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わたしにとってのアラウンド50

 わたしは50歳を超えてはいない。
 今まで、実年齢を聞かれても抵抗を感じたことはなかった。

 30歳を過ぎた頃、「自分は永遠の20代」と言っている同級生を痛々しいと思っていた。
 なぜ、20代に固執するのだろう?そりゃあ若い方が良いに決まっているけど、実際に20代でもないのにそう言ってる方が恥ずかしい。

 40代に入った当初も、たいして気にはならなかった。
 アンケートなどで「 40代 」を選択する時、あぁ~年代がひとつ上がったなぁ~、と思った程度。
 
 25を過ぎると、歳を明かすことに抵抗を覚える女性が圧倒的に増える。周囲を含めて世の中を見た雑感だけど。


 わたしの場合、歳をあえて隠したりごまかしたことはない。
 
 年齢を口にできないのは、実際の年齢に応じた暮らしなり生き方なりができていないから

 そう思って生きてきたから。

 この「 年齢に応じた 」状態は、人によって基準は色々だろうから何とも言えない。
 一昔前の感覚で例えてみよう。
 「30歳までに結婚して、遅くても35歳まで子供が一人ほしい」という願望がそれなりに実現していれば、実年齢を口にするのはそれほど苦痛ではないように思える。
 昔、職場の上司だった独身男性が39歳から40歳になる時、「 40までには結婚していると思ったのに(できていない)、だからこのまま40代になってしまう現実が嫌だ 」と話していることがあった。

 何歳までに結婚が、子供が、というこの感覚は、令和の時代の価値観だと「 は? 」となるのでしょう。あんまりピンとこないかもしれない。

 今、ちょうど『うりる』というドラマを観ている。
 主人公の32歳独身女子が処女であることに後ろめたさを感じ、それをどうにかしたくて恋愛方面で奮闘するストーリーだ。
 年齢を言いたくない、と直接はつながらないけど、これに近い気がする。
 この歳なのに自分はこれができていない、周りの人はできているのに、と比較してコンプレックスに思ってしまう、そんな感覚だ。



 歳を恥じることなく生きてきたわたしが、つい先日から「 もう歳を言いたくないな 」とはっきり感じるようになった。

 今の言い方でカテゴライズするとアラフィフという層にいるのがイヤだし、特に、50代というケタになるのがものすごく嫌でイヤで拒絶感が半端ない。


 なんで、こんなにも50という数字に嫌気がさしてしまったのか。
 
 それは、日に日にいくつかの理由が積み重なって、『 なんかもぉつまらんし、なんかもうイヤだわ 』という心境に達してしまったから。




少子化と移住の記事に表れた数字


 ひとつは少子化関係の記事を読んだこと。
 そのネット記事には、
「 現時点で、女性の半数が50歳以上に突入してしまった。これは非常に大問題だ。というのは、50歳以上の女性に出産は見込めないからだ 」
と書かれていた。

 ごもっとも。少子化は大問題で、これに間違いはない。
 わたしに至っては、40代になってからは子供を産もうなんて気持ちは1ミリもなかった。その歳で小さな子供を一から育てるなんて、わたしの人生は崩壊しかない。

 でも、この記事の基準を大袈裟に解釈すると、産める=女なのだ。
 男性は、何歳になっても産む産まないはあまり関係ない。でも、女が産まなくなる目安は50歳という数値で設けられている。
 出産とは、女という性別特有のもの。(不妊症の方が女ではない、という意味ではなく、あくまで生物学的に。)
 だから、女性じゃなくなる基準が50歳だと言われてる気になってしまったのだ。


 もうひとつ。
 過疎化した町への移住に関する記事を見た。
 移住するとその自治体からお金をもらえる。 
 ただし、50歳未満限定で
 リタイヤして移住してくる50歳以上の方はご自由にどうぞ、これからこの街で活動なり子育てなりして街を活性化してくれる年齢層は大歓迎、ということの表れだろう。
 これも、50歳以上はオワコンだと軽く認定された気分だった。

 このように、50歳とは、他の年代と違って明らかな社会的な線引きとなっているのだ。



恋愛みたいなことはもう無理なんじゃ?


 さらに。
 アラフィフ、と名乗った途端、恋愛から間違いなく遠ざかる。

 恋愛に全然興味がない、もう無理だから本当にどうでもいい、人生には恋愛なんかよりもっと楽しいことしかない、という方には無縁の感覚だろうけど、本当は「 もはや自分から積極的に行動はできないけど、ちょっと恋愛チックなトキメキが欲しい 」と、素敵な誰かが降ってくる夢を心の奥底で抱えているアラフィフ女性は決して少なくないとわたしは踏んでいる。


 淋しがりやのわたしは、心から信頼できる彼氏なりパートナーなりがいまだに欲しくてたまらない。
 そこまでじゃなくても、とりあえず一日だけ心から楽しく遊んでくれる人でもいい。(←求める程度の落差がひどい)

 傍に安定した誰かがいてくれない限り、死ぬまで誰かと恋愛したくて探し求める。
 きっと、恋愛体質のさがだ。

 けれど、実際に相手を見つけるとなると、絶望感を否めない。


 出会い系ではない匿名SNSだと、40代の女性まではオッケーという男性が案外いたりする。
 と、一見矛盾したことを書いているけど………
 わたしが見たそのSNSアプリは、出会い系じゃないはずなのに、結局誰かと出逢いたくて利用している人が多い様相なのだ。実際、その匿名アプリを通して男性の個人アカウントを明かされたことがある。
(実際に連絡は取りませんでした。)

 自分が30代後半でも、10くらいまでなら年上でもいい、という男子がわりとごろごろいる。
 まあ、年上なら食事をしたら奢ってもらえそうとか、そんな目当てもあるんだろうけど。
 
 これが、試しに『 アラフィフ 』と名乗ってみると、一気に引かれる。
 40後半もアラフィフではあるけど、50前半もアラフィフ。こちらが後者であるリスクを回避してのことだろう。
 アラフォーと名乗っている時と、わたしへのアクセスが全然違う。
 50という数字を匂わせるともうアウトなのだ。

 だいたい50代のオジサマでも人によってはイケオジで、年上からも年下からも男として扱われる。
 50代の上司が年下の部下と不倫する話も珍しくない。

 けれど、逆に女はそれが厳しい。
 イケオバ、という言葉があったとしても、言語を超えた残念感しかない。  
だから、50を超えてもイケてる女性がたくさんいらっしゃる場でも、実際にこの表現は使われないのだろう。

 
 「 恋愛に年齢なんて関係ない 」という、正しく美しい理念があることはある。

 けれど、これが実際の世間というやつだ、と最近しみじみ感じている



成熟したものを持たないわたし


 これは、そんなのアナタだけですよ?と指摘を受けたらそれまでだけど………

 
 わたしの場合、実年齢に相応しい生き方ができていないから、余計に抵抗が生まれてしまった。
 ここでいう『 相応しい 』の基準は、何歳で仕事や恋人や結婚や出産や家族や持ち家が、と、先程例え話で書いたような目安で測ってはいない。

 これもネット記事で読んだことだけど、50歳くらいになる人というのは、人生のまとめの時期に入ってくるらしい。
 それまで生きて来て培ったものが成熟してこれからのより良い人生に生かされたり、大輪の花を咲かせたり。
 そんな時期にさしかかるのがアラフィフなんだそう。
 人生の大団円期の始まりなのだ。

 実際、50代、60代の方が人生面白いと発信している方も数多くいらっしゃる。


 が、わたしの場合、風の時代になって価値観が変わって、今までの自分を見つめ直すと、そうじゃないのだ。
 今まで生きてきた道を完全否定はしたくないけど、本当の自分で生きてはいないことをあらためてまざまざと自覚してしまった
 だからこそ、生き直したいと思っているし、そうは言っても今までの経験を完全に切り捨てたりまったく無駄にするつもりもないけど、『 アラフィフにもなるのに、堂々と喜んで人に語りたいものがない自分 』という立ち位置に、ものすごく嫌気がさしているのだ。 

 やっぱり、年齢の数字に対抗できる自信が自分の人生にあるのかどうか

 それが何かは人それぞれだとしても、そこに尽きる
 




 10代の子達からすれば、30代も40代も50代も、区別なく同じオジサンオバサン。
 

 ただ、50歳というのは、あちらこちらで使われるボーダーライン。
 はっきりした区切り、何かからの除外がある。

 

 50代女性の方々の擁護のために書いておくけど、実際、年齢なんて関係なく人生楽しんでいる方はいっぱいいる。
 

 特にnote界隈でアラフィフさんとプロフに書かれている方はそうだと思う。

 そういう方は、きっと実生活が充分潤って満足しているのでしょう。
 悩みがあったり体調に不安を抱えても、きっとそれを笑い飛ばせるシアワセとパワーに溢れている。

 仲良しの旦那さん、家族がいるとか、仕事がめちゃくちゃ楽しいとか、ずっと続けて来た趣味があるとか今ハマっていることがあるとか、恋人がいるから淋しくないとか。
 充実しているから見た目も気力も若くてオーラも何だか違う。
 楽しく生きているオーラのもとに幸運は舞い込む。シアワセだと思えることがますます増え、ますます充実して、……という好循環しかない。

 その結果、アラフィフでも楽しい、アラフィフからが楽しい、と堂々と言えるのでしょう。
 うらやましいの極み、としかわたしには言えない。

 また、子育てにいそしんできた女性が子供の独立で時間ができて新たなことを始めたり、卒婚したり、定年後の夫婦関係がうまくいかず熟年離婚して新しいスタートを切ったり、と「 第二の人生 」を始める人も

 今までの人生に甘んじることなく、これまでと同じではつまらない、何か新しいことを始めたい、変えたい、と行動できた方々だ。

 ちょうど、色々なものから無理なく解放され(といっても離婚は大変だろうけど)、切り替えや断捨離をうまくできるのが50代なのかもしれない。


 50代の方々が平成初期の若かりし頃に耳にしているはずの、安室奈美恵ちゃんの『 Chase the Chance 』でも歌われている。

もうなんだって
アリみたいな時代だから
モタモタしてちゃ損だから
A to Zだけじゃ足りなそうだから
身体で話そう
誰のせいでもないから
怒らないけどね近頃つまらない
つまらなければおかしくすればいい
Chase,Chase the Chance

 この曲が流行っていた平成初期は、
『 もうなんだってアリ 』と、
『 そうはいってもやっぱり 』、
がまだまだ混在していた時代。

 今は、犯罪を除けば本当にもう何だってアリのはず。

 嫌だ嫌だと言っていても、生きていればやがては50代になる。
ディスアドバンテージだらけだとしても、つまらなければ自分でおかしくするしかないのだ。



 とりあえず、ここまで書いてわたしが思ったことは、これまでの自分の人生のことはともかく、ネットの記事や世の中のニュースやSNSに左右されすぎている気がする。

 余計な電波は消して、暦と静かに暮らしながら、断捨離と書くこととやりたい勉強を粛々と進めるべき。

 50という数値のコンプレックスを乗り換え、幸せに生きていると堂々と誰かに言えるようになるために、人生を可笑しくするために今できることはそれなのだと、風に乗ってやってきた言葉達がわたしにささやいている。



 

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