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ひとりでいることの幸せ

自分は今、幸せといえば幸せなんだろうなと思う。

どうでもいいと思っていることに、どうでもよくないふりをすることなく生活できているのだ。

本当はそう思っていないことを一言も言うことなく暮らせているのだから、きっとそれは幸せなことなのだろう。

つまらない話や、どうでもいい話をちょくちょくと聞かされる日々を送っている人には、そんなことは不可能だろう。

親でも配偶者でも子供でも恋人でも友達でも、自分に対しての興味をほとんど失ってしまっている人と暮らして、その人がいつもどおりという感じに、特に何を思ったわけでもなく、ただなんとなく言うとよさそうな気がしたからと喋りだした話を聞いていないといけない人は、自分もその相手と同じような存在になって、同じように何を思ったわけでもなく返事を返すことでしか、その相手につまらないやつだなと思わずにはいられないのだろう。

みんな、そういうような、何も考えなくていい幸せを求めて、誰かと一緒にいようとしているのだろうけれど、そういうものではない幸せというのもあるのだ。

自然と楽しい顔になってしまうほど楽しくなっているわけではないのに、楽しい顔をしないといけないことは、どれくらい幸せなことなんだろうと思う。

誰かがそばにいるから、楽しいときの顔をすることで、楽しく過ごしている気分になれて、自分は今という時間を無為に過ごしているわけではないと思えるというのはあるのだろうし、そうできる相手がいて自分は幸せだと思っている人がたくさんいるのだろう。

ひとりでいると、誰に向かっても、楽しそうにしたり、うれしそうにしたりできないし、そうしたときには、まるで自分は、楽しいことやうれしいことがない日々を過ごしているように感じられるのだろうし、そういうときに人は自分を不幸だと思って、幸せになりたいと思うのかもしれない。

けれど、自分を不幸せに思わずにすむというのが幸せだなんて、本当に幸せな人はそんなこと思わないのだろう。

自分の存在や自分の活動を、長い時間の中で世界から肯定されているように感じられる、そういう本物の心底からの幸福の実感とは別に、いろんな種類の偽物の幸せや、ごまかしの幸せや、その瞬間だけの幸せというのがあるのだろう。

他人とすれ違ったり、他人と関わっていると、他人の自分への興味や関心のなさや、自分のことをちゃんと見ていなさとか、自分の言っていることを自分の言おうとしている意味で受け取ろうとしていなさに圧倒されるような感覚になることがちょくちょくとある。

楽しく仕事に打ち込めている人たちにはまた別の現実があるのだろう。

けれど、世の中のきゃっきゃと楽しそうな会話の大半は、悪口でもなければ、消費物に対してのフェチ語りでしかないのだろうし、そういうもの以外となると、生活の中のほとんどの会話は、関心がない人同士で、どっちともが特別関心を持っていないことについて話している、笑いながら喋っているとしても、自然と前のめりになっていきようもないような会話なのだろう。

世の中の男の過半数は、ほとんど他人の感情に興味や関心がなくて、自分の頭の中の、自分にとって相手がどういう存在なのかというイメージを通してしか、妻や子供に対しても愛情を持てない(剥き出しの他者性を感じているときは、相手が家族であっても愛情なんてつゆほども湧かない)のだろうけれど、そういう男たちと一緒に暮らしている女の人たちや子供たちは、どれくらいそういう男との関わりの中に幸せを感じられているのだろう。

幸せなんて少しも感じていなさそうで、自分に興味がない以前に、人生にも世界にも興味がなさそうな父親とか旦那の顔を見ていて、バカバカしいなと思ったり、心が苦痛に沈んでいったりしてばかりだという人も多いのかもしれない。

そんなふうに思われていたとして、そう思われていることは、どうしたって心から心に伝わってしまうけれど、そういうときに、別に配偶者のことも子供のこともどうでもいいからと、どうでもいい顔をして、どうでもよさそうにしていられる男たちはどれくらいいるのだろう。

そして、自分をどうでもいい気持ちにさせる誰かがそこにいるとき、どうでもいいからといって、どうでもよさそうな顔をしているというのは、それこそ誰から見ても不幸なことだったりするのだろう。

どうでもいいことにどうでもいいと思って、どうでもよさそうな顔をして、それに心を安らかにしていられるのは、ひとりでいるからなのだ。

俺は今まで幸せということについて考えてきたり、自分なりに幸せイメージしてみることをしてこなかったせいで、幸せになりたいという気持ちを自分の中に感じられなくて、幸せになりたいというのがどういう気持ちなのかもわからなかったりする。

けれど、どうでもいいと思っていることに、どうでもよくないふりをすることなく生活できている今、もしかすると、自分は幸せといえば幸せなのかもしれないと思えてくる。

別にうれしくもなんともないけれど、心は安らかなのだろう。

俺はそれを幸せと感じられないけれど、ひとりでいる幸せというのがきっとあるんだろうなと思う。


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