さくたろう

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さくたろう

計画的ではありません。思いついたことをわーっとやる即興タイプです。趣味は心に向き合うこと、子供と散歩することです。

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  • 子育ての中で思ったこと

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    ふと思ったこと、いろいろ

  • 宗教について考えたこと

    自分の所属するものだけでなく宗教全体について考えたことをまとめました

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  • ※休止中※ADHDのこと

    私がADHDと診断されてからのこと。体験談から病院のことや認知行動療法や心理学について書いていきます。内容はほぼ実話ですが登場人物はフィクションです。

最近の記事

学校に行かせたいは、野菜を食べさせたい

学校に行かせたいという気持ちと野菜を食べさせたいという気持ちは、よく似てるなーと思っている。 家がごはんだとしたら、学校は野菜。 親は、子どもがご飯しか食べたがらないと心配になる。 野菜を食べなくても生きていけることはわかってる。でも、 野菜でしか取れない栄養もあるし、栄養不足になってしまうんじゃないか。 野菜不足で体が育たなかったら、病気になったら。 食べないのは私のせいなんじゃないか。 もっと工夫して美味しい料理にしないといけないんじゃないか。 せっかく作ったのに

    • 登園しぶり中にやったこと、やってること

      入園から早3ヶ月、まだ一週間毎日幼稚園に通ったことはない息子ですが、少しずつ幼稚園に行くことを納得してくれている感じがします。 幼稚園の先生方が寄り添ってくれたおかげもあるだろうし、この方法がよかったという答えみたいなのはわからないのですが、いろんなことやったなーという自分の備忘録のために書いておこうと思います。 行かないと言ったら休ませる 基本的にはこの方針でいます。本人の意思なので休ませるというのも変な気がしますが、本人が休むと言ったら幼稚園に休みの連絡を入れました。

      • ため息なんて、おならみたいなものだ

        ため息が怖い ため息を聞くと胸がギューッと苦しくなる その中に含まれた苛立ち、諦め、失望、怒り、悲しみ全部が、自分のせいだというような気がしてしまう やりたくないことでも、ため息を聞くと反射的に体が動いてしまう ため息をつきながら何かをしているのを見ると手伝わずにはいられなくなってしまう だから、自分も、人前でため息をしないように物凄く気をつけていた そのくらいため息が怖くて仕方がなかった 今日、気分が落ち込んで動けなくなっていたら、家族のため息が聞こえて、こん

        • 子育ての公式

          学生の頃、数学の公式を覚えるのが苦手だった。というより、「こういうときは、この公式を使えばいい」という覚え方が苦手だった。 教科書や先生を信頼してないわけではないけど、公式だけを覚えるのはどうしても違和感があって、覚えてもすぐに頭から出ていってしまった。 逆に言えば、式を展開して、何度も問題を解いて、どうしてこの公式の形になるのかを自分で納得できてしまえば、公式はすんなりと覚えることができた。 もちろんテスト前などはそうも言ってられなくて、無理やり覚えることもあったけど

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        記事

          仏性と感情、光と色

          仏性と感情の関係は、光と色の関係に近いんじゃないかと考えた。 誰もが仏性(光)を持っていて、それが現実(物質)に反射して感情(色)が生まれる。 緑色を反射する環境にいれば、緑色になるし 青色を反射する環境にいれば、青色になる でも、生まれてからずっと同じ環境にいれば、自分は緑色なのだと思ってしまう。青色にはなれないんだと。 がんばって環境を変えれば、青色になれることを知れるかもしれない。  でも本当は、環境を変えなくたって、自分が光なんだって気づけたら。緑色でも青色

          仏性と感情、光と色

          不安の大きさ

          私が思ってた不安の大きさはこうで ひとつひとつを解決しないと 不安は消えないと思って とても無理だなって途方に暮れていた でも、本当は多分こうで ただ、目の前の不安だけ見ればよかったのかもしれない 私は自分の不安を見てたつもりで いつも不安の原因ばかり見ていた この状態が"外道"だって何回も言われてて 何回も気づいたはずなんだけど 懲りずに何回もこの状態になってしまう 今日は自分の中で図解できたので 書き残しておこうと思いました

          不安の大きさ

          許されたかったんだなぁと。

          私だけは駄目だと思った あの子が受け入れられているのはあの子だからで、私は絶対だめだと思った 私が調子に乗ってしまったら、みんな目の色を変えて離れていく 目立たないように、欲を出さないように 許されてないから 私だけは駄目だから だって空気が読めないから だって宗教の人だから だって考え過ぎだから それでもいいよと、許してほしかった しょうがないなぁと許してほしかった 許してやるよと言って欲しかった そうしてもらえてたときもあった 全くなかったわけじゃない 安心していら

          許されたかったんだなぁと。

          ありのまま祈る

          それを望むことは何も悪くない 今望む通りになってなくて悲しいことも何も悪くない 悲しいね なってないね 悲しいね こうなってほしいね それは何も悪くない こうしてほしいのに してくれなくて悲しいね こうして欲しがってるってわかるのに したくないね でも悲しそうなのを見ると悲しいね だけどしたくない 悲しそうで嫌だね悲しいね 悲しくなんかならないで欲しいのに 嬉しい顔をしてほしいのに してくれなくて悲しいね こうしてほしいね でもしてくれないんだって 嫌だね悲しいね こ

          ありのまま祈る

          プラグマティズムと「現証にすぎず」について

          何かで見かけた「プラグマティズム」という言葉に興味をひかれて本を読んでみました。 プラグマティズムをWikipediaで調べると「ものごとの真理を理論や信念からはなく、行動の結果によって判断しようという思想」とあります。実用主義などと訳されるそうです。 結果が実用であることが真理。役立つことに意味があるというと、役に立ってないものを切り捨てたり、役に立てていない自分を責めてしまいそうな冷たい感じもしますが、本を読むと、その印象が変わりました。 本文では、結果をどのように

          プラグマティズムと「現証にすぎず」について

          子供の問題(に見えるもの)はやはり自分の問題

          最近、ふと浮かんできたのが 「我が子が、他の子供の輪に入れてないのを見ると、なんか不安だなー」 という気持ちでした。 そこでこの気持ちについて向き合ってみました。 子供は3歳。自宅保育でこれといった友達もおらず、私と二人で毎日遊んでいます。支援センターに行くと、他の子供と遊ぶよりもセンターの職員さんと遊ぶのが大好きです。 そんな我が子に対して私はいつも、「ほらお友達と遊んでおいで」と促したり、私が他の子供と話してから我が子に「おいでおいで」と誘ったりしてなんとか輪に入

          子供の問題(に見えるもの)はやはり自分の問題

          ハードルをさげよう

          なんかつまんなくて嫌で でも何も他にしたいことも 思いつかなくて つまらないなら したいことしなきゃ 楽しい自分にならなきゃと 思って でも思いつかなくて 余計につらくて つらいよー 苦しいよー ってしてたら 今はそれでいいんだなと つまらないなーってうーってやるのも 楽しいなーって何かやるのも 同じくらい どっちが価値有るじゃなく 全く同じ価値なんだなと ふと思って そしたらなんかバウムクーヘン食べよって思えた

          ハードルをさげよう

          創価学会の子供たち

          私が小さい頃(1990年〜2000年代)の思い出。twitterにあげたものをいくつかまとめました。

          創価学会の子供たち

          自意識過剰でつらいときは、自分を赤ちゃんだと思う。不安だよなぁ。赤ちゃんだもんなぁ。って。

          自意識過剰でつらいときは、自分を赤ちゃんだと思う。不安だよなぁ。赤ちゃんだもんなぁ。って。

          宗教間対話がしてみたい

          学校に通う子どもたちが 宗教について垣根なく話す お前の宗教ではこうなの? うちではこうだよ。と。 そのためにできることを考えている。 宗教二世問題で、被害者として宗教の垣根なく被害を訴える人たちがいる。 その人たちを救おうとする人もいる。 みんな、宗教の被害者をなくそうとしている 私も大賛成だ。 ただ、それは、どうやら私のやりたいことではない。 私は、新たな被害者を産まないために宗教を潰すことではなく、 宗教を被害者の生まれない場所にしたい。 そのためのいろんな方法

          宗教間対話がしてみたい

          ホモ・ルーデンスと衆生所遊楽について

          絵本作家のいとうひろしさんが「遊び」についての記事を寄稿したというので、その雑誌を買ったら、「ホモ・ルーデンス」という言葉に出会いました。 「ホモ・ルーデンス」というのは、ホイジンガという人が書いた本のタイトルでもありテーマでもある言葉。人間はホモ・サピエンス(賢い人)ではなく、ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)だということが書いてあるそう。おもしろそうだったので、早速、図書館で借りてきました。 読んでいるうちにわかったのは、遊ぶというのは、ただ楽しみを指しているのではなく、人間

          ホモ・ルーデンスと衆生所遊楽について

          励ましの言葉について考えたこと

          励ましの言葉というのは、多分ない。 あるのは、励まされた言葉だけだと思う。 例えば、頑張りたいと思ってるときに言われる「頑張れ」は励ましの言葉になるし、頑張りたくないと思ってるときの「頑張るな」は励ましの言葉になる。 その人が今思ってることに沿った言葉、励まされた言葉が、結果的に励ましの言葉になるのだと思う。 うつ病の人に「頑張れ」と言ってはいけないと言われるけど、これもきっと絶対ではない。うつ病の人は、本心で頑張りたくないと思ってる場合が多いから、結果的には「頑張れ」と

          励ましの言葉について考えたこと