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ため息なんて、おならみたいなものだ
ため息が怖い
ため息を聞くと胸がギューッと苦しくなる
その中に含まれた苛立ち、諦め、失望、怒り、悲しみ全部が、自分のせいだというような気がしてしまう
やりたくないことでも、ため息を聞くと反射的に体が動いてしまう
ため息をつきながら何かをしているのを見ると手伝わずにはいられなくなってしまう
だから、自分も、人前でため息をしないように物凄く気をつけていた
そのくらいため息が怖くて仕方がなか
許されたかったんだなぁと。
私だけは駄目だと思った
あの子が受け入れられているのはあの子だからで、私は絶対だめだと思った
私が調子に乗ってしまったら、みんな目の色を変えて離れていく
目立たないように、欲を出さないように
許されてないから
私だけは駄目だから
だって空気が読めないから
だって宗教の人だから
だって考え過ぎだから
それでもいいよと、許してほしかった
しょうがないなぁと許してほしかった
許してやるよと言って欲し
プラグマティズムと「現証にすぎず」について
何かで見かけた「プラグマティズム」という言葉に興味をひかれて本を読んでみました。
プラグマティズムをWikipediaで調べると「ものごとの真理を理論や信念からはなく、行動の結果によって判断しようという思想」とあります。実用主義などと訳されるそうです。
結果が実用であることが真理。役立つことに意味があるというと、役に立ってないものを切り捨てたり、役に立てていない自分を責めてしまいそうな冷たい感
子供の問題(に見えるもの)はやはり自分の問題
最近、ふと浮かんできたのが
「我が子が、他の子供の輪に入れてないのを見ると、なんか不安だなー」
という気持ちでした。
そこでこの気持ちについて向き合ってみました。
子供は3歳。自宅保育でこれといった友達もおらず、私と二人で毎日遊んでいます。支援センターに行くと、他の子供と遊ぶよりもセンターの職員さんと遊ぶのが大好きです。
そんな我が子に対して私はいつも、「ほらお友達と遊んでおいで」と促した
自意識過剰でつらいときは、自分を赤ちゃんだと思う。不安だよなぁ。赤ちゃんだもんなぁ。って。
宗教間対話がしてみたい
学校に通う子どもたちが
宗教について垣根なく話す
お前の宗教ではこうなの?
うちではこうだよ。と。
そのためにできることを考えている。
宗教二世問題で、被害者として宗教の垣根なく被害を訴える人たちがいる。
その人たちを救おうとする人もいる。
みんな、宗教の被害者をなくそうとしている
私も大賛成だ。
ただ、それは、どうやら私のやりたいことではない。
私は、新たな被害者を産まないために宗教を潰す
励ましの言葉について考えたこと
励ましの言葉というのは、多分ない。
あるのは、励まされた言葉だけだと思う。
例えば、頑張りたいと思ってるときに言われる「頑張れ」は励ましの言葉になるし、頑張りたくないと思ってるときの「頑張るな」は励ましの言葉になる。
その人が今思ってることに沿った言葉、励まされた言葉が、結果的に励ましの言葉になるのだと思う。
うつ病の人に「頑張れ」と言ってはいけないと言われるけど、これもきっと絶対ではない。う