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わが為すこと、我、知る(Ⅳ)

筆者‐大芝太郎(2006年~志信会公式サイトに連載)】

「生きろ!」~志信会創設の根底にあるもの~ 続編

>>>前号より続く

7.天上大風

 2004年、会の政治塾基本方針に従って参議院議員選挙の応援をさせていただいく過程でぼくたちは、半田善三氏と出会うことができました。
半田氏は細川護煕元首相が参議院議員時代から長年にわたり政治行動を共にし、日本の改革に尽力をつくしてこられた方です。
細川内閣発足時には日本新党事務局次長という立場におられました。
そして、当時当会顧問をしていただいた陳氏のご紹介で、参院選で民主党比例区より出馬した半田氏とお会いさせていただいたことが初めての出会いになります。

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-写真- 木更津の選挙事務所での一コマ

 「天上大風」、半田氏が 2004 年参院選で御旗に掲げた政治思想です。

「天上大風」は良寛和尚が童にせがまれて、凧に描いた言葉です。
半田氏は「天上大風」にかけた想いを、「未来には希望や恐れ、崇高さがある。そこに向かって飛び立つ勇気を我々は持たねばならない。」と天を仰ぎながら語ってくれました。

分かりやすさを追求する今の時代にこの“のぼり旗”はあまりに壮大で、半田氏の思いを理解する人々は少ないかもしれません。しかし、「天上大風」はまさにぼくたち一人一人がそうありたいと求める姿です。

「天上大風」を体現する半田氏の人柄を知れば知るほど、ぼくたちは半田善三という人を応援できることの喜びを実感していきます。 

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-写真- 岡山県津山市での応援演説

 志信会政治塾として正式に推薦するため、大西会長は佐久間さんを伴って、津山で行われた半田氏の出陣式に出席しました。その席上、半田後援会諸氏の眼前で志信会推薦状授与式が用意されていました。
推薦状授与式直後、大西は後援会諸氏に向け3分程度の挨拶をさせて頂きましたが、半田氏は、3分間の挨拶の間、推薦状を授与した時の姿勢のまま、深々と頭を垂れ、推薦状を両手で精一杯高く掲げて、話を聞いていたのです。
この事実は後に撮られていた一葉の写真によって明らかになるのですが、それを発見したとき、ぼくたちは感動と感謝の気持ちでいっぱいになりました。

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-支持者が撮影された伝説の3分間御辞儀

 出陣後の最初の選挙運動は、出雲大社分院での「選挙期間中のスタッフ、ボランティアの皆さんの安全祈願」をされていました。これまで政治塾として幾度か選挙を戦ってきた私たちにとって、改めて大切なものを思い出させていただいたように思います。

2004 年の選挙では絶対不利の中、半田善三氏は「自らが立つことで伝えられることがある」と信じ選挙戦に立ちました。それでも選挙の結果が明らかになる最後の最後まで半田氏は自分を応援してくれている人々を信じ、全力で戦っていました。

敗戦が決し、それでも協力してくれた方々への感謝と自分の至らなさへのお詫びの弁を訥々と述べられる半田氏の姿に、そこにいた人々は深い感銘をうけ、これだけの志士を世に送り出すことのできなかった口惜しさにやりきれないものを残して半田事務所を後にしました。

 戦いを通して、私たちは半田氏から多くのメッセージを託されました。
どんな時でも心の底から感謝をし続け、多くの人々の幸せを本気で願い、そのために身を挺してでも戦いに挑む半田氏の姿は、ぼくたちに次代に求められる政治家の姿を見せてくれたように思います。
そして、政治とは人 に規範を指し示し、それを実践していくことであり、ぼくたちの行動指針である「たとえ一人でも、己を信じ・人を信じ・そして夢を信じ、実践する。」を体現する「半田ゼンゾウ」は、正に志信をもつ本当の志士です。

8.THE WINDS OF GOD

 参院選と同時期、当会の平山氏が統括プロデューサーをしている映画の企画がもちこまれました。
「 The Winds of God  零のかなたへ」は俳優、今井雅之氏が13年間海外で演じ続けてきた舞台です。
これを映画化し全米公開を目論む企画が今回持ち込まれたものです。

ぼくはたまたま 1999年に、ニューヨーク、オフブロードウェイで公演されたこの舞台を観覧していました。
神風特攻隊に志願した少年兵は本当に普通の若者で、家族を守るためこの作戦に参加し命を落としていく姿が、登場人物の個性とその心情を浮き彫りにしながら描かれているすばらしい作品でした。
超満員の劇場ではアメリカ人を含め観客の大半がスタンディングオーベーションで幕を閉じました。
この舞台を観た人々には、“ No More War ”のメッセージは絶対の真理として訴えかけてきます。

 今井氏本人は自らメガフォンをとり、本作品を映画化することを決意され、志信会も「 The Winds of God 」を支援することを決しました。
実は今井監督は、2001年に舞台を取りやめる決意を一度はされたそうです。
それまで13年間神風特攻隊を題材にするというだけで支援者が集まらず、国内では会場の手配もままならず、大変な苦労をしながら続けていました。
この努力の結果アメリカメディアにも取り上げられ、海外でも特攻隊の真の姿が受け入れられたと判断されたそうです。
しかし、意を決してから2日後、2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロが発生しました。 アメリカの報道は、こぞってこのテロを ”KAMIKAZE ATTACK”( 神風特攻 ) と叫んでいました。
今井監督は、ご自身の13年間の努力でも全く変わることがなかった現実に直面しました。
「俺がやってきたことで何も変わってないじゃないか!」
愕然としたそうです。
そして、よりインパクトがあり、多くの人々に訴えかける可能性を持っている映画を撮影しようと決心されたそうです。
だからこそ、全編英語による撮影が行われました。2004年の8月今井氏には、2回にわたって志信会の会合に足を運んでいただき、ご自身の映画にかける思いを語って頂きました。

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-写真-今井氏は東京、そして宝塚の会合にも参加して…

 そして今井氏の強烈な思いに心打たれ、多くの参加者が涙を流していました。誰にも何の支援も得られず、貯金を切り崩しながら、「俺は間違ったことをしていない。」と信じ続け、13年間もの間舞台に立ち続けたそうです。

特攻隊員達が命をかけて守りたかったものは、国や天皇なんかじゃない!
本当に守りたかったのは母親、恋人、妹・弟、愛する人達だけなんだ!
特攻に散った少年兵が死を目前にして叫んだ言葉

「お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、
お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん・・・・」

そしてこの舞台の脚本を書く際に数多くの取材を通して今井氏が行き着いた結論は

「く・だ・ら・な・い」

ごく普通の若者達が、家族をそして恋人を守るために命を奪い合う戦争なんてものはくだらない。こんなことを二度と繰り返してはいけない。

今井氏のメッセージは挑戦的に聞こえるかもしれません。
しかし、戦争そのものはやはり“くだらない”のです。自らの命を捧げて特攻していくというストーリーの美しさの裏には、同じ人間同士が殺し合いをしているという醜さがあります。

同じ人間同士が憎しみあっているわけでもないのに、殺し合う必要なんて本当にあるのでしょうか?ぼくは絶対にそんな必要はないと思います。
今井氏は「戦争をしている相手は愛情にあふれた同じ人間なんだ!」という単純なメッセージを伝えることで、「 No More War !~二度と戦争を繰り返してはいけない!」と世界に向けて宣言しているのです。
そして、今でも世界各地で起こっている戦争に対して「もうそんなことはやめてくれ!」という悲痛な叫びを発しているのです。

次号に続く>>>




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