人生は思い出でできている❷英国ランズエンド(Land's End)
イギリスの西の終着駅ペンザンス(Penzance)を起点にして、ランズエンド(Land’s End)を目指す旅の続き。
”地の果て”ランズエンドは、イギリス最西端の岬のことだ。そこへ連日、結果的に3度おとずれることになった。
あ、いや、正確にはそのうちの1度は未遂・・・なので、2度というのが正しい。
最初は、かの有名なガイドブック、『地球の〇〇方』を参考にした。
「バスを降りて、海ぞいの道を歩いてランズエンドへ行きました」という読者の体験談コラムがあったのである。
海ぞいの道を歩いて、“地の果て”の岬まで行くという ――― これにロマンを感じる向きの方、それにくわえて見切り発車をしてしまいがちの方は、要注意。
まぁ、昨今はインターネットがあるから、何の下調べもせずに無謀な賭けに出る旅人はいないだろうけど。
わたしが訪れた30年前は、ラップトップやタブレットという文明の利器のない時代。現地情報は、ガイドブックから得る知識がすべてだった。
そしてわたしはロマンを求めるタイプで、自慢ではないが見切り発車型なのである。
かのガイドブックが、ときに『迷い方』と揶揄されるのがどういうことか、身をもって体験することになった。
体験談に倣ってバスを降りたが、まず海ぞいの道が見つからない。
遠くに見える海に、少しでも近づくように道なりに歩いていくが、いつのまにか海は見えなくなっている。
海に近づいているのか、それとも離れているのか ―――?
勘を頼りに、田舎道をてくてく歩く。ようやく、また海が見えてくる。
近隣の人が出てきた。ランズエンドまでどのぐらいかと訊ねると、「5マイルはあるかなぁ」と、気の毒そうな顔で言う。1マイルは、およそ1.6キロメートルだ。
(うっ・・・!)
急がねばならない。
イギリスの冬は日が短く、15時を回ればもう夕焼けだ。
わたしは時間を気にせず旅する主義だったが、すでに日が暮れかかっている。じきに暗くなるだろう。
広い草原に出た。放牧地かもしれない。その向こうに、夕日に照らされる広大な海があった。
――― この草原さえ突破できれば。
誰かに見つかるとか、そんなことを気にしている余裕などない。
――― ここを突っ切れば、ここさえ突っ切れば、海ぞいに道が、海ぞいに道が・・・
悲壮感をただよわせ、ズンズン草原を突っ切っていく。
――― 見つかって咎められたら、その時はその時だ。
覚悟を決めた。
そして突っ切った先で見つけたものは・・・
敷地を区切っている、有刺鉄線だった。
しばらくして、わたしはペンザンスへ戻るバスに乗っていた。
通りがかった人にすがりつくようにバス停の場所を訊ねると、「ついておいで」と、バス停まで連れていってくれた。まるでもう、子供のようだった。
羊が放たれている草原。その向こうに、名残の夕日に照らされる海。
はるか遠くに見えるのは、ランズエンド(?)の切り立った崖・・・
バスから、そんな光景を名残惜しく見た。
***
その翌日は、ランズエンドまでおとなしくバスに乗ることにした。
ロンドン市内を走っているのと同じ、赤いダブルデッカー(二階建てバス)だ。
ほぼ貸し切り状態で、2階席から長閑な田舎の景色を楽しみながら行く。
ランズエンドでは瀟洒なホテルが唯一、人の営みを感じさせるものだった。
土産物屋らしい建物もあるが、こちらはクリスマス休暇のようだ。
ほかには、草原と海と、空の広がりだけ ―――
ホテルの喫茶で食べたスコーンの美味しさは、一生忘れないだろう。
作りたてなのか、温かくて、ホクホクとしていて、イギリスのスコーンってこんなに美味しいのかと驚いた。それにジャムやクリームを塗ると、もう絶品なのである。
東京で始めて蕎麦を食べたとき、蕎麦ってこんなに美味しいものだったかと、蕎麦についての認識を新たにしたことがある。
そういう、食べ物についての驚きを経験したことのある人は、きっと多いにちがいない。
東京の蕎麦とランズエンドのスコーンは、わたしにとってそういうものだ。
***
翌日は、滞在していたB&Bで出会った日本人の若者が、セント・マイケルズ・マウントとランズエンドにレンタカーで行くと言うので、同乗させてもらうことにした。
見ず知らずの若者の車に同乗するなど、それだけ聞けばいかにも尻軽っぽい。(実際にはそんなことはない)
ランズエンドを、もう一度見ておきたかった。
それに車で連れて行ってくれるなんて、こんなにラクチンなことはないと思った。彷徨い歩くようなことには、絶対にならないはずだ。
しかし・・・連れて行ってもらってこう言うのは申し訳ないが、この日のことは、ほとんど記憶していない。
憶えているのは、セント・マイケルズ・マウントを背景に写真を撮ってもらったこと。満ち潮でザブンザブンと海水が一本道を覆っていたため、島へ渡れなかった。
そして、ランズエンドの岬は強風で、「鼻水が出る」とかなんとか言われたことを憶えている。それも、撮ってもらった写真から記憶の糸をたどるようにして、やっとこさ思い出した。
***
3度目のランズエンドがどうして記憶にないかというと、あっけなく目的地に着いたからだ。
2度目に無理せずバスで行ったときは、ホテルの喫茶室でウェイターさんに写真を撮ってもらったことと、スコーンの美味しさが一生忘れられない、幸せな思い出になった。
ロマンを求めて迷子になった1度目のことは、そのとき味わった一つひとつの感情を、いまも生々しく思い出す。
ランズエンドにたどり着きたくて、たどり着けなかった。
あの時の叶わぬ思いが、甘く懐かしく、心に残っている。
(了)
みなさま、良いお年をお迎えください ―――
または、
明けましておめでとうございます ―――
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