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自立篇(Ⅱ)

筆者‐大芝太郎(2006年-志信会公式サイト「大西信弥物語」に連載)】

>>>前号より続く

33.解放

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-写真- 青年部幹部らと共にエジプトへ(2001年・42歳)

 「小池が『大西君に公設秘書になって欲しい』といっているのよ。どうかなぁ?」
「えっ !?・・・・・」「小池事務所にはあなたの力が必要なのよ。」
「少し考えさせてください。」
「もちろん、じっくり考えてほしいけど、あなたにとっても、凄いチャンスだと思うの。」

百志塾の立ち上げに成功し政治手腕を発揮し始めた大西に、小池事務所から公設秘書就任への打診がありました。
小池さんの理念を必ず実現してみせると決めていた大西は、小池事務所の中で小池さんの活動をサポートしていくべきか、百志塾を独立組織とし、小池さんの掲げた理念に純粋に活動を進めていくべきかの選択を迫られていました。
大西は大いに悩みます。これまで孤独な戦いを続けてきた小池さんが自分の力を必要としているという事実は、大西を拘束していました。悩み続けていた大西は、ふと部屋に飾ってあった色紙に目を向けます。

『夢は限りなく』・・・祐ちゃん(野平調教師)から送られた色紙には温かな文字が記されていました。

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-写真- 会の本部に掲げられている野平調教師の直筆による色紙

「私は『 100 人の仲間』をつくるためには、私が小池事務所に所属してしまってはいけないと思うのです。」
大西は真正面から自分の想いをぶつけていました。
「本当に日本を変える仲間の力を結集させるためには、小池応援隊を作るのではなく、いろいろな個性を持った、未来をつくる政治家を育てなければならないと思います。これは片手間でできることではなく、私は父の会社も先日退職いたしました。小池さんの百志塾構想に情熱を傾けています。
小池さんの公設秘書というお話は、とても光栄なのですが、私は百志塾の構想を成功させるために、お断りさせていただきたいと思っています。」 

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-写真- 後援者を率いて3日連続でUSJへ…(2001年)

 大西の決断に小池さんは微笑みながら、快諾してくれました。
小池事務所と連携を取りながらも、独立した組織として大西は「百志塾」を政治団体として登録しました。早速大西は、翌年 (2003 年) 春に行われる統一地方選挙に挑む候補者を擁立するため、積極的に活動を始めます。
木挽氏、そして小池事務所の秘書になっていた道下氏にも統一地方選挙への挑戦を促しました。
木挽氏は前述の通り政治への関わりを避けていたので、当然「自分が政治家になることは全く考えられない」という態度を固辞していました。
しかし、彼が小池百合子後援会青年部のサブリーダーとして、日頃から自分のできることを精一杯実行している態度を見てきた大西は、彼が政治の世界に入ることで彼自身が生まれ変わると確信していました。
粘り強く木挽氏を説得した大西は、木挽氏の擁立に成功します。
そして、大西が未来を託したいと期待していた道下氏にも打診をし、快諾を受けます。
大西は、二人が「やります!」と統一地方選挙に出馬を決めたときには、
「万一にも彼らを落としたら、一切政治の世界から身を引こう」と誓いました。

34.なめとんかー

 小池事務所からの出馬が決定した道下氏は、 宝塚市議会議員選挙に向けて
準備を始めました。道下氏は小池事務所の宝塚支所を本拠地として、小池さんの支援者との連携を強めていきました。大西も百志塾からの出馬ではなくても、小池事務所から出馬を決定した道下氏の決意を応援するため、転居の世話から選挙戦略立案まで全力でサポートしていました。

道下氏が宝塚市議選の準備を進めているさなか、小池事務所から道下氏に兵庫県議会議員選挙の出馬を促す一報が入りました。
県議会議員選挙は市議会議員選挙に比べ選挙区も広く、定員も少ないためより当選の可能性が低くなります。しかも、道下氏は今回の選挙が初陣であり、しかも地元との結びつきがないため、県議会議員選挙では、かなり苦戦が予想されます。
道下氏は家族を巻き込んで、この選挙戦を闘うべきかを検討していました。道下氏は秘書として小池事務所にお世話になっていることや、道下氏自身もこの高いハードルにチャレンジをしてみたいとの思いが日増しに強くなっていき、最終的に県議会議員選挙に挑むことを決意します。
そして、道下氏が県議会議員選挙の準備を進めようとしていた矢先、小池事務所から、「あなたはやっぱり市議会議員選挙にでなさい。」と道下氏のもとに県議会議員選挙の出馬取りやめの指令がはいってきました。

「大西さん、県議選の出馬が取り消されて・・・・」
大西の元に電話をかけてきた道下氏は気が動転していました。

このようなことは政治の世界では度々起こることかも知れません。
また、道下氏は、小池事務所に身を預け、今回の選挙も事務所から出馬する以上、大西が口を挟む余地はないのかもしれません。しかし大西は携帯電話を取ります。

「なめとんかー!」

部屋のガラスを振動させるほどの爆声が響きました。

「ちょっと、説明させて・・・」
「なめとんか!ということです。」

ガチャ!
大西は小池さんにどなりつけたうえ、電話を一方的に切ってしまいました。
小池さんが人の心、特に人生を賭けた決意を翻弄するような政治家であってほしくないという思いと悔しさで大西の胸は張り裂けそうになっていました。

この後小池事務所の秘書からも何度も携帯電話が入りましたが、大西は一切電話をとりませんでした。もちろんそうすることで、小池さんの関係が壊れてしまうことは覚悟していました。
しかし大西は、小池さんの口から自己弁護するための言い訳を聞きたくはありませんでした。大西は、小池さんがどんな思いで政治の世界に入り、そしてこれまで闘ってきたのか、それを分かっているから、これから政治の世界で全てを賭けて闘おうとする若者の人生を大切にして欲しいと電話がかかってくる度に心の中で祈り続けていました。
大西は、今日この想いが小池さんに届いていなくても、いつか分かってくれるはずだと信じ続けています。

 その後、道下氏は出馬を断念し、小池事務所も辞し、政治の世界から一線を引きます。

次号に続く>>>

議員会館

-写真- 議員会館に常駐していた頃(2001年)





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