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【退職録】どんなに周りに迷惑をかけても、私は自分のために会社を辞める。【3社目(後編)】

3社目の約3年間、本当に恵まれた会社員生活だった。

私はいわゆるLGBT社員で同性パートナーがいて、それを特に隠さなかったけど(とはいえ大々的に発表した訳でもないので知ってる人と知らない人といたと思うけど)差別されるなんていうことは全くなく、私のみならず彼女のことまで気にかけてくれる優しい人もいて。

特に、「(辞めたくないけど)もう私は限界で、辞めるしかないんです」と混乱状態で上司に泣きついたとき。辞めないで働いてくれと言ってくれた。限界にさせないように働かせてくれた。

関連記事:【退職録3社目(前編)】もう、会社を辞めるしかない。一人でカフェで泣きながら退職願のメールを書いていた。

人間関係の軋轢とかも、少なくとも私の周りは全然なかった。仕事内容も私の能力の中では適性のあるものをやれていて、つまらなくもないしきつすぎて死にそうになることもないという、まさにちょうどよい業務を担当させてもらっていた。

1社目も2社目も働き続けられなくて辞めたけど、3社目の退職時は勤めようと思えば勤められる状態だった。19時には必ず退社して土日も休めてたし、まだまだ頑張れるよ〜っていう感じだった。


私は私のために、何がなんでも退職する!

それなのに退職した理由は「”自分がやりたいこと”で、新しいチャレンジをしてみたいから」。いや、正確には「”自分がやりたいこと”を知るために、やりたくないことは一切やらないことにしたから。会社には行きたくて行っているわけではないと分かったから、もう辞めたい」。

そう、退職願を出した時点では次に何をやるのかはっきり決めていなかった。おそらく、当時28歳の私は「しばらく休学して世界一周自分探しに行ってきます」という学生インターンとほとんど同じ雰囲気を醸し出していた。ずっとずっと、私は「やりたいことをやってみたい人」だった。そのままほどほどに居心地の良い会社にいたら、ずっと「やりたいことをやりたいな」と思いながら死んだ可能性もあった。

嘘をつくのも嫌で、かなり本音ベースで上司に伝えた。さすがに、業務の都合上もう少し後に辞められないかと求められた。ただ、その他の退職理由や私の気持ちについては本当に寛大に受け入れてもらい、上司部下の関係というよりも同時代を生きている仲間として話をしてくれたように感じて、嬉しかった。

そこまで良くしてくれた会社のみなさんにまだ全然恩返しできていないのに突然辞めるとは、なんという自己中な社員なんだろう。でも、もうどんなに誰に嫌われても、自分のためにこれだけはやり遂げなければという決意で、思い切って退職まで完走した。


「好きなこと」だけして生きていく。

上記の見出しは心屋仁之助さんの本のタイトル。この本から私の決意は始まった。環境の良い職場を辞め、本当に好きなことだけして生きていく決意。

この本は、ある日パートナーが偶然買ってきて、彼女は真剣に彼女自身と対話をし、苦しみ、もがいて、泣いて、結果として彼女の中でパラダイムシフトが起こり、会社を辞めた。彼女はもう我慢することはせず、好きなことだけする、という人になった。

その姿に私は影響されて、私も同じ本を読んでみた。しかし彼女のような変化は起こらず、「たしかに、うーんたしかに、そうなのかもね〜!」という感じだった。たとえばこんなことが書いてあった。(目次より抜粋)

・あなたは頑張っても報われない
・頑張らなくても価値がある、と信じよう
・ハードルは越えるものではなく、そもそも必要ない
・好きなことをしていると、なぜかお金が入ってくる
・「かわいそうな私」でいることがあなたの好きなこと
・未来の心配のために、今を犠牲にするな

優しい言葉で書いてあるけどかなりのパンチがきいていて、この本で書いてあることをそもまま飲み込むのは相当難しい。正直、ぶっ飛んでる。とてもじゃないけど飲み込めなかった。これを受け入れたら、今までの自分を否定するような内容。私だけじゃないと思う、普通に働いてる人のほとんどはそう思うんじゃないだろうか。「うん、そうかもね。とはいえ・・・」と言いたくなるんじゃないだろうか。


「好きなことがないという人のために」

上記にも書いたが、私には「好きなこと」がとくになかった。ぼちぼち楽しく働いて、土日は彼女や友達と楽しく過ごしたりして、好きなことができたら、好きなことをやって、会社を辞めた方がよくなったりしたら、辞めよう。それまでしっかり働いて自分の能力も開発しよう。と思っていた。

この本の最終章は「好きなことがないという人のために」だった。

この章が私に一番効いた。(というか、この時点では、ここしか意味がわからなかった)

私にもほんとうは好きなことがあったのに、それをまともに一生懸命追わずにきたために、好きなことがない状態になっているということらしい。この状態で好きなことを探しても、もう埋もれてしまっていて、どこをどう探してももはや見つからない。


「好きなこと」はたいしたことじゃなくていいらしい。

頼まれなくてもやることならなんでも「好きなこと」と思っていい。

たとえば、平日も休日もトイレは行きたいから行っているし、休日には食べたいものを料理して食べたりしている。本当にやりたいことだけやって良いよと言われたら、寝て、トイレ行って、料理作って、パートナーと話をして、映画を見て・・・頼まれなくてもやることっていったら、それくらいしか行動が残らない。

「やりたいこと」が見えなくなっている人は、「やりたくないこと」をやめると良いらしい。たしかにそうなのだろう。私も、リアルな感覚を取り戻したい。そして、好きなことだけして生きていくフェーズの入り口に立ってみたい。

3社目の会社は嫌いではなかったけど、もし行かなくてもいいのなら行かないなと思った。満員電車に乗るのも嫌だ。だから、何はともあれまずは会社を辞めることをしなければならなかった。


指摘されないような生き方

以前、心理カウンセリングを受けた時に、なんの流れだったか、「指摘されないように生きている。」と答えたことがある。

「指摘されないような生き方」とは、恐ろしい生き方だ。これは、自分がやりたいことではなく、他者に肯定されるようなことを選択するということを意味している。人に刷り込まれている癖は幼少期の親子関係から始まる。幼少期から20代後半までずっと私はそうやってきたということだ。逆転のチャンスになる反抗期でもうまく反抗できないまま、そのまま育ってきた。

指摘されない(他者に肯定される)ことを選ぶことが日常化すると、不思議なことに、他者に良いと思われる行動を自分で好きで選んでいると思い込むようになる。自分の価値基準を地中に埋めて、他人の価値基準をあたかも自分のもののように感じている状態だ。他人の価値基準とは、人の顔色とか、社会とか、世間体とか。本来は自分の感覚じゃないものを、自分の感覚だと思い込むことができるとは、本当に恐ろしい。

極端な言い方をすると、自分の感覚や価値観を殺す生き方。しかしそれが私流のサバイバル術だったわけで、これが悪いわけじゃない。むしろ今までそうやって生き延びさせてくれた昔の私に感謝している。でも、もうそのやり方は終わりでいい。私は私自身の感覚で、私の人生を生きたいと思うようになっていた。


最終出社までの日々

退職願を出してしばらくした時期から最終出社日まで、会社を長く休んでいた。休んだ理由は、この記事に書いているような諸々の自己探索の迷宮をうろうろしていたからだ。自分の意思を殺せば普通に会社に出社しいつも通り働けたと思う。でも今回ばかりは意地でもそれをしたくなかったので、しなかった。

引き継ぎくらいはしてね、と言われていた。私も引き継ぎくらいはしたかった。当たり前だよね、引き継ぎくらいはしたいよね。でも、頼まれなくてもやりたいの?引き継ぎ要らないよ、っていわれてもやりたい? そう考えるとNOだった。「引き継ぎしたい私」は本当は私じゃない。それは他人の希望を内在化させたハリボテの私なのだ。

もし、私が後任の立場だったらと考えた。正直、引き継ぎが無くてもその業務はできる、と思った。そもそも、私は自分の経験としてはまともな引き継ぎを受けたことって無かった。周りに聞きながら業務を成立させてきた。今回の私の業務は同じことをやっている人もいたので、そもそも引き継ぎが無くても出来る。

とはいえ、私だけが持っている知見だけは残していこうと思い、それだけは文書化して社内に残してきた。本当に本当に最低限の仕事だけした。

今までの自分から見ると、信じられない行動だった。まさに「嫌われる勇気」が必要だった。勇気をもって人に迷惑をかけるということは、あの時の私にとって、ものすごく必要なことだった。

最終出社日は自分の荷物を回収し最後の手続きをするため、のこのこと出社した。 みんな(私が会社に来れない状態だと思っていたので)驚いていたように見えた。会社のみなさんには説明不足なまま辞めることになってしまったけど、私は私のわがままを、ついに守り抜いて達成したのだった。



***過去ブログからの転載(加筆修正あり)おわり***


4年半前、あのとき会社のみなさんに支えていただいたおかげで、私は自分をよみがえらせることができたと思っていて、心から感謝しています。

その後、私は孵化したばかりのヒヨコのような主体性で、ヨチヨチ歩きだしました。その後の4年半のことも、少しずつnoteに書いていきたいなと思っています。またお付き合いいただけたら嬉しいです。

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