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古代エジプト美術館を探検する:前編


今回は、東京・渋谷にある古代エジプト美術館について紹介していく。菊川匡 博士によって創設された日本で唯一の古代エジプトの専門美術館である。当館は博士自らの手で収集されたコレクションが展示されている。博士の審美眼によって集められた選りすぐりのコレクションが堪能できる。

膨大な量のコレクションが展示・収蔵されているため、前編と後編の2回に分けて紹介していく。前編ではエントランスと第一展示室及び第二展示室を紹介し、後編では第三展示室の暗闇の間を紹介する。暗闇の間とは何なのか?と疑問を抱く人もいるだろう。私が勝手にそう呼んでいるだけだが、言葉の通り、一番奥の部屋はエジプトの地下墳墓をイメージし、真っ暗闇なのである。暗闇の中を懐中電灯片手に展示品を探していく。探検とミステリーの臨場感を味わいながら展示品を鑑賞することできるのである。

【東京・渋谷 市街地】

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天気が良く、半袖でいられるような日だった。日差しは強く、コンクリートで跳ね返る熱気がジワジワと肌を焼いていく。白雲とビルに切り取られた空は、ずっと遠くまで青かった。

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デパートの液晶に映し出される新作ゲーム機は、街の一部として溶け込んでいる。信号が青色に変わると、歩み出す人々。これから皆、どこに向かうのだろうか。もしかしたら、自分と同じ目的地に向かおうとしている人もいるのかもしれない。

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イエローの発色が今日も眩しいタワーレコード。ひたすらこのビルは、目立っている。あまりに存在感があるからか、このビルの前で待ち合わせをしている人々もいる。

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ようやく目的地に近づいて来た。古代エジプト美術館は、渋谷駅ハチ公口から5分程度のところにある。写真の右手にあるクリーム色のビルが美術館が入っているテナントである。

【館内入口】

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ビル名はメゾン渋谷。このビルの8階に古代エジプト美術館はある。タワーレコードの斜め向かいに位置し、所在地は東京都渋谷区神南1-12-18 メゾン渋谷801。こんなところに美術館が!?という意外性が新鮮である。

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8階までエレベーターで上がると、館内入口がある。右手には、額装された古代エジプト関係の写真。入館する前から胸が高鳴る。

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エントランスは、エジプト学者の書斎のような造りになっている。書籍や雑貨などが置かれている他、ミュージアムショップも兼ねている。ここでは古代エジプトにまつわる様々な雑貨を買い求めることができる。左手には、エジプトの地図が飾られている。アンティークな風合いの趣ある地図だ。

【エントランス】

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館内のマップを自作した。赤い点が現在地を示している。展示室の番号や呼び名は、私が勝手に付けたものであり、本来であれば鑑賞するルートに順番などは設けられていない。だが、今回は分かりやすく紹介する都合上、上記のようなマップを作成し、各展示室の分類番号と呼び名を自分なりに付けた。それでは、館内のエントランスから早速観てみよう。古代エジプトへとタイムスリップする冒険の始まりである。

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エントランスには、ソファーが設置されている。このソファーに腰掛けながら、まず最初に古代エジプトの歴史をまとめたビデオ鑑賞が始まる。本棚の上に置かれたテレビからムービーが流れる。

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なんとエントランスで既に古代エジプトの考古遺物が展示されている。年代としては、末期王朝時代(前664〜前332年頃)に造られたもので、材質は青銅である。用途としては、神殿に奉納された。こうした小像は神殿の祭壇に奉納され、ある程度の量になると神殿地下の奉納室に移動された。古代エジプトの神々には、それぞれ役割が存在したため、様々な神々を象った小像が奉納された。例えば、イシスやバステトであれば母子の守護、オシリスであれば死後の安寧など、人々が願いたい内容に合わせて祈願する神を選んだ。画像の左から順に紹介すると、ハルポクラテスは幼少期のホルスの姿である。この名はそれぞれギリシア語名であり、エジプト語名ではハルポクラテスは「ヘルパァケレド」、ホルスは「ヘル」と呼ばれた。中央に置かれているのは玉座で、椅子の脚の部分はライオンを象っている。しばしば古代エジプト人は、このような調度品にライオンを象る造形を好んだ。右手に置かれているのはホルスで、ハルポクラテスが成長した後の呼び名である。ハヤブサの頭部を持つ男神で、神話上では最も重要な神として扱われ、神々の王とされる。

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こちらも末期王朝時代の青銅製彫像が飾られている。左手に置かれているのがイシス、中央と右手に置かれているのは、どちらもオシリスの像である。イシスはオシリスの妻であり、ホルスの母とされる。王権を司る女神であり、夫と子の守護も司った。古代ローマの著述家プルタルコスが編纂したオシリス神話では、殺された夫を復活させ、息子ホルスを教育して、宿敵セトに立ち向かう勇敢で気高い女神として描かれている。オシリスは農耕の神で、人間に農業を伝授した男神だった。人間から非常に愛された神だったが、嫉妬した彼の弟セトによって殺されてしまう。彼の遺骸はバラバラにされてナイル川に流されたが、遺骸はイシスによって回収され、繋ぎ合わされた後に復活を果たした。だが、一度は死んでいるため、自ら冥界に赴き、地上の統治は息子ホルスに任せて去った。オシリス象が手にしているものは、ヘカとネケクと呼ばれる王笏であり、農耕具と牧畜具が基になっている。エジプトの王権を象徴する儀具として、壁画等の考古遺物で頻繁にその姿を見せる。

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パピルスに記された「死者の書 第68章」の一部。年代はおそらく新王国時代のものだろう。死者の書とは、死者が冥界での危険な旅を無事に終えるためのガイドブックであり、困難の回避方法や敵を足すための魔法の呪文などが綴られている。「日の下に出るための書」というのが当時の正確なニュアンスだが、ドイツの研究者リヒャルト。レプシウスによって「死者の書」と命名された。このパピルスでは、蛇を倒す呪文、ナイルワニを倒す呪文が記されている。蛇やナイルワニは凶暴で危害を加える動物だったため、古代エジプトでは非常に恐れられた存在だった。だが、転じてその力が尊敬視され、ウァジェトやセベクのように神として崇められた例もある。

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第3中間期の「死者の書 第78章」のパピルス。黄金のホルスに変身するための呪文が記されている。ハヤブサの姿をしたホルスが描かれている他、彼を「ネチェル・アア(偉大なる神)」と賛辞するエジプト・ヒログリフが綴られている。

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第3中間期の「死者の書 第59章」のパピルス。イチジクの女神から水と風をもらうための呪文が記されている。

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心臓を象ったアミュレット。石製であり、製作年代は新王国時代あるいは第3中間期と推測される。古代エジプトでは心臓はイブと呼ばれ、復活において最も重要なものとされた。ミイラからは内臓を防腐面から取り除く例もあるが、その際でも心臓だけは取り除かれなかった。宗教上、心臓は冥界の審判の間で天秤にかけて使用するため、最重要視された。中央と右手にはスカラベ型護符が置かれている。中央のものが新王国時代 第18王朝、右手のものが第3中間期のものである。右手のスカラベには「死者の書 第30章B」が刻印されている。これは死者の心臓が天秤の役人、すなわちアヌビスとトトを始めとする冥界の神々の前で、自身の意に背いた発言をしないように抑制するための呪文である。「死者の書」はレプシウスによって命名され、バッジによって190章に分類された。


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末期王朝時代の指型護符。黒曜石で造られている。ミイラは包帯で巻く際に、包帯の間に護符をいくつも挟み込んでいく埋葬例も存在した。これらは、ミイラの包帯の隙間に巻かれていたもので、脇腹付近に置かれた。ミイラから内臓を取り出す際に切開した脇下部分に包帯で固定された。

【第一展示室 占いの間】

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エントランスだけでもかなりのボリュームだが、最初の部屋に入ると圧巻である。部屋中に考古遺物がずらりと並べられている。この第一展示室では、作品鑑賞の他、タロットカード占いも楽しめる。平井”ファラオ”光さんによるタロットカード占いで、一回500円となる。それゆえ、「占いの間」と命名した。今後の運勢が気になる人は、チャレンジしてみてもいいかもしれない。

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クヌム、トト、ホルス、セラピス、オクシリンコスなど、エジプトを代表する神々の彫像が展示されている。材質も多岐にわたる。

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カノプス壺、カノプス容器、ウラエウス像、ステラ、枕、ファイアンス製品、穀物のミイラなどが展示されている。特に穀物のミイラは、小さいながらも圧巻である。

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第三中間期及び末期王朝時代に製作されたマスク群。こうしたマスクは主に漆喰で造られ、彩色が施された。中央のマスクには「へテプ・ディ・ネスウト(王が与える供物)」というエジプト・ヒエログリフが記されている。被葬者が死後の安寧を手にするための定型供養文の一種である。

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左手に末期王朝時代の青銅製トト像。もともと全身像だったはずだが、頭部と脚部以外は失われており、現代で造った木製のパーツで繋がれている。トトはアフリカクロトキの姿で表された男神で、月の運行と知恵を司った。古代エジプトの神話では不思議なポジションにあり、親が明かされておらず、彼の誕生についても語られていない。神話では何の前触れも説明もなく突然登場し、ホルスを手助けする。ヘリオポリス九柱神と呼ばれる創造神アトゥムの系統ではない特別な存在で、その多くが謎に包まれている。クフ王のピラミッドには、トトの隠し部屋が存在するとパピルス文書では記録されているが、その部屋がピラミッド内のどこに存在するのかは、今でも分かっていない。神話上の空想のなのか、未だ見つかっていないだけなのか、いろいろと想像を膨らませてしまう。右手には第3中間期 第25王朝のホルス像。第25王朝はタハルカを始めとするヌビア王朝で、現スーダンにあたる地域の人々がエジプトを支配していた。ホルスはエジプトを代表する大神であり、このように好んで彫像が製作された。本作は、色彩がまだ残った良好な状態である。

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ローマ支配時代の2世紀に造られた玄武岩製セラピス像。セラピスは、プトレマイオス朝時代のプトレマイオス1世によって新たに創造された万能神だった。支配階層のマケドニア系ギリシア人と非支配階層のエジプト人との融和を図って創造される経緯に至った。それゆえ、この神の彫像の年代は、ひと目見ただけで、プトレマイオス朝時代からローマ支配時代にかけてのものと分かる。頭部には穀物の秤を載せている。これはギリシアの男神ハデスのアトリビュートを吸収したものである。セラピスはオシリス、アピス、ゼウス、ハデス、アスクレピオスを融合させた習合神であることの表れである。

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末期王朝時代の青銅製オクシリンコス像。頭部にイシスの冠を戴いている。オクシリンコスは、バラバラにされたオシリスの性器を飲み込んだ魚とされる。それゆえ、イシスはオシリスのパーツの全ては回収することはできなかった。それゆえ、オシリスは復活後も不調で、地上界での統治を諦め、冥界に向かった。

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第3中間期に製作されたウジャトの眼を象った護符。ファイアンスでできてる。ファイアンスとは、ガラスとやきものの中間物で、エジプトではラピスラズリやトルコ石に代わる安価な材質として好まれた。ホルスの眼を象ったウジャトは、再生・復活を叶える護符として非常に好まれた。ウジャトという言葉自体が「再生する/復活する/健康になる」という意味を持っている。神話内でセトに潰されたが、治癒して復活したホルスの片眼を表している。

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第3中間期に製作された女性像と高官像。石灰岩ではなく、花崗岩で造ったこうした石像がしばしば発見される。石の加工の優れた古代エジプト人による見事な造形である。古代エジプトではカツラは正装の一部だった。それゆえ、こうした像に描かれる人物はカツラを着用した姿で描かれている。

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末期王朝時代に造られた穀物のミイラの棺。ハヤブサの棺に納められており、本作は棺の上蓋部分にあたる。棺には向かいあうコブラ、エジプト・ヒログリフによる呪文が記されている。

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穀物を人間のミイラのように包帯で包んでいる。この棺の中には、右下に置かれているホルスの四柱の息子の素焼きの頭部像も納められていた。

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ホルスの四柱の息子の頭部を象った小像。左から順にヒヒの神ハピ、ジャッカルの神ドゥアムトエフ、ハヤブサの神ケベフセヌエフ、人間の神イムセティ。ホルスの息子たちの母親は明記されていないが、おそらくセトとの戦いでホルスを手助けした愛の神ハトホルと考えられている。ホルスの息子たちは、冥界で死者たちとスイレンの花から復活させる役割を担った。

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左側が新王国時代の木製枕、右側が同じく新王国時代の青銅製手鏡である。枕は古代エジプトでは復活を象徴する縁起ものとして扱われた。人間の頭部を太陽、枕の弧を地平線に見立て、太陽が地平線から出入りする様子、すなわち復活と再生を意味しした。枕の台座の部分には、ニードルでヒヒの姿が彫られている。手鏡は鏡面の部分が太陽、柄の部分がスイレンを象っている。どちらも再生・復活を象徴している。

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新王国時代に製作されたファイアンス製魚文碗。水の中に浮かぶティラピアが描かれている。ティラピアは、口の中で子どもを育てる習性から古代エジプト人に特別視された。彼らにはその姿が再生・復活、または子を守護するものとして写った。エジプト特有のブルーの色合いが非常に美しい。

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有翼のスカラベを象ったファイアンス製護符。スカラベは、フンを転がしている姿から古代エジプト人に神聖視された。彼らは丸くなったフンを太陽に見立て、それを転がすスカラベを太陽を運行する太陽神の象徴として扱った。太陽神ラーは複数の姿に変化することができ、夕刻になるとハヤブサからスカラベの姿に変身した。

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新王国時代 第18王朝の石灰岩製ステラ。上部にはホルスの眼ウジャト、永遠を意味する輪シェンが刻印されている。玉座に座す人物はスイレンの花を嗅いでいる。右脇に刻印されたエジプト・ヒエログリフから彼の名が「ウンヘル」ということが分かる。ウンヘルの手前には、ヘス容器と呼ばれる清めの水の儀式を行うための儀具を持つ家臣が描かれている。ステラの下部にはエジプト・ヒエログリフが刻印されている。エジプト・ヒエログリは左右どちらからも記されるが、この場合は、左から右にかけて判読する。「王が与える供物。ウンヘルのカァのために浄めの水を捧げる」と記されている。

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カノプス壺の蓋部分。ハヤブサの頭部を持つケベフセヌエフを象っている。デイル・エル・バハリのアメン神官の墳墓から出土した。本作はウィリアム・マクグレガーの旧蔵品であり、来歴がはっきりとしている。黄金の肉体を持つホルスの肌を黄色の顔料で表現し、ラピスラズリの髪の毛を青色の顔料で表現している。彩色が残った良好な状態である。

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新王国時代から第3中間期の作と推定されているカノプス壺。石灰岩製。カノプス壺にはミイラから取り除いた臓器を納めた。ケベフセヌエフのカノプス壺には、腸を保管した。

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末期王朝時代のカノプス容器。カノプス壺を収納するための外装である。器面には神々等の宗教的な図像が描かれた。美麗な着彩が施されており、観ていて惹きつけられるものがある。容器の蓋には、ホルスの彫刻が飾られている。

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ファラオを守護するウラエウスを象った小像。ウラエウスはコブラの姿をした神獣で、王家を代々守護したという。色を多く使った方が魔力は増大すると古代エジプト人は考えたため、本作もカラフルな彩色が施されている。青は水や生命、赤は炎や力、緑は豊穣、黄色は黄金や太陽を象徴し、その属性の力を増幅させた。コブラは猛毒を持つため、古代エジプトでは非常に恐れられた動物だったが、転じてその恐怖が信仰に変わり、味方に付ければ強大な守護者になると信じられた。

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彩色木棺断片。人形彩色木棺は、中王国時代から製作が盛んになった。当初はシンプルなものだったが、第3中間期以降は、彩色した図像と文字で埋め尽くす様式に変化した。一方、棺の装飾を豪勢にした分、死者の書等のパピルスの数は減り、それらの呪文を棺に記載すりるようになった。本作はドゥアムトエフが描かれていることから、棺の左サイドのパーツだったことが分かる。

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末期王朝時代の人形木棺頭部。木材はエジプトでは貴重品であり、ナイル周辺に生えていたシカモアイチジクかレバノンで採れる高級なレバノンスギが使用された。安価で粗悪な木材を使用すると、すぐに木材がスカスカになって棺の形状が崩れ落ちるため、古代エジプト人は良質な木材を使用することにこだわった。盗掘の際に棺全体は重すぎて運べないため、このようにノコギリで上部だけ切り取ってマーケットに出回った例はよくある。棺の下部には被葬者の名や冥府の安寧を願った呪文が描かれていたはずである。

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プトレマイオス朝時代に造られたミイラカバー。カルトナージュ製。カルトナージュとは亜麻布を漆喰で固めた素材であり、木材に変わる安価な素材として好まれた。本作はミイラを覆うように置かれたカバーで、色彩豊かな美麗な装飾が施されている。カバー中央部には、翼を大きく広げる天空神ヌウトが描かれている。死者はヌウトの翼に包まれ、守護されると信じられた。

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プトレマイオス朝時代に造られた石灰岩製レリーフ。玉座に鎮座するラー・ホルアクティが描かれている。ラー・ホルアクティは、太陽神ラーと天空神ホルスが習合した神で、古代エジプトでは絶大な人気を誇った。本作では、ラー・ホルアクティが力を象徴する杖ウアスを右手に握っている。左手には生命を象徴するアンクを握っている。

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第3中間期 第21〜22王朝の作。木製彫像でミイラ造りの神アヌビスを表している。こうした彫像は、木棺やカノポス容器の上あるいは前に設置された。有名な例として第18王朝のトゥトアンクアメン(ツタンカーメン)のカノプス容器の前には、こうしたアヌビス像が置かれていた状態で発見された。神話上では、アヌビスはオシリスとネフティスの間に誕生したとされる。ホルスの異母兄弟であり、父オシリスと共に冥界で死者を捌く仕事を担った。アヌビスは死者を知恵の神トトのところに案内し、差し出された死者の心臓を天秤で計測した。天秤が釣り合えば死者の無罪が認められ、楽園アアルへ入場することが許された。傾いた場合は、怪物アメミトに心臓を喰らわれ、死者は罪人として地獄へ葬られた。

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「彫刻の間」と命名した第二展示室は、その名の通り彫刻のみがずらりと置かれている。まず、そのボリュームに圧倒される。彩色が残った保存状態の良いレリーフもあり、息を呑む。

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ガラスのケースに古代エジプトのレリーフが並べられている。年代は古王国時代からプトレマイオス朝時代まで多岐にわたる。

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彩色が残った状態のレリーフ。当時の人々の息遣いがまるで聴こえてくるかのようだ。古代エジプト人の日焼けした肌が赤褐色で彩られている。

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彩色が残っていることに加え、世界で最も美しい文字エジプト・ヒエログリフが刻まれている。中には浮き彫りのものあり、当時の職人たちのこだわりとプライドを感じる。

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供物を運ぶ家臣のレリーフ。年代は、様式は、新王国時代 第18王朝後期から第19王朝初期と推測できる。また、漆喰に図像が描かれていることから、もとはテーベ西岸の岩窟墓の壁面の一部だったと思われる。こうした供物を運ぶ人々の肖像は、墳墓内に頻繁に描かれた。墳墓に描かれた図像は、死後の世界で具現化すると考えていた古代エジプト人は、供物を運ぶ家臣を描くことで、死後、永遠に供物が死者の供給されることを期待した。

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バケンレネフの墓のレリーフ。末期王朝時代 第26王朝の作。1820年にサッカラでアレックス・ジュメルの調査隊のよって発見された。レリーフには五柱のオシリスが描かれている。左から順に、ドゥアトのオシリス、冥界のオシリス、地中のオシリス、黄金の家のオシリス、喜びの支配者のオシリスと記されている。オシリスが持つ複数の別名及び称号を列挙している。

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新王国時代 第18王朝の赤色花崗岩製レリーフ。被葬者の男性が描かれており、彼の右側には「アンプゥ」というエジプト・ヒエログリフが刻まれている。これはミイラ造りの男神アヌビスの古代エジプト語名であり、本作が再生・復活に関するレリーフの一部だったことが窺える。

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古王国時代 第5〜6王朝の石灰岩製レリーフ。踊り子と歌手が描かれている。手拍子をしている人物が歌手であることは、彼女の上部にヘシイト(歌手)というエジプト・ヒエログリフが記されていることから判別できる。古王国時代の貴族墓では、家臣や踊り子等の姿が頻繁に描かれた。死後でも現世のような楽しみが続くようにとの願いを込めたものだった。

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古王国時代 第6王朝の石灰岩製レリーフ。人物の顔の正面に「イミルペル(家の監督者)」という役職が刻まれている。また、この人物がチェニィという名だったことが左下のエジプト・ヒエログリフから分かる。肌の部分が赤褐色で塗られていた痕跡が僅かながら確認できる。

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古王国時代 第6王朝の石灰岩製レリーフ。死者への供物として捧げられたカモが描かれている。鳥類は古代エジプト人にとって貴重なタンパク質であり、生活に欠かせないものだった。

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イニのレリーフ。古王国時代 第6王朝の作。東京国立博物館に収蔵されているレリーフと対をなすものであり、両者を繋ぎ合わせると被葬者が伝えたかったメッセージが完成する。本作はレリーフの上部にあたり、東京国立博物館のものが下部にあたる。内容としては、ペピ王に支えたイニが王の命令でレバノンに遠征し、その功績を列挙している。古王国時代のレバノン遠征について述べた文字資料は、本作を含めて2点しか確認されておらず、極めて高い資料価値を持つ。

イニのレリーフを繋ぎ合わせると、以下のような内容が記されている。「////」は文字が欠落して判読不明な箇所である。また、古王国時代のテキストでは、しばしば主語が省かれるため、文脈を分かりやすくする意図で主語を補った。また、「彼」という表現も頻繁に登場するが、文脈に複数の男性が登場し、「彼」がどの人物を指しているのかが分かりづらいため、括弧内に「彼」が示す人物を明記した。

1)////私は無事に帰還した。そして、私は////をやった。
2)イセシの時代の神ウル・ドゥブ・ドゥ・ブアの印章持ちよりも、私は実際に王の目に尊敬の念を持たれて映った。王は王宮の側近長を私のところに派遣した。//// 私は訪ねた。
3)私は上エジプトの監督官と共に王宮に向かい、王は宝物を彼(上エジプトの監督官)の前で私に与え、詳しく列挙した////見た際に。
4)王よ、私が外国から持ち帰った贈り物は美しい。そして、王による私の称賛は他の誰よりも大きかった。それゆえ、私の名前イニ・ドゥフアウは、多くの人によって唱えられたのである。
5)私がペピ王の下で神の印章持ちだった際、私はアムルル、ケンティシュ(現レバノン)とパスウに四度遠征した。
6)私は銀と彼(王)のカァが望んだ、あらゆる美しいものを彼(王)に持ち帰って来た。
7)偉大な事に私は、メレンレ王の下でビブロスに派遣された。
8)私はビブロスの船を持ち帰り、そして、王宮の素晴らしき船を建造した。私はラピス・ラズリ、鉛
、錫を持ち帰った。
9)銀、スフトゥ油と彼(王)のカァが望んだ、あらゆる美しいものを彼(王)に持って来た。私は王宮内で称賛された。
10)そして、私に金が与えられた。私がル・ハアトゥからビブロスに到着した時だった。
11)私は神が以前送ったどの遠征隊隊長よりも、安全にそこへ辿り着いた。
12)私は西方の偉大な神の御前で栄誉を与えられた。私は、唱朗神官、二つの大きな船の中の神の印章持ちである。
13)彼(王)の神に外国の産物を持ってくる彼(私)はイニ////。王のお気に入りの布の監督官シンムウ・ム・ハアトゥ。

14)唯一の友、唱朗神官、二つの大きな船の中の神の印章持ちであるイニ。
15) ネフェレカレ王が私をカンティッシュに送った。
16)私はクブヌトゥ船を持って帰り、そして、貨物船には、
17)銀、西アジア人男性、 西アジア人女性を積載し、そして、褒められた。
18)王よ、私は王宮の奥まで立ち入ることを許され、そして、王の唯一の友、唱朗神官、神の印章持ちの称号を授けられた。
19)王は私に満足していたから、王宮の食事をよく食べた。
20)他の同僚よりも食事しているように見られた////。

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古王国時代 第6王朝の石灰岩製レリーフ。サッカラに形成されるネクロポリス(集合墓地)にあったマスタバ墓の壁面の一部と推測できる。エジプト・ヒエログリフによる内容は、下記の通りである。「あなたは神の言葉で呪文を知る。 あなたは////を導く。祝福されし唯一の友、クヌム・ヘス・エフ、 美しき彼の名はクヌ・メティ」 クヌムとは、牡ヒツジの姿をした男神だった。古代エジプトでは、このように人名の神の名前を度々入れた。また、王を始めとする特権階級は複数の名前を持っていた。本当の名前を知られると、相手に支配されてしまうという思想が存在したからである。それゆえ、クヌム・ヘス・エフとクヌム・メティは同一人物の名前であり、彼が二つの呼び名を有していたことが分かる。おそらく、クヌム・メティという名前の方に「ネフェル(美しい)」という形容が付けられているため、こちらが普段は使わない称号的な役割を果たした名前と思われる。

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プトレマイオス朝時代の石灰岩製円柱。当初は、神殿の一部を形成していた。プトレマイオス2世フィラデルフォスの治世に建造された。円柱には一周にわたってエジプト・ヒエログリフが刻まれている。内容としては、「ラーの魂は力強い。アメンに愛されし者。勇敢な上下エジプトの王。二国の主。ウセル・カー・エン・ラー・メリィ・アメン。ラーの息子。輝きの主。プトレマイオス」というプトレマイオス2世の称号が列挙されている。

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石灰岩製レリーフ。プトレマイオス2世フィラデルフォスの治世の作。プトレマイオス2世の姿が表されているが、顔面が削り取られている。エジプトがローマの支配下に入り、テオドシウス1世によってキリスト教が正式に国教に定められると、他宗教も神殿や彫刻は異端物として破壊の限りを尽くされた。本作もその例のひとつである。当初、キリスト教徒らは彫刻を粉々に破壊していたが、各地に点在する彫刻の数は膨大であり、破壊作業も骨が折れるものだった。そこで、途中から顔を壊すだけになり、最終的には鼻を破壊するだけになった。プトレマイオス2世の上部には、王の更新祭すなわちセド祭の祠堂が刻まれている。また、「ディ・アンク(永遠に生きよ)」、「サァ(保護)」というエジプト・ヒエログリフが刻まれている。


次回は、第三展示室の「暗闇の間」を紹介していく。この部屋には、古代エジプトの墳墓同様、ミイラの棺が安置されている。棺の器面に描かれた図像や文字は幻想世界そのものであり、心を震わす何かがある。また、死者の労役を担う代行小像ウシェブティなども展示されている。暗闇の中、懐中電灯を片手に考古遺物を鑑賞することは、実際のエジプトの墳墓で調査・探検を行なっているような錯覚に陥るほどスリリングで、冒険心をくすぐる。


To Be Continued...


Shelk 詩瑠久🦋







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