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あのオスはなぜモテるのか

イメージしやすいように、具体的な一例から書き出す。クジャクだ。

彼ら彼女らは一夫多妻制である。求愛の時、オスは、鳴きながら羽を打ち鳴らす。

厳密には、尾羽と言うより “腰羽” に近い。オスはメスよりも、短い距離しか飛べない。

ある種のオスは、なぜ・どのように、顕著な身体的特徴(極端な装飾をともなう求愛行動など)を進化させたのだろうか。


わかりやすいため、引き続き、クジャクを例にして話す。

まず、ある種のメスが、他よりも尾羽が目立つオスを強く好んだ。そういうメスたちが、そういうオスとばかり交尾したがった。

そうして生まれたそのオスの子孫(オス)は、同様の身体的特徴をもちやすい。そうして生まれたそのメスの子孫(メス)は、同様の好みをもちやすい。これが積み重なる。

尾羽が派手なオスが大半をしめるようになると、もはやメスは、それ系のオスとしか交尾しなくなる。

やがて、その種は、極端な性的二型性をもつようになった。

キジもそう。オスは派手、メスは地味。

これが、1930年代にR.A.フィッシャーによって提唱された、ランアウェイ仮説である。

この説は、獲得した特徴が、実用的でない場合も多いことに言及。

クジャクのオスの羽は大変重い。人間で言い表すと、イケメンだけど、ケンカに弱い(身体的に劣等か?)・収入が低い(人類の特徴たる知能が低いか?)などとなるか。

メスは、大した理由もなく、目立つものを選んでいるという。目をひく特徴は、オスの善し悪しを示さないという。

ランアウェイ仮説は「てへぺろ」みたいな感じ。

ランアウェイ仮説の他に、パラサイト仮説とハンディキャップ仮説もある。それぞれ見てみる。

パラサイト仮説

派手な羽をキープできるのは、寄生虫などがついていない(健康体である)証拠。 優良な子孫を残せる可能性が高い。

なるほど。

ハンディキャップ仮説

あの羽は無用の長物ではない。メスも、根拠なく選んでいるわけではない。ハンディキャップ(移動しにくかったり、敵に見つかりやすかったりする)を抱えても、生き残っている。そんな、優れたオスであるという示しを兼ねている。

メスは「不利な条件でも負けないオス」を好む。なるほど。八ンディキャップ仮説、なかなか有力ではないだろうか。


「ドリブルこそチビの生きる道なんだよ!!」「オレがチームを強くして…試合に勝って…それで彼女が笑ってくれれば最高さ」

本題と一切関係ないのだが。
私はこの手の絵に違和感を感じる。右掌と左手が混同したような変な感じがする。

こんな感じ、リョータくんの感じなら。自然界のハンディキャップ仮説が、人間界にもほぼそのまま、当てはまるのだ。

繰り返すが。difficulty をものともせずライバルを蹴散らすということは、それだけ、別の高い能力があるということなのだから。

社会で活躍している、さまざまな男性を思い浮かべてほしい。

みんなが見目麗しいか?また、イケメンで能力も高い男性が、他男性陣から毛嫌いされているか?そんなことはないだろう。


こうではないケースを考えてみてほしい。

メスにモテるということ、これに、原因も結果も全てが集約されている。こんな感じになっている人のことを。

メスAにモテたことがメスBにモテることにつながり、メスABにモテたことがメスCDにモテることにつながる……の連鎖。

結局はモテの理由がこれだけである人や、一般論で見て秀でたところが見当たらない人は、大昔は、他のオスたちからこん棒や岩で頭を殴られて死んでいた。

1人で女をあまりにも多く抱えるなど、“大罪” である。モテ男に嫉妬したら恥ずかしいなどというのは、現代の感覚にすぎない。アイツはズルい → アイツはじゃまだ → 消そう。 

嘘つきや仕事をサボる者も、集団に不利益であるため、殺されやすかったが。


他に注目すべき高い能力などがあれば、話は別だった。

肉体が屈強で、狩りや戦闘で役に立つ以外にも、同性の機嫌の取り方はなくはなかっただろう。

この作品は、異世界転生したからといって、完全なるチートはできないことが表現されていてよい。
ブレインとしての活躍だけでは足りなかった。主人公が真に認められたのは、戦果をあげた時かつ実戦に参加した時だった。『アバター』と似た展開がある。意気投合する相手の想い人は主人公を気に入っている。この後なら、その子をすんなり譲るかもしれない。

現存している我々は、主に、そういった生き方のうまい者たちの子孫である。そうでない者は、よく殺されていたのだから。

人類はクジャクと違い、ランアウェイ仮説で説明されるようなオスばかりを、生き残らせなかった。

ある種の男たちを逃げ勝ちさせなかったのだ。


現代。モテる男がモテない男を嘲笑うという現象が、一部の男性に見受けられる。「弱者」「キモヲタ」などと呼び。

そんなふうにしていられるのは、特に逃亡タイプは、現代社会に生きているからである。彼らは、彼らが「強い」から殺されていないのではない。法律などの文明化に、保護されているからだ。

そういった人の中に、非常識なタイプであることを売りにしているような人も、散見するが。彼らを守っているのは、皮肉にも、ジョーシキである。

ウェイ系がラナウェイできてしまっている。笑


かつてダーウィンは、自然淘汰理論による説明を欲して、エイサ・グレイ(19世紀のアメリカで最も有名な植物学者)に、こう言ったそうだ。

「クジャクの尾の羽を見ると、いつも気分が悪い」

クジャクのオスなんなん?意味わからん!ということ。彼の理論に矛盾するからだ。あの羽ダンス、ダーウィンを煽っていた。笑


どの説が正しいかはわからないが。答えは複合的かもしれないし。

メスがオスを選べる種では、メスの好き嫌いが、オスの子孫の数に大きな影響を与える。

オスにおける観賞用の何かの発達は、その欠点が(もしあったとしても)利点によって相殺される限りは、進行するのではないか。

これは結果論なのだが。結果とは、ある意味、全てである。


1970年代に、アモッツ・ザハヴィが、Costly Signaling Theory(CST)を唱えた。

自然界で見られる、高価で無駄の多いシグナル(特徴や行動)は、シグナル発信者とシグナル受信者の間に、信頼感をもたらすという。CSTは、自然界に数多く存在するとも。

これをコマーシャルやマーケティングと比較。

人間のコマーシャルやマーケティングというものが登場する以前から、生物たちは、何らかの方法で商品(自ら)を宣伝し続けてきたと。

そこから、色々と考察がなされたりしている。また機会があれば、この話も書こうと思う。