川畑battie克行

詩人・SSW。愛と死と青空を巡る思索。詩人として、『サイネリア』(書肆山田刊1989年…

川畑battie克行

詩人・SSW。愛と死と青空を巡る思索。詩人として、『サイネリア』(書肆山田刊1989年限定300部)、キンドル詩集に『サイネリア臨書』『青空/揮発』『花ごころ』他。SSWとして、アルバム『百年経ったら墓ん中』『うしっ!』他。批評『晩年感覚』は、『群像』(1986年)の最終選考作。

記事一覧

■村上春樹 死者目録

(死は個体的に経験することができない。自分自身の死はわたしたちにとって常に想像上のものでしかありえない。想像上の動物が既知の動物の各部を寄せ集めて造形されるよう…

川畑battie克行
10時間前
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『サークライト・セレナーデ』

■見どころ、読みどころ■

 この詩の舞台になっているのは、江戸川区に住んでいたときのアパートです。あの部屋からは、ディズニーランドで打ち上げる花火が見えました…

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『貧乏人ブギ』

<御先祖様編> ねぇもんはねぇ どうしたってねぇ なんとかしろって なんともなんねぇ ビーン、ビーン、貧乏人ブギ 親子代々由緒ある貧乏 ビーン、ビーン、貧乏人は貧乏を…

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記述が苦手な家庭教師は、どのようにしてそれを克服したか笑(教材編)


お役にたって、罪滅ぼし笑 こんにちは、川畑です。 いつも、小難しいことばっかり書いているので たまにはみなさんの役に立つことを書いて 罪滅ぼしをするか、という気持…

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『(簡易な違約とともに書き逸れていく)鶺鴒追跡』報告   *(干潟)

 ☨鶺鴒追跡、(干潟) 干潟とは、海の手前にあるものであり、 山に降って一旦は土や岩の中に染み込んだ雨が、 ちろちろと母乳を探す嬰児の舌のように出口を求め、 地下水…

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『モリサ・フェンレイ・ダンス』from『エスペラント/A Wongga Song Dance』

大地にかかとをつけて離さぬように、 あのベトナムの僧ならば 地球に接吻するようにと言うであろうように踊るのだ スタンプ、足裏を大地の頬にすりよせて撫でるのだ スタン…

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寺山修司論『液体と規則性』

『2 チエホフ、雪、雲雀』    * 寺山はすでに高校生にして 全国の俳句の有志を組織して全国の若き俳句作者たちを率いて 俳壇の乗っ取りを企図し、 大学一年生のとき…

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■大江健三郎 死者たちの近親(2/2)

 生きている者たちの世界と死者たちの世界、僕はどちらの世界に住めるのか。理解がそもそも不能な世界と理解が循環する世界のどちらなのか。勿論、生きている者たちの世界…

3

『秘儀伝授』

■見どころ、読みどころ■ 

自分のできなかったことを息子にやらせるということは父親として邪道を踏むことになるでしょう。いくらお稽古ごとは3歳から始めるとはいえ…

1

『ねこりん』

猫は死んで生まれて死んで生まれて、死んでくー 人に隠れて猫の墓場で死んでくー 猫は体をポイポイポイポイ 脱ぎ捨てて 猫の世界にみゅんみゅんみゅんみゅん戻ってくー 猫…

2

『(簡易な違約とともに書き逸れていく)鶺鴒追跡』報告   *(slash)

 ………………………………………………………………………………………………………………… ☨鶺鴒追跡、(slash) /slash/は、二人の起源を持っており、 一人は水都柳河…

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『音の胎児(指、指、指、坂本の耳に指が生え)』

器官はその受容する対象との官能の中で生まれ、 そして育つ。 音の胎児、坂本龍一は、 まず耳から生まれた。 その耳へと注ぎこまれる音階を持つ音の連なり、 あるいはま…

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寺山修司論『液体と規則性』

『1 万華鏡、動悸、向日葵』    * わたしたちは寺山修司を 迷宮の使者、虚構の錬金術師、 前衛の覇者として信奉し、 ジャンルを越境するに勢いあまって、 五十歳を…

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■大江健三郎 死者たちの近親(1/2)

(『人生の短さについて』で、セネカは 大部分の人間たちは死すべき身でありながら 自然の意地悪さを嘆いていると書き記すことから始めている。 そう言われてみればそうかも…

川畑battie克行
2週間前
5

『てのひら、月の祭壇』

     ■見どころ、読みどころ■  何と言っても タイトルがとても美しいですね笑。 『てのひら、月の祭壇』なんてすぐにポポンと出るような連想じゃないですね。とて…

川畑battie克行
2週間前
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『らくらくブギ』

いっしょけんめ働いてはよ死のー いっしょけんめ働いてはよ死のー 図々しいやつほど生きやすいのなら おれの生きてる場所はねー からだこわしてはよ死のー いっしょけんめ…

川畑battie克行
2週間前
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■村上春樹 死者目録

■村上春樹 死者目録

(死は個体的に経験することができない。自分自身の死はわたしたちにとって常に想像上のものでしかありえない。想像上の動物が既知の動物の各部を寄せ集めて造形されるように、自分自身の死も見聞した死者たちの感情移動や身体変化を組み合わせて像として練り上げられる。わたしたちは死を学習するのだ。
 自分のものでない死を通じてわたしという個体に訪れる死を類推する。その場合、類推される個体の死は、範例とした他者の死

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『サークライト・セレナーデ』

『サークライト・セレナーデ』

■見どころ、読みどころ■



この詩の舞台になっているのは、江戸川区に住んでいたときのアパートです。あの部屋からは、ディズニーランドで打ち上げる花火が見えました。
風呂からあがったあとで、花火を眺めて就寝するのがあの頃のわが家のスケジュールで、花火があがる様子が子供にはバンバシュウと聞こえ、もぞもぞと指を動かしながら腕をあげるのがその真似です。
 

花火が終わって、さあ寝ようと電気を消すのです

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『貧乏人ブギ』

『貧乏人ブギ』

<御先祖様編>
ねぇもんはねぇ どうしたってねぇ
なんとかしろって なんともなんねぇ
ビーン、ビーン、貧乏人ブギ 親子代々由緒ある貧乏
ビーン、ビーン、貧乏人は貧乏を絶対手放さねぇ

金がありゃ、暇がねぇ
暇がある時ゃ、金がねえと来た
ビーン、ビーン、貧乏人ブギ 自分忘れて子供が大事
ビーン、ビーン、貧乏人は元気で陽気で長生きよ

せっかく稼いだ虎の子を
勤め帰りに飲んで散らして
金を貯めるの諦め

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記述が苦手な家庭教師は、どのようにしてそれを克服したか笑(教材編)


記述が苦手な家庭教師は、どのようにしてそれを克服したか笑(教材編)


お役にたって、罪滅ぼし笑

こんにちは、川畑です。
いつも、小難しいことばっかり書いているので

たまにはみなさんの役に立つことを書いて
罪滅ぼしをするか、という気持ちになってきました笑



わたしは、「詩人・SSW」という肩書にしていますが、

職業の大部分(25年くらいかな)は塾講師をやってきました。



いや、やりたくてやったわけではなくて、
ほかにできることがなかったからです笑


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『(簡易な違約とともに書き逸れていく)鶺鴒追跡』報告   *(干潟)

『(簡易な違約とともに書き逸れていく)鶺鴒追跡』報告   *(干潟)

 ☨鶺鴒追跡、(干潟)

干潟とは、海の手前にあるものであり、
山に降って一旦は土や岩の中に染み込んだ雨が、
ちろちろと母乳を探す嬰児の舌のように出口を求め、
地下水から地表へと顔を出し湧水となった香り立つ水の降水が、
集い集って、山の中から発してやがては海へと注ぐ
その手前に位置しているものであり、
海と陸との中間地点として日に二度冠水と干出を繰り返す地域でもある。
しかし、ここで気をつけていな

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『モリサ・フェンレイ・ダンス』from『エスペラント/A Wongga Song Dance』

『モリサ・フェンレイ・ダンス』from『エスペラント/A Wongga Song Dance』

大地にかかとをつけて離さぬように、
あのベトナムの僧ならば
地球に接吻するようにと言うであろうように踊るのだ
スタンプ、足裏を大地の頬にすりよせて撫でるのだ
スタンプ、スーフィの舞いを風の袖にすりよせるのだ
樹は実をほどこすだろう
川は鰐を浮かべるだろう
人はかかとを捺すだろう
地の塩の味覚を確かめるように

[セルフ解説]
『エスペラント』を好きで聴いてはいましたが、「これはモリサ・フェンレイの

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寺山修司論『液体と規則性』

寺山修司論『液体と規則性』

『2 チエホフ、雪、雲雀』

   *

寺山はすでに高校生にして
全国の俳句の有志を組織して全国の若き俳句作者たちを率いて
俳壇の乗っ取りを企図し、
大学一年生のときには短歌の新人賞を受賞して世間的な認知を得たが、

その際に他の俳人、歌人の作品からの
盗作や剽窃で作句したという騒動を巻き起こしている。
寺山の本質を早くも露わにしたこの事件を見つめれば、
向日葵の種をさらに一粒蓄えておくこともで

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 ■大江健三郎 死者たちの近親(2/2)

■大江健三郎 死者たちの近親(2/2)

 生きている者たちの世界と死者たちの世界、僕はどちらの世界に住めるのか。理解がそもそも不能な世界と理解が循環する世界のどちらなのか。勿論、生きている者たちの世界にいるのでなければ生きているとは言えない。だが理解の方法を改めることはないのだ。するとどういう事態が僕を訪れるか。死者という空虚の場を埋めるものを生きている世界で探さなければならなくなる。探せなければ僕は、投影の光源が自分の未来を照らし出す

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『秘儀伝授』

『秘儀伝授』

■見どころ、読みどころ■



自分のできなかったことを息子にやらせるということは父親として邪道を踏むことになるでしょう。いくらお稽古ごとは3歳から始めるとはいえ、ピアノを習わせたり、水泳教室に通わせたり、家では漢字の練習でしごいたりしては息子も気の毒というものです。

だいいち不思議なことに、電車やバスのなかでみかける親子というものは隠しようもなく酷似しているではありませんか。親が長年の詐術の成

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『ねこりん』

『ねこりん』

猫は死んで生まれて死んで生まれて、死んでくー
人に隠れて猫の墓場で死んでくー
猫は体をポイポイポイポイ 脱ぎ捨てて
猫の世界にみゅんみゅんみゅんみゅん戻ってくー

猫は自分を猫と知らずに猫に生まれるー
まさか自分は猫とも知らずに猫に生まれるー
猫の魂 みゅんみゅんみゅんみゅん緑
猫の世界はみどりのさざなみ

(Refrain)
鈴鈴鈴鈴(rin-rin-rin-rin)
猫の輪廻
鈴鈴鈴鈴(ri

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『(簡易な違約とともに書き逸れていく)鶺鴒追跡』報告   *(slash)

『(簡易な違約とともに書き逸れていく)鶺鴒追跡』報告   *(slash)

 …………………………………………………………………………………………………………………

☨鶺鴒追跡、(slash)
/slash/は、二人の起源を持っており、
一人は水都柳河の造り酒屋に生まれ、
前衛と愛唱とを成立しうる全方位者、
無味無臭な結晶の
そのたびごとの結集と離散である
ただひたすらに任意な形態をとる雪を
林檎の香りを帯びて舗石に降らすことのできる北原白秋であり、
『鶺鴒一册』から始

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『音の胎児(指、指、指、坂本の耳に指が生え)』

『音の胎児(指、指、指、坂本の耳に指が生え)』

器官はその受容する対象との官能の中で生まれ、
そして育つ。

音の胎児、坂本龍一は、
まず耳から生まれた。

その耳へと注ぎこまれる音階を持つ音の連なり、
あるいはまた事態は反転されて、
耳の吸引によってその磁場へと引き寄せられていく
音の連なりになっているのかもしれない。

音から音へ、
そしてまた音から音へ。

音から音へと、たとえそこに休符があろうと
それによって中断されることはなく、
なぜ

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寺山修司論『液体と規則性』

寺山修司論『液体と規則性』

『1 万華鏡、動悸、向日葵』

   *

わたしたちは寺山修司を
迷宮の使者、虚構の錬金術師、
前衛の覇者として信奉し、
ジャンルを越境するに勢いあまって、

五十歳を待たずして
彼岸へと跳ねていった
疾風怒濤の人と理解しながら、
しかし

彼の思惑通りに
置き去りにされている。
それも無理はない。

俳句・短歌といった定型詩から、
メルヘンや歌詞、
フィルムに直接彩色する技法で製作された実験映

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■大江健三郎 死者たちの近親(1/2)

■大江健三郎 死者たちの近親(1/2)

(『人生の短さについて』で、セネカは
大部分の人間たちは死すべき身でありながら
自然の意地悪さを嘆いていると書き記すことから始めている。
そう言われてみればそうかもしれないと、
一度はこう思わせるのが、
セネカのうまいといえばうまいところだ、レ-トリック。
自然が意地悪をするといった擬人法を用いて、
本当は人間と全く異なった次元にある自然を
人の温かみのする方へと導き、
人間的な自然に仕立てあげる

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『てのひら、月の祭壇』

『てのひら、月の祭壇』

     ■見どころ、読みどころ■

 何と言っても タイトルがとても美しいですね笑。 『てのひら、月の祭壇』なんてすぐにポポンと出るような連想じゃないですね。とても敬虔な感じもするし、もはやこれはこれで動かしがたい不動性が認められて、作者の鋭い感受性をうかがわせるのに十分な語の並びかただということができるでしょう、なんて、どうもアール・ナイチンゲールの自己啓発の著書を読んだ直後なので、気分が高揚

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『らくらくブギ』

『らくらくブギ』

いっしょけんめ働いてはよ死のー
いっしょけんめ働いてはよ死のー
図々しいやつほど生きやすいのなら
おれの生きてる場所はねー
からだこわしてはよ死のー
いっしょけんめ働いてはよ死のー

からだこわしてはよ死のー
からだこわしてはよ死のー
やりたいことだけ早めに終わって
残りは誰かにあげちゃお
未練 残さずはよ死のー
いっしょけんめ働いてはよ死のー

未練 残さずはよ死のー
未練 残さずはよ死のー

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