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コロナの療養期間を利用して右脳を開発する方法 / 檀上 遼

ついに自分ごとに……

相変わらずコロナが流行っている。もう第なん波なのかもわからない。不謹慎を承知で書くと「いいかげんもううんざりだ……」とすら・・思わないくらい、なんだか今の状況が当たり前になって、すでに二年半以上が経過している。

しかしそんな他人ごとのようなことも言っていられなくなった。なぜならついにわたしも先月コロナに感染してしまったからだ。幸いにもこれまでわたしはコロナにかからずにやってこれていた。別に「自分だけはかからない」なんて思っていたわけではない。それなりに感染対策もしていたつもりだ。

だが、ある日とつぜんその日はやってきた。ワクチンは二回しか打っていなかった。といっても、どこかの国の首相もワクチンを接種した直後に感染してしまうくらいだから、たとえ三回目を打っていたとしても同じだったのかもしれない。あるいはひょっとしたら防げていたのかもしれない。

いずれにせよここでワクチン接種の是非について語る気はない。わたしは基本的には打ったほうがいいんじゃないか、と思っているが、結局打とうが打たまいが、「かかるときはかかる」というアホみたいな結論にしかならないからである。

それからコロナに感染してからの細かい病状に関してもあまり詳しく書くつもりはない。そんなものはすでに多くの人が書いている。
ひとつだけはっきりと言えるのは、周囲の(最近)感染した人の話を聞く限り、どうやらわたしの症状は結構重い方だったようだ。わたしはコロナを発症してから自宅療養期間が明けるまでのわずか10日間で体重がなんと4kgも落ちてしまった。

ときどきコロナのことを「ただの風邪」と吹聴している人がいるが、そんなのはその人がたまたまついていただけの話なのであって、軽症で済んだ人は自分はラッキーだったと思って募金にでも行ってほしい。

それでは一体わたしはなにを言いたいのか?

今回わたしがこの記事で書きたいと思っているのは、コロナをナメてはいけませんよ、とかそんな当たり前のことなどではもちろんない。 そうではなく「万が一コロナに感染した場合、いかにしてその療養期間を有効に過ごすか」ということである。

一回死んで新しい人生を始める


その日わたしは朝からあまり体調が良くないと感じていた。夕方から夜にかけて強烈な悪寒を感じ、なんだか嫌な予感がするな……と思いながらも、ふだんよりも少し早めに布団へと入った。

翌朝。目が覚めると世界はぐるぐると回っていた。おそるおそる体温をはかってみると38.3℃。

「ついに来たか……」

その日はまるまる一日静養して一応様子を見たのだが、良くなる気配は一向になく、それどころかその翌日にはさらなる目眩と頭痛と39℃近い高熱でいよいよ立ち上がることすらできなくなった(なぜかわたしは咳や喉の痛みの症状はほとんどなかった)。
正直トイレに行くのすらキツい、という感じだったのだが、家族がかかりつけ医の予約を取ってくれたので、後部座席に倒れ込むようにして、父の車になんとか乗り込み病院へと向かった。

抗原検査を受け結果が出るまでのあいだ、”コロナ疑い”の患者として別室に隔離されながら待機しているあいだも、自分の中ではもう結果はわかっていた。
そのため疲れ切った感じの、中年のかなり太った看護婦が

「ン〜〜陽性でした」

と言って、そっけなくポンとわたしに薬を手渡すやいなや、一刻も早くこの場から立ち去り、さっさと帰宅するよう暗にうながしてきても、とくだんショックは受けなかった。

陽性を言い渡されたそのとき、わたしがまずいちばん最初に思ったのは、「この看護婦さん『ピンクの電話』の太っている方に似ているな……」ということだったが、次の瞬間、すぐに考えたのは「これからの10日間をどう過ごすか」ということだった。

本題に入る前にすこし自分の話をしようと思う。
自分で言うのもなんだがわたしはもともと筋金入りのネガティブシンキング野郎だ。まわりくどい言い方をせずに直球で書くならば、最近はだいぶマシになったものの、ガチモンの不安神経症である。

しかし本当に自分でも謎でしかないのだが、どういうわけか昔から、大怪我や大病をするたびに「これは生まれ変わるチャンスなのでは!?」となぜかその療養期間をポジティブにとらえる子供だった。
それは今にいたるまで変わっておらず、ふだんはまったくポジティブではないというのに、大怪我をしたり、病気で動けなくなったりしたときだけ「この病気が治ったら、きっと新しい人生が始まるに違いない……!」という根拠のない謎の希望がふつふつとわいてくるのである。

おそらくドラゴンボールの読みすぎだったのだろう(サイヤ人が死の淵からよみがえるたびに何故か強くなるというアレ)。

残念なことに、この謎の希望的観測に満ちた楽観主義は、外傷的な怪我や内科系・外科系の病気にしか適用されず、いわゆるメンタルヘルス方面には一切適用されない。
ふだんからこのようなポジった考え方を生活の中でもすることができれば、もうすこし楽な人生を送れたのではないかと正直思わなくもないのだが、それはともかく、大病をしたときほど、なぜかわたしは”肝が据わり”きっとこの先には明るい未来が待っているのではないか……というふしぎな感覚になるのだ。

たとえば20歳くらいのときに、重度の食中毒で嘔吐と血便がダブルで止まらなくなり、病院に担ぎ込まれて緊急入院したあと、それまで吸っていたタバコをすっぱりと止め、運動神経も大して良くないチビガリ野郎だったにもかかわらず、治った直後にその足で以前からやってみたかった総合格闘技のジムに直行して入門し、そのまま10年以上続けた。クソ弱かったが一応セミプロまでいった。良くも悪くもそれで人生が変わった。

あるいは30歳くらいのとき、突然脳の血管がウィルス性の炎症を起こし、顔面麻痺になったときも、医者からは後遺症が残る可能性が高いと言われたが、一日30錠くらいの薬を二週間ずっと飲み続けたら奇跡的に治った。そのときも「自分は一回死んだ」と思って、診察からの帰り道そのまま1000円カットの店に突入し、死ぬまでにいちどはやってみたかった丸坊主にした。めちゃくちゃ満足した。

つまり何が言いたいのかというと、コロナ陽性が発覚したその瞬間からわたしは、これをきっかけに新しい人生が始まる予感がしたのだ。

とにかく療養期間のあいだ、毎日スマホを見たり、動画を見て過ごすことだけは嫌だった。

まずは身体を治すことが最優先だとしても、ともかくこの10日間という隔離期間を利用して、絶対になにか新しいことを始めようと思ったのである。

39℃近い熱が3日間ほど続き、高熱と悪夢にうなされながらも、わたしはずっと考えていた。
ようやく熱が37℃台に落ち着いてきた頃、まだまだ本調子とはいかなかったものの、わたしは新しい人生を開始する計画に着手することにした。

左利きになる

今から考えてみると、ひょっとするとそれは自分でも気づかない内に準備を始めていた、ということになるのかもしれない。
どういうことかと言うと、自分でもなにか明確な動機があったわけではないのだが、コロナを発症する2週間ほど前からわたしは、誰に言われたわけでもなく何かを読んだわけでもなく、「左手を使う」練習を少しずつ始めていた。

わたしは昔からなぜか左利きの人に惹かれる傾向があり、女性の場合はなんだかサウスポーというだけで魅力的に感じてしまうし、男性の場合は「この人ちょっと面白い人かもしれない」と勝手に一目をおいて見てしまうところがある(そんなことを思うわたしはもちろん右利きだ)。
左利きの人に対して、なんとなく「自分とは違う世界が見えている人たち」という思いを抱いてしまうのだ。
「なんだそれ?」と思う人もいるだろうし、わからない人にはわからない感覚だろうけれど、わたしは右利きの人の中には一定数こういった左利きに憧れる人がいることを知っている。

といっても、それまでは「なんか良いな〜」と思うだけで、左利きになってみようだなんて考えたことはいちどもなかった。

それがどういうわけか感染する2週間ほど前のある日の夕食後、食器を洗っているときにとつぜん「なんとなくやってみようかな」という気分になり、以降、スポンジを右手から左手に持ち替えて洗うようになったのだ。

思えばそれが予兆だったのだろう。

もちろん最初は上手くいかなかった。なんだかカクカクした動きになりぎこちなかった。けれども3日もすれば普通に洗えるようになった。
なにごとも新しいことにチャレンジするときは、簡単なレベルから挑戦するのがセオリーである。
食器を洗うという行為は、日々の生活の中で左手を使うトレーニングを始めるにはうってつけの家事だと思う。繊細なコントロールなどはあまり必要とせず、基本的にはスポンジでゴシゴシとかクルクルとかやるだけの、わりかし単純な動作だからだ。

そんな狙いがあって食器洗いから始めたわけではなかったのだが、「ひょっとしたら案外いけるのかもしれない」と感じたわたしは、次は左手での歯磨きにチャレンジしてみることにした。

歯磨きは食器洗いよりも格段に難しい。実際にやってみたらわかると思うが、最初は全然スムースに磨けない。上下の前歯周辺を中心に左右にシャカシャカと磨くところまではできるのだけれど、そこから次の動きに移行しようとすると、はたとフリーズしてしまうのだ。
それではどうするか?
そう、右手でどうやって磨いているかを確認することになるのである。そうやって初めて、ふだん自分がどのように右手を使い、歯を磨いているのかを「発見」することになる。
われわれはただ左右にシャカシャカと歯ブラシを動かしているわけではない。歯の裏側や、下顎から上顎の奥歯へと移動するときに(上顎から下顎の人もいるかもしれない)、われわれは「手首をクネクネと返しながら磨く」という実はかなり複雑な動作を無意識のうちに行っているのだ。
それを「発見」することができたら今度は、無意識に右手が行っているその複雑な動作を、改めて左手へとフィードバックするのである。

このようにしてわたしは利き手である右手がふだんどうやって動いているのかを観察し、そしてそれをお手本にしながら、生活の中で少しずつ左手を使う場面を増やしていった。

実はこのあたりまでわたしは意識的に「左利きになる方法」などは一切検索しなかった。
ググることによっていきなり最短でそれなりの”正解”に飛びつくのではなく、自分でいろいろと模索しながら体得することにこそ意味があるのではないかとなんとなく思ったのだ。

ここまでで約二週間。
そしてわたしは見事にコロナに感染した。

もうおわかりかもしれないが、わたしはこのコロナからの療養期間を左手のトレーニングに費やそうと決めたのである。

すべては「左手を使うようにすると右脳が活性化する」という俗説を信じて……。

右脳開発前夜

この状態から左手の薬指を立てるのはとても難しい

わたしは何かを変えないといけないとずっと思っていた。
あるいは自分には何かが足りないとずっと思っていた。
だが38年近く生きていると、自分を変えるというのはそう容易いことではないということに、否が応でも気づかされる。

これまでの人生でいろんなことを試してきた。
総合格闘技に始まり、ムエタイ、ランニング、ヨガ、ピラティス、瞑想、気功、断食、鍼灸、野口体操、アレクサンダーテクニーク、コールドシャワー、ヴィム・ホフメソッドetc……。

自分で言うのもなんだがわたしは結構健康オタクだと思う。そして往々にして健康オタクというのは、もともと健康ではなかったやつがなるものである。
小さな頃から健康だった人は、わざわざ健康になろうだなんて思わないからだ。

いろいろとかじってみては、自分なりにいいとこ取りをして、最終的にそれらを折衷的に使う。
中途半端といえばそれまでかもしれないが、わたしはこういったスタイルが好きなのだ。

実際、これらの健康法や能力開発は折に触れてわたしの人生を助けてくれた。

だが、やはり、まだ「何か」が足りない気がする。

自分が興味を持てそうなもので(これが何よりも重要)、まだ試していないものはないか。
最後のそのピースさえハマれば、人生が劇的に好転するのではないか。

わたしには心のどこかで常に「一発逆転」的なものを切望してしまう悪い癖がある。

しかし、正直ここまできたら、何か違法なモノの力を借りるか、わざと雷に打たれてサイキック的な能力が開花するのにワンチャン賭けるくらいしか選択肢はもう残っていなんじゃないか……。

そんなことをここ数年ずっと考えていた。

”左利きになりたい”

深層心理でそんな内なる呼びかけがあったのかどうかはわからない。

だが、わたしは気づくと始めていた・・・・・・・・

たしかにそれは昔からの憧れであり、また、いまだに試したことのない能力開発、いや「脳力」開発の方法だったのである。

そうして、わたしは誰に言われるでもなく自発的に左手を使う練習を開始していた。

コロナの療養期間中に右脳を開発するトレーニング方法

(右から時計回りにインフィニティキューブ、左手用の矯正箸、梅肉エキスドロップ。撮影しようと思って久々に当時使っていた梅肉エキスドロップを出すと暑さでかなり溶けていた)

そしてコロナ感染。

「これはもう天啓に違いない……」

新しい人生を始めるにあたり試練はつきものである。
朦朧とする意識の中で、自分がかなりスピっている自覚はあったが、とにかくわたしはそこから床に伏している状態でもできる左手のトレーニングについて考え始めた。

その手始めとしてまず購入したのがインフィニティキューブである。
以前からこの玩具のことは気になっていた。
ネット上でレビューを読んでいると、速攻で飽きる人も少なくないみたいだったが、ハマった人に関してはみんなそれぞれ用途が違うことに興味を持った。

ただの暇つぶしとして使う人もいれば、勉強の合間の息抜きとして使う人、楽器をひくときに利き手ではない方の手の感覚を養うために使う人、あるいはタバコを吸いたくなったらいじるようにしている人などもいて、なんだか面白そうだった。
とにかくこれだったら、布団で横になったままでもできるだろう。そう思ってアマプラでポチった翌日から、起きているときはひたすら左手でカチャカチャとやりはじめた。
実際これを続けていると、左手の指の動きや感覚が繊細になり可動域も広がった。

それと同時に購入したのが左手用の箸の持ち方を矯正するための箸だ。
「食器洗い」「歯磨き」と来て、次にチャレンジするなら「箸」だろうと思い、最初は部屋にあった鉛筆2本を使って左手で練習していたのだが、なんだかしっくりこないので買ってみることにした。
こちらもインフィニティキューブとのローテーションで暇さえあれば天井を見ながらカチャカチャとやっていた。

そして上記のふたつをカチャカチャとやりながら思いついたのが、もっとも重要な、自らに左手を使うことを強制的に課す食前のトレーニングである。

療養期間中、わたしはほとんど寝ていた。人生でこんなに寝ていたのは小学生のときに肺炎で一ヶ月間、入院したとき以来だった。
起きているときはだいたい左手で上記のカチャカチャトレーニングをやるようにした。スマホはできるだけ見たくないと思っていたので(そのときは、そうすることで「霊性」が高まるに違いないと思い込んでいた)、本を読もうとしたのだけれど、頭痛がひどく活字もあまり読む気がしなかった。

そうなってくると、唯一の楽しみは食事だけ、ということになってくる。
ふだんより量はあまり食べれなかったが、幸い食欲だけはずっとあった。
一日二回、自室で隔離中のわたしの部屋のドアの前に家族が食事を置いてくれたので(わたしは基本的に一日二食)、家族の足音が遠ざかっていくのを確認すると、まるでひきこもりの人みたいに、一瞬だけ部屋の外に出て、サッと食事を取って即座に部屋に戻るのだ。

そして、すぐに食べたい気持ちをグッと押し殺してそこからトレーニングを開始する。

一体何をやったのかというと「袋に入った飴ちゃんを大量に布団の上にバラ撒き、それらをすべて左手の箸で掴んで、もとの袋へと全部戻すことができたら、食事を食べてもいい」というルールを自らに課すことにしたのである。

別に飴ちゃんはなんでもいいと思うが、わたしはそのときたまたま部屋にあった梅肉エキスドロップ(美味しい)を使った。
このトレーニングは自分で言うのもなんだが結構効果があった。
最初のうちはなかなか掴めないし、イライラすることも多かったが、だんだんと日々上達していくのが自分でもわかったから、退屈な療養生活の中での良い刺激になったし、ふだんのカチャカチャトレーニングの実践の場という意味でも、一日の中で二回本番の試験があるような感じで楽しかった。なにより早くクリアしないと、食事がだんだんと冷めていってしまうのも良いプレッシャーになった。

もちろんそれに加え、左手での歯磨きなどもずっと継続していた。

鶴太郎の教え

だが、そんなわたしでも、10日間の療養期間中ずっと左手のトレーニングに明けてくれていたわけではない。
正直なことを打ち明けると、左手でのインフィニティキューブと左手矯正箸のカチャカチャトレーニングを終えたあと、ふとわれにかえり、冷静な頭で

「いや、霊性がどうとか言ってる場合なのだろうか……」

と思ってしまうこともあった。

だが、そのとき、本当に今でもなぜだかわからないのだが、無性に千葉雅也さんの小説『デッドライン』を読みたくなって、原稿が初掲載された当時の『新潮』2019年の9月号を本棚から手にとったのだ。

するとたまたま最初に開いたページにいたのである。
片岡鶴太郎が。

『心が、楽しめと、言っている。』

鶴太郎は柔和な目でそうわたしに語りかけてきた。
個人的にもここ数年の鶴太郎の変化はずっと気になっていた。鶴太郎といえば、かつてボクシングのライセンスを取ったり、絵を描いたりしたかと思えば、最近はヨガにドハマリして「ヨガ離婚」なるゴシップも最近はあったはずである。

わたしは結構こういう人が好きなのだ。日本ではどうしても一つのことにずっと打ち込んでいるような職人的な気質が評価されがちだが、わたし個人としては、はたから見れば一体何をやっているのかよくわからないような人の方がやっぱり惹かれてしまう。
なにより、その鶴太郎の目を見れば、彼がいま人生を楽しんでいるのは一目瞭然なのだった。

彼もさまざまな心の旅を経てヨガへと行き着いたのだろう。
わたしは鶴太郎に自らを重ねるように、そしてまた彼に後押しされるようにして「とりあえず今は楽しんだらいいんじゃないか」と思いなおし、ふたたび左手のトレーニングを再開したのだった。

右脳を開発しはじめて(?)できるようになったこと、現れた変化

ここからの話はあくまでも「わたし個人の感想」である。
基本的にわたしは「利き手ではない左手を使うトレーニングをすることで、右脳の活性化や開発につながる」という説に従い(そういう本はたくさんあるので興味がある人は調べてみてほしい)、これらのトレーニングを行っているが、信じるか信じないかは読者の皆さんのご判断におまかせする。

だがわたし自身はいたって真剣だ。

①スマホを見る時間が減った

まず何よりもスマホを見る時間が減った。
「暇だなー」と思ったときは、左手のトレーニングをしたり、ストレッチをしたり、良い意味でぼおっとできるようになった。というより「暇だな」とあまり思わなくなったとも言えるかもしれない。
退屈を退屈と思わないというか、とりあえずスマホを見たりしなくても間が持つようになった。
だがこれはコロナの療養期間を通して、いわゆる「デジタルデトックス」的なものを心がけていたので、必ずしも左手を使ったトレーニングの効果だけではないかもしれない。

②穏やかになった。焦らなくなった

左手を使うトレーニングをしていると、基本的に最初は上手くいかないことが多い。最初は出来なくて当然、というモードがデフォルトになるからか、まぁのんびりやってみよう、という気持ちになって、とりあえず「昨日より今日、今日より明日、ほんの少しでも上手くなったらいいかな」という気持ちを持てるようになった。
自分はコツコツと努力することや継続性がないことがコンプレックスだったので、これはうれしい変化だった。

③結果的にダイエットに成功した

これはまったく想定していなかった効果なのだが、結果的にダイエットに成功した。
前述したとおり、わたしはこのコロナの療養期間の10日間で4kg近くも痩せてしまった(食欲は一応ずっとあったから、自主隔離が終わり家族共用の体重計で久々に測ったときに本当に驚いた)。
最初はせっかく痩せたのだから、この体重をキープしてみようかとも思ったのだが、病気による良くない痩せ方であるのは明白だったし、なにより落ちた体力を戻すことがまずは先決であると思い、普通に以前と同じ用にバクバクと食いまくるようにしていた。
だが、その際も慣れない左手の箸でずっと食べるようにしていたからなのか、どうしても右手のようにはいかず、食べるのに時間もかかるため、結果的に現在もコロナ感染前よりも2.8kg減くらいをキープしつづけることができている。
(※この記事を書いている現在では、左手の箸を使っても右と同じくらいのスピードで食べることができるようになったが、以前のように「やけ食い」などをすることはなくなった。「今のところは」だが。)

④部屋がきれいになった

おそらくこれは③とも関連している。コロナによって自分は一旦死んだのだから、新しい人生を始めようというモードをキープできていて、以前よりも部屋が荒れなくなった。
以前だったらダラダラと寝っ転がってスマホを見ていたようなときに「ちょっといま一瞬だけ掃除機をかけてみようかな」と思うことが、毎日ではないけど増えた。

⑤生活が(ちょっと)便利になった

まだまだ完全にではないが、無意識に左手を使うことが増えた。たとえば物を落とした時などに、反射的にパッと左手が出たりするようになった。
③ともすこしかぶるけれど、たとえばお粥とお漬物を食べるときなどに、左手に持った箸でお漬物を口に運んだあと、そのままの流れで右手に持ったレンゲでお粥を食べたりできるようになった。外でやろうとは思わないが、なんだか二刀流(?)のような感じでちょっと楽しい。
他にもマウスを左手でも使えるようになったので、右手でスマホをスクロールしながらパソコンも同時に操作できたりするようになった。
どのくらい意味があるのかわからないが、両手を使って何かをするときは、なるべく「俺は『千と千尋』の釜爺(かまじぃ)になったのだ!」とイメージしながら練習するようにしている。

⑥スピるようになった

これは冗談半分だが結構本気でもある。
もともと超常現象やオカルティックなものに関心がある方ではあったが、別にそういった『月刊ムー』的なノリだけでなく、昔からある暦であったり、月の満ち欠け、日の出日の入りの時間などを気にするようになった。あとは宇宙人には興味はあっても、宇宙や天体などにはまったく興味がなかったのだが、そういったことも気になるようになった。
おかげでわたしの現在のGoogle Calendarには「月の位相」「日の出日の入り」「六曜」「二十四節気」「中華圏の祝祭日」など以前だったら全然気にしていなかったカレンダーが大量に追加されることになり、今では毎朝それらをチェックするのが楽しくなってしまった。
また、生来の疑り深さが完全に解消されたわけではないが、以前よりも直感を信じようという気になったし、たとえそれが外れていても、まぁそういうときもあるよね〜と思うようになった。

⑥新しいことにチャレンジしてみようという気になった

これが一番うれしい誤算だったかもしれない。
左手で何かができるようになってくると、思っていた以上にかなりうれしい。この数年「わかりやすく努力した分だけそれが結果につながる」という経験を全然していなかったので、これは大きかった。
なんだか以前よりもなにか新しいことをはじめるときの最初のハードルが下がったように感じる。
もちろん、だからといって何でも上手くいくことはないだろうが、今は以前だったら「今さらそんなことやってどうすんの」と思っていた、ピアノの練習をちょっとしてみたいなーと思ったり、SNSとかも「全部もう削除しよう」と考えていたけれどまぁ無理のない範囲でもうちょっと更新したりしてみるかーと思うようになった。
あとわたしはお金のことが全然ダメなのだが、とりあえず初めて家計簿をつけるようになった。

筋トレ全盛期のいま、あえて左手のトレーニングを

生まれて初めて書いた左手の文章。ちなみにこれはタブレットではなくDAISOで売ってる電子メモパッド

今も左手を使ったトレーニングは継続中で、現在は気が向いたときに、左手で字を書く練習を始めている。
わたしは別に「字」に関してはキレイな字を書けるようになってやろう、などとはまったく思っておらず、ただたんに気分転換になるからやっているという感じだ。

左手で箸を使うことに関しても、この1ヶ月間で4回ほど昔からの知人・友人と食事をする機会があったのだが、こちらが言い出さない限り誰一人気づかなったから、それなりに様になっているようだ。
けれども、豆腐やツルツルした麺など、いまだに掴むのが難しいものもまだまだあるので、引き続きこちらは練習していくつもり。

で、左手を使うトレーニングをするようになって、果たしてわたしの右脳は本当に開発されたのだろうか?

はっきり言ってそれは、わたしは脳科学者ではないし、脳のMRIを撮ったわけでもないから、実際のところはよくわからない。
ぶっちゃけ2ヶ月弱くらいじゃそんなに変化はないだろうという気もする。けれども、実際にわたしの生活に変化が出たのは事実だ。

それと「新しい人生」が始まっているのかについても、正直なところよくわからないが、生活スタイルはたしかに変わりつつある。

この記事でわたしが言いたいことがあるとするならば、最近はなんだかどこもかしこも「筋トレをやったらすべて解決する」といった筋トレ信仰が盛んだけれども、別に肉体的にも精神的にもそういうマッチョなのはちょっと……という人には、左手を使ったトレーニングは本当にオススメだということである。

個人的には格闘技とかもやっていたから、筋トレの効能というのはたしかにあるとは思うけれど、左手を使ったトレーニングはそれとはまた違った楽しさがある。
筋トレのような苦しい思いもしなくていいし、いつでも思い立ったらすぐに始められる気軽さも魅力だ。
もちろん左手を使ったトレーニングにもそれ相応のしんどさは当然あるけれど、ふだんの生活の中でまずはなにかひとつ左手でやる作業を取り入れると、ひょっとしたらなにかが変わるかもしれない。

最後になるが、冒頭のボールが2つ重ねられている意味不明の画像は、この記事を書き始めたときにとつぜん「今だったらボールとかも余裕で重ねられるんじゃないの!?」となぜか思いたち、実際にやってみたら数分かかったけれども一応できた瞬間を撮影したものである。

だからなんだよと言われたらそれまでなのだが、この記事を書いているあいまに気分転換でボールの上にボールを積む練習をずっと繰り返していたら、どんどんタイムが早くなっていった。

こういうことも意外と馬鹿にできないのかもしれないと最近は思うようになった、というのが今のわたしの心境である。


檀上 遼

だんじょう りょう。兵庫県神戸市生まれ。文筆と写真を中心に活動中。著書『馬馬虎虎 vol.1 気づけば台湾』台湾旅行記『声はどこから』『馬馬虎虎 vol.2 タイ・ラオス紀行』など。

最後にとつぜんの宣伝になるが、今バカ売れしている話題沸騰のアジアを知るための文芸誌『オフショア』に『工場の李さん』という記事を寄稿しているのでよかったらチェックしてみてください!


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