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わが為すこと、我、知る(Ⅰ)


筆者‐大芝太郎(2006年~志信会公式サイトに連載)】

>>>「生きろ!」~志信会創設の根底にあるもの~ 続編

 この半年間、ぼくは、大西会長の成長と苦悩を、そして志信会設立に向けて駆け抜けていく姿を描いてきました。大西信弥物語が志信会設立前夜で終わっているのは、実は、ぼくには、大西信弥物語をこれ以上書き続けることが出来なくなってしまったからです。

大西信弥物語は人間、大西信弥を描こうという企画で始まったのですが、志信会を設立してからの大西会長は、なんだか「志信会」そのものになってしまいました。そういう訳で、これから、志信会を軸にぼくの目線からお話をすすめていこうと思っています。

1.志信会創立

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-写真- 志信会の創立(2003年3月27日)

 志信会の ( 裏の?) 正式名称は、「百志塾改め、大西 信弥とその被害者の会」です。
「裏の」というのは、志信会を政治団体登録する時に、「百志塾改め、大西信弥とその被害者の会」では、長いのと、いくら関西とはいえ、お役所に登録するのは・・・ということで、会を「志信会」として正式に登録したためです。
いずれにせよ、 2003 年 1 月 31 日、名称を百志塾から志信会に変更し正式に政治団体登録を済ませ、会は新たな活動を開始しました。

3月27日の設立総会で公開された志信会の行動規範は以下の通りです。

1. 己を信じ、
(自らの意志を信じる。意思と力で社会を変えることができると信じる。現状を嘆くだけで、他者へ責任転嫁してはならない。)

2. 夢を信じ、
(自らの大志を信じる。大志はゆるがぬ意志をもって世に明言する。理念を提言することを怖れてはならない。)

3. 人を信じ、
(自らの仲間を信じる。彼らこそが社会を変える原動力となることを信じる。少数であることを恥じてはならない。)

4. 実践する。
(大志に恥じない生き方をする。たとえ一人になろうとも、「わが為すこと」をあきらめてはならない。)

 この行動規範は、大西会長の人生そのものです。そしてこの理念は、人からどんなに誤解されても、これからも変わることはないと思います。

大西会長が政治に関って体験したことは、ぼくたちの常識では理解することが出来ないことばかりでした。大西会長は政治活動の中で党や政治家の先生の“朝令暮改”の連続に振り回され、“恥も外聞も”恐れない多くの政治家の先生が正義や信念を熱く語る姿に驚愕していました。

現状の政治に絶望する一方で、本当の政治の姿やそれを実践する政治家の出現を信じて、大西会長は「志信会」を設立しました。
しかし、大西会長が本当にやりたいことは、辛くても歯を食いしばって、自分の「志」を信じて戦っている人たちを全力で応援したい!ということです。だから、政治だとか経済だとかの枠組みはあまり意味がないのです。

だから政治、経済、文化、教育だけでなく、スポーツや思想、哲学、宗教というフィールドも志信会が活動するテーマです。

出陣式 081

-写真- 志信会・公認候補者こびき司と共に(2003年4月) 

2.佐久間敏雅

 佐久間敏雅氏は、現在、志信会執行本部のCOOです。 ちょっと時を遡ります。ぼくが佐久間さんと初めてあったのは、2001 年で、当時ぼくが働いていた会社のオフィスでした。佐久間さんの経歴を簡単に紹介すると、兵庫県神戸市 出身、鹿児島ラサール中・高校から東京大学法学部を経てP&Gに入社、
その後P&Gでも最速で出世していきました。

20 歳後半時には年収が 1000 万円をはるかに超えていた彼が、愛犬を家族に迎え入れたことで、その後の人生は一変します。現状の日本人とペットの関係やペット業界が抱える問題に、敢然と挑戦を開始します。

その当時、佐久間さんは、人がうらやましいと思うような全てのものを捨てて、 たった一人で無謀とも思える戦いに挑んでいたのです。

彼は、会社をやめて起業し、家庭も失い、月々の生活に必要な5万円を役員報酬としてもらいながら、日々黙々と真摯に生きていました。
その後ぼくは、佐久間さんを大西会長に紹介し、大西会長も佐久間さんの姿にすっかり魅せられていました。佐久間さんは寡黙で自らを誇示するようなこともありません。ぼくの口から伝えるまで、大西会長はこのことを知りませんでした。

佐久間さん自身は意識をしていませんでしたが、彼が大西会長に投げかけた課題は、百志塾の立ち上げやその後の志信会の創設に大きく影響していきます。

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-写真- 2004年・台湾総統選挙へ(左から大西、筆者、佐久間)

大西会長は語っています。
『「政治を変える、日本を変える」という標語はまさに、彼のような真に勇気ある若者一人ひとりの挑戦の延長にしか有り得ない。狭義的に政治家志望者を募るだけでなく、そういった志ある若者達が切磋琢磨しながら、それぞれのフィールドでこの世の有様を正していく。そして、そのような若者を支援する会の創設こそ、私が求める会の精神に合致する』

佐久間さんの生き様は、大西会長が志信会を設立する決定的な要因となりました。

次号に続く>>>

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-写真- 佐久間&今井コンビ(2004年・宝塚)



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