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寛容と無関心は違う

「寛容と無関心は違う。」

昨日の母との会話の中で、母が発した言葉。文脈としては、地方と東京に住む人の物事に対する向き合い方について話していたときのことだ。

先日祖母と出かけた際に、祖母が、若いカップルの女性が着ていたおしり見えかけのショートパンツを見て「あんな裸で外を歩くなんて」とそこそこ大きな声で言ったそう(わざとそうしたのではなく、自分の耳が遠いので自然と声が大きくなるらしい)。母は相手や周囲に聞こえてしまうのではないかとヒヤヒヤしたということだった。

そこで私が、東京ではいちいちそういうことを指摘する人は少ない気がすることを伝えると、「その割には、母の日の広告に何かといちゃもんを付けたりしていて(下記画像参照)物事に寛容ではないと思う。匿名であることを利用して激しい非難をするのは品がない。日本から”恥”や”品格”という精神性が失われてきていると感じる」と言われた。

文言に違和感があると物議を醸している広告

「寛容と無関心は違う。見ても見ぬふりは無関心なだけ。」

些細な会話から抽象的な話に転換していくあたり、なんとも母らしい。

話は「若い女性を批判した祖母のように、ハッキリ言う人がいてもいいよね」という着地で、私としてはあらためて「多様性」「他者の尊重」「寛容さ」というものを考えさせられた会話だった。


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