の一節で以下のような文章があります。

愛は能動的な活動であり、受動的な感情ではない。その中に「落ちる」ものではなく「みずから踏み込む」ものである。
エーリッヒ・フロム「愛するということ」

これは個人的に「腑に落ちた文章」であり、愛は受け取るものではなく「与える」ものであるという認識ができました。「自分勝手になるな」と子供のころから耳が痛くなるほど私たちは言われてきましたが、その理由がこの一文によって自分の中に解釈された気がしたのです。

こういった読書の中で得られる「解釈との出会い」「ハッと気づかされる面白さ」が私にとっての読書をする意義として大きなものになっていることに気づかされました。


よって「哲学的な本が好き」なことにも気づけた

つまり「感情を説明している本」を私は好いていることも分かりました。何かを成し遂げる「手法」を解説している書籍より、「何故こうなっているのか」「根本原因」を解説している書籍が好きであり、「哲学的な書籍」が自分に合っていることにも気づくことができました。

今回の発見で「より自分に合った書籍」を見つけやすくなったような気がしています。勿論、人によって読書をする理由は違うし、違うことが正しいとも思います。

ただ、自分の中で読書に関する考え方が変わった瞬間がありましたので、「これはnoteで共有しなければ!」と思った次第でございました。とりとめのない感想だけのnoteになってしまいましたが、私がこの記事でお伝えしたいことは伝えきれた気がしますので、この辺で締めとさせていただければと思います。

ここまで本記事をご覧いただき有難うございました!

somekichi

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