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「やがて訪れる春のために」 はらだみずき

「なにもおおきなことではなく、できることをやればいい。」



「やがて訪れる春のために」 はらだみずき



村上真芽(むらかみまめ)は、花屋の前でふと足が止まります。


人はどうして花を愛でるのだろう?


〝花〟は人生にとって、必ずしも必要なものではない。


しかし


〝花〟は人生を豊かにしてくれるものだ。

        
         ◇


真芽は、大学の家政学部を卒業後、
洋菓子メーカーに就職しました。


しかし


希望した商品開発の部署ではなく、
配属されたのは総務部。


そのことについてはショックでしたが、なんとか仕事を続けることができたのは、「カフェをやりたい」という夢があったから。


その夢の話に乗ってきたのは、学生からの友人・吉村さおりと、同期の小宮克己。


週末には、彼らとカフェ巡りに行きました。


具体的に出店場所を真剣に探す真芽。


鎌倉で出店したいと考えていた真芽は、
ひとり視察に出かけるのですが……
見てはいけないものを見てしまうのです。


親友のさおりと、将来のパートナーだと
思っていた克己が仲良く歩いている。


あきらかに一線を越えた二人の姿。


気落ちした真芽は、その足で縁切寺に行くのでした。二人と縁を切るために。


数日後、真芽は会社に退職届を出します。
駅前の花屋の前で足が止まったのは、まさにその日でした。


それから約7カ月後、真芽のおばあちゃん(80歳)・ハルが大腿骨頸部を骨折し、入院します。


見舞いに行った真芽は、ハルに「(留守中の)家を見てきてほしい」と頼まれます。


久しぶりに昔住んでいた千葉県佐倉市の生家に行った真芽は驚きます。荒れ果てたその庭を見て。


昔、花が咲き誇っていた「思い出の庭」は見る影もありませんでした。


真芽の家族とハルは、かつて一緒に暮らしていました。真芽の家族が引っ越したのは、彼女が小学校を卒業した直後。


手狭になった家の建て替えのことで、両親と祖父母の間にいざこざが起きました。それ以来、祖父母とは疎遠になったらしい。


「庭はどうだった?なにか花は咲いてたかい?」と聞くハルに、真芽は


「あ、うん。咲いてたよ。春のにおいがした」


と思わずうそをついてしまいます。


再びハルの見舞いに訪れた真芽は、ハルの言動に違和感を感じました。


「そういえばあんたが家に行ってくれたとき、だれかに会わなかったかい?」


「庭に誰かが侵入してくる」とハルは言うのです。


真芽はまたハルの家に行きます。家の中に入ってみるとギョッとしてしまいます。柱に何枚も貼り紙がしてあるのです。


〝お願い 家には入らないでください〟
とか〝さわるな!〟とか〝また、だれかが家に入りこんでいる〟〝すぐにでなさい!〟とか。


真芽は戸惑います。ハルが言っていることは本当なのか? あるいは、ハルは惚けてしまったのだろうか? 庭の荒れようを見てもそう感じるのです。


真芽は、昔のハルの笑顔が浮かび、涙が溢れてきました。


このままではいけない。ハルが帰ってくる日までに、この庭をなんとかしなくては。


両親や叔母は、ハルが認知症だと考え、老人ホームに入れようと考えていました。そして、生家を売ってしまおうと。


真芽は、ハルの家に住み、パートタイムで働きながら庭を再生してゆきます。時間はあまりありません。


庭づくりをしている中で、ハルの言動や、貼り紙、それに起因する謎がでてきます。それはハルが認知症なのかもしれないという疑問の中で。


しかし


庭づくりをしていく中で、その謎が解かれていきます。


心強い学生時代の友達があらわれました。


茄子さん(ナスビー)と遠藤君が
そんな真芽の力になるのです。


とくに遠藤くんは真芽の初恋の人であり、ハルも贔屓にしていた花屋の息子。


植物のことに非常に詳しく、普段は口数が少ないけど、花のことになると饒舌になる。今は遠藤生花店は無くなり、遠藤くんはホームセンターの園芸コーナーで働きながら、真芽の庭づくりを手伝います。


「庭っていうのは、持ち主がどんな庭にしたいか決めるとおもしろいものになる。

たとえば自然を生かしたナチュラルガーデン、野鳥を呼ぶ庭、水辺に水草を生やしたメダカのためのビオトープとかね、それに、庭を見るとね、かなりわかるんだよね。その庭の持ち主の趣向が」


遠藤君は真芽にそう言いました。


素敵な訪問者たちも真芽の庭を応援します。お隣に住んでいるジローさん(大地主らしい)、おかっぱ頭の女の子・あずきちゃん(ハルばあの友だち)、真芽の弟・樹里(きさと)、猫のモンブラン。


真芽は、手づくりのブルーベリーやラズベリーのマフィンでもてなします。ハルの庭で。心を癒してくれる季節の花たちとともに。


そして


真芽は、ふと気づくのです。


━ 今の私になにができるのか。


それは、水の濁りがすっと澄むように出てきた答えでした。


今の私には、今の私にできることしかできない。そう、思い至ったのだ。

なにもおおきなことではなく、できることをやればいい。なんのためにとか、そんなことはこだわらなくてもいい。むずかしく考える必要はない。自分がやりたいことを、自分のやり方で、できる範囲でやればいいのだ。


このあと、真芽は自分の夢(ガーデン・カフェ)に向かって進んでゆきます。家が売れるまでの期間限定で。


たとえば、お腹がすいている人がいる。

喉がかわいている人がいる。

居場所がないという人がいる。

だれかとしゃべりたい人がいる。

そんな人たちにわずかでも安息を与えられる、
週末だけのカフェをここで開こう。

せっかくのハルの庭を、もっと人が集まれる場所にしよう。


真芽は、ハルに再生した庭を見せることができるのでしょうか? 時間はもうあまりありません。

         

         ◇


この物語は、この本を読んでいる僕自身にとっても「答え」を示唆してくれた本でありました。


この本は何度かこのnoteで触れてきました「一万円選書」の中の一冊なんです。


その中で、僕はこんなことを選書カルテに書いていました。


***

いちばんしたい事は何ですか? あなたにとって幸福とは何ですか?

人の心を軽くできるような、そんな場を作れたらと漠然と考えています。それは定年退職してからの夢ですが。
そういう場を持ちたいことと、家族が幸せであればそれが自分の幸せです。

***


このような問いかけがあり、真剣に考え、書きました。今、一番自分は何がしたいのだろうかと?


本当に漠然とですが、退職してから「本に関わる何かをやりたいなぁ」とそのとき考えていました。いや、今でもそうなのかもしれません。ハーブが好きなので、本を読みながら、ちょっとしたハーブも鑑賞できるような。珈琲やハーブティーとともに……


実際は難しいだろうと思います。


でも


そんな僕自身の願いが、この本には詰まっていました。夢を見させてくれました。


なにもおおきなことではなく、できることをやればいい。なんのためにとか、そんなことはこだわらなくてもいい。むずかしく考える必要はない。自分がやりたいことを、自分のやり方で、できる範囲でやればいいのだ。


この言葉は、自分を勇気づけてくれましたし、一歩踏み出す力をあたえてくれました。


幸せという花は、どんな場所にも咲かせることができる。認知症の祖母と向き合う家族と庭の、「再生」の物語。


いつの日か


「やがて訪れる春のために」



【出典】

「やがて訪れる春のために」 はらだみずき 新潮社


P.S.

とても素敵な装丁です。飾っておきたい本です。できたら文庫本ではなく単行本がおすすめです。


milkさん、ありがとうございました。


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いつも読んでいただきまして、ありがとうございます。それだけで十分ありがたいです。