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2020年5月の記事一覧
和室に飲料は持ち込まない
和室で過ごす、執務することにハマっています。
疲れたら枕だけ手に取って、その場ですぐに横になる。
そして目覚めたらまた作業を開始する。
このサイクルが今の自分に合っています。
ノートPC、タブレット、スマホ、充電器を和室に持ち込みました。
飲料は敢えて持ち込みません。水分補給する時に立ち上がって移動する必要性を敢えて自身に与えることによって、定期的なスタンディング作用を確保できるからです
もっと短く、例え不正確であったとしても
法律文書のような「解釈の余地を極力なくすべき」ものであれば、いくら冗長になったとしても正確な内容にすべきですよね。
しかし、解釈の余地を極力なくすべき文書というものは決して多くはありません。
むしろ、少しでも長い文章は「もう読まない」と読み手側が離脱する可能性が高まってしまいます。
長いのかな、と思わせた時点でユーザーが離脱してしまうのです。
離脱されて読まれなければ、その文章は社会的には
先週のスクリーンタイム
先週のiPhoneとiPadとMacの画面を見ている時間のデイリー平均は13時間7分でした。
睡眠時間のデイリー平均がおそらく8時間くらい、昼寝もほぼ毎日行っていますので、まあ、そういうことです。
スマホのおかげで仕事も遊びも充実しています。
Netflixで動画鑑賞する際のコツ
Netflixなどで動画鑑賞する際には、仕事や読書やネット麻雀をしながら、という同時並行的な鑑賞スタイルになることも少なくありません。
で、母国語(私は日本語)のコンテンツを鑑賞する際にも「よりスムーズに鑑賞できる」ようにするための簡単なコツがあります。
それは「字幕機能をオンにする」ということです。
日本語コンテンツに日本語の字幕を表示させます。すると、当然ではあるのですが字幕機能オフの際
やや過剰なまでに表現する方が良い
褒める、称える、感謝する等の肯定的な評価を伴う表現行為は、相手が「もう分かった大丈夫」と言うくらいにまでしっかりと伝わるように何度も繰り返すべきです。
褒められて、称えられて、感謝されて悪い気のする人はいません。
発信者側の思い、熱意、熱量を伝えるためには、少し過剰な表現を行うくらいでちょうど良いのです。
発信者側は自分の感情に基づいて表現するわけなので当然自分の感情の熱量等を身を持って体感
緊急事態宣言が解除されたら従前に戻るのですよね?という謎の圧力
私の生活拠点である大阪もコロナショックによる緊急事態宣言が解除されました(@2020年5月21日)。
解除されたからといって喜ぶ、従前と同じ生き方をするという人も多そうですが、仮にそれが可能だとして(そもそも急に戻すこと自体が危険極まりないですが)、なぜ全てを元通りにしようとするのか、という疑問が生じます。
人、業界、場所、市場によっては「従前通りのスタイルよりも在宅推奨時のスタイルの方が上手
指の間を拭くのをやめてみる
寝る前は勿論のこと、寝起きにもシャワーを浴びます。
夏場などはさらに日中にもう一度から二度ほどシャワーを浴びることもあります。とにかく汗をよくかきますし、汗や脂でベタつくと途端に集中力が低下するのです。
何だか気分が上がらないと思った時にとりあえずシャワーを浴びたら気分が良くなったということもザラにあります。
とにかく、シャワーは気軽に楽しめるエンタメなのです。
このように頻繁に水浴びをし
空腹感を覚えたらまずは炭酸水を
何度もしつこいようで恐縮ですが、ソーダストリームという炭酸水メーカーを購入しました。
普通の水が炭酸水になって、炭酸水になった後はフルーツなり何ちゃらエキスなりを入れることによって味付けも可能。
メーカー的には水以外のものを容器に入れるのは非推奨のようで、炭酸化した水に後から味をつけましょうという説明のようです。
で、当初はスターターキットに付属してきたレモンエキスなどを入れて飲んでいました
主張に理由を付けるというのは自衛のためです
論理的な文章を書く場合、ビジネス的な文書を作成する場合などには「必ず結論に理由を付す」ことが要求されます。
ただの事実の羅列だけではなく一定の分類や整理を行うことが期待されるそれらの文章、文書において、結論に理由を「付さない」というのはご法度です。
ビジネス的感覚としてこれはおそらく大多数の人に理解されるはずなのですが、ことプライベートな話になると途端に理由を「付さない」人が目につくようになり
哲学と教養とアート的なものが
今日は2020年5月14日で、コロナショックの開始から2ヶ月弱が経過しました。
徐々に元の生活に戻ろう、戻そうとしている人や分野もありそうですが、そうは言っても各所におけるIT化とAI化に拍車がかかることは間違いなさそうです。
なぜなら、そうしないことには健康的な意味で生きていけなくなる可能性があるから。
移動や密着がコストでありリスクだという認識がある程度共有されてしまった以上、無駄な移動