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「生きるということ」①
晴耕雨読、ということばがありますが、図らずも妻の死を境にして一年ほどの間、人里離れた山の麓でこれまでの半生を省みつつ、これからの生き方を問い直す日々を送ることになりました。
その後、新たなフィールドで活動を再開したものの、世界的な禍根を眼前にしながら、あらためて、私たちが “如何に生くべきか” を問い直す時が来ていることを実感する毎日です。
そこで、還暦を経て、今考えていることをこちらに認め
私たち夫婦をサポートしてくださった全ての皆様へ
>>>「わが為すこと、我、知る」より続く
―2015年12月28日・Facebookに記載―
かねてから在宅療養中だった妻は自らが望んだように私の腕の中で永遠の眠りに就きました。
最期まで苦しむこともなく、その安らかな寝顔は、あらためて惚れ直すほどの美しさでした。
私にとって彼女の存在はあまりにも大きく、今はたとえようもない悲しみに打ちひしがれておりますが、いつの日かまたきっと笑顔を取り戻
わが為すこと、我、知る(Ⅵ)
【筆者‐大芝太郎(2006年~志信会公式サイトに連載)】
「生きろ!」~志信会創設の根底にあるもの~ 続編
>>>前号より続く
11.市民による日本一新
日本一新とは、小沢代議士が自由党時代に日本を変えることを目的として打ち立てた御旗で、具体的法案として国会にも「日本一新十一基本法案」が提出されています。
市民による日本一新の会は小沢代議士の「懐刀」と呼ばれた平野貞夫氏 ( 元参議院議員
わが為すこと、我、知る(Ⅴ)
【筆者‐大芝太郎(2006年~志信会公式サイトに連載)】
「生きろ!」~志信会創設の根底にあるもの~ 続編
>>>前号より続く
9.小沢氏来る
満面の笑顔とともに入場された小沢代議士は、包容力で場内を暖かな雰囲気に包み込んでしまいました。2004 年 10 月 16 日、志信会は、ボードメンバーミーティングの席上、小沢一郎代議士をゲストスピーカーとしてお迎えしました。
小沢代議士は、入場
わが為すこと、我、知る(Ⅳ)
【筆者‐大芝太郎(2006年~志信会公式サイトに連載)】
「生きろ!」~志信会創設の根底にあるもの~ 続編
>>>前号より続く
7.天上大風
2004年、会の政治塾基本方針に従って参議院議員選挙の応援をさせていただいく過程でぼくたちは、半田善三氏と出会うことができました。
半田氏は細川護煕元首相が参議院議員時代から長年にわたり政治行動を共にし、日本の改革に尽力をつくしてこられた方です。
わが為すこと、我、知る(Ⅲ)
【筆者‐大芝太郎(2006年~志信会公式サイトに連載)】
「生きろ!」~志信会創設の根底にあるもの~ 続編
>>>前号より続く
5.会長、走る
「佐久間さんからのメール確認したか?今な、佐久間さんから紹介された
鬼木候補のところに向かっている最中や。」
「えっ?この時間にですか?」
「車でな。夜通し走って福岡に朝到着して、そのまま朝立ちに合流や。」
鬼木さんは、志信会執行部のトッ
わが為すこと、我、知る(Ⅱ)
【筆者‐大芝太郎(2006年~志信会公式サイトに連載)】
「生きろ!」~志信会創設の根底にあるもの~ 続編
>>>前号より続く
3.大西会長が信じるもの
志信会の基本理念に大きな影響を与えた映画があります。
「ペイ・フォワード」。
11 歳のトレバーは、担任のシモネット先生から
「もし君たちが世界を変えたいと思ったら、何をする?」
と問い掛けられ、悩んだ末にあるアイデアを思いつきます
わが為すこと、我、知る(Ⅰ)
【筆者‐大芝太郎(2006年~志信会公式サイトに連載)】
>>>「生きろ!」~志信会創設の根底にあるもの~ 続編
この半年間、ぼくは、大西会長の成長と苦悩を、そして志信会設立に向けて駆け抜けていく姿を描いてきました。大西信弥物語が志信会設立前夜で終わっているのは、実は、ぼくには、大西信弥物語をこれ以上書き続けることが出来なくなってしまったからです。
大西信弥物語は人間、大西信弥を描こうとい