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崎陽軒のシウマイ弁当。その愛と闘いの記録。
訴えたいことが何もなくなってきた今日この頃です。だが、これだけは書いておかなければならないと思った。
俺は横浜生まれ横浜育ち。悪そうなやつは大体友達なので、崎陽軒のシウマイ弁当。これが地元で食べられないのが何よりも辛い。「悪そうなやつは大体友達」の下りは完全にいらないやつだったな。まあいいか。だから、ちょっとの用事で東京方面に行ったら、必ずこのシウマイ弁当を食べることにしている。これはもはや儀式
歌舞伎町ペーパー・ボーイ:最終話
一枚の写真がある。
オレが心から笑っている数少ない写真の一つ。新宿のタイガーマスク、ダーハラさんとの2ショットだ。新宿タワーレコードの看板にもなった名物おじさんの働く店が、オレの勤める新聞販売店だった。いつも陽気でニコニコして、気前が良かった。休日はローリングストーンに連れて行って貰ったりした。 オレが配達で下手を打って怖い人に呼び出された時も一緒に行ってくれて、事を収めてくれた。 そうそう、オ
歌舞伎町ペーパーボーイ:6
新聞奨学生というと苦学の人、というイメージがあるかもしれない。まあ、そんな人も中にはいるけれど、大抵は等身大の19歳。遊びたい年頃なのは普通の人と変わりない。
ウキウキデート編
ある日、ジュンジが女の子を二人連れてきた。そしてコソコソとオレにだけ聞こえるように話しかけてきた。奴の本命は一人。しかし、デートに誘う勇気がないので友達同士の二人を連れてきたという。ダブルデート大作戦?なんじゃそりゃ。
歌舞伎町ペーパー・ボーイ:5
オレがこうやって新聞奨学生時代のことを話せるのは、それが今までの人生で最も青春を謳歌した時期だったからだ。
オレ達の販売店は、みんな仲が良かった。事務所の連中でバンドを組んだりしたし、遊びに行く時も一緒の面子だった。販売店によっては店員同士まったく口を利かないという所もあるようだし、ホームシックやイジメで田舎に帰ってしまったという話も聞いた。
オレは最初に新宿に降り立って自分の担当区域が「歌舞
歌舞伎町ペーパー・ボーイ:4
・新宿スワン編
まだ暗さの残る午前4時、酔ったホストが怖い人に小突かれてるのをよく見かけた。その時「不良の人の髪が短いのは場面で髪を掴まれないようにするためか!」と学習した。ストリートには学びが多い。この時代、まだアウトローも水商売もイケイケだった。「新宿スワン」の時代のちょっと前だろうか。あのマンガも終盤はファンタジーだけど、序盤の話は結構リアルだったと思う。
……という訳で、ちょっとだけ新
歌舞伎町ペーパー・ボーイ:3
90年代末期の歌舞伎町は雑居ビルの街だった。戦後焼け野原になったこの土地に歌舞伎の演舞場を建て、健全な芸能の街にしようというのがこの街のコンセプトだったらしい。しかし財政面で歌舞伎の演舞場は建設されず、代わりに新宿コマ劇場ができた。歌舞伎町という名前だけが地名として残った。
現在の歓楽街という形になったのは1960年以降だと言われている。その時代に建設された古い雑居ビル…おそらく消防法が適用され
歌舞伎町ペーパー・ボーイ:2
午前三時。運命の時間はやってきた。 いよいよ新聞配達デビューである。しかし、オレの気分は鉛のように重かった。早起きだからではない。担当区域が歌舞伎町だからだ。
ウチの新聞屋が配達を担当するエリアは10区に別れている。新宿アルタ前で有名な新宿三丁目。オフィスが立ち並ぶ新宿五丁目。住宅街の新宿七丁目や六丁目。コリアンタウンの百人町や大久保、北新宿。そして、日本で最もバイオレンスな歓楽街、歌舞伎町。
歌舞伎町ペーパー・ボーイ:1
フレッシュネス・バーガーの前を通るといつも思い出す事がある。
十九歳の頃、親友のジュンジと月イチで新宿六丁目のフレッシュネス・バーガーに行くのが貧乏だったオレ達のささやかな贅沢だった。
二十年以上も前の話だ。
偏差値40(正確には39)の高校に通っていたオレは、成績も出席日数もギリギリで、だけど不良という訳でもなく「何事にも全くやる気のない無気力な学生」だった。クラスメートにはゾクの奴もいた
飲み屋でポテト頼む奴をちょっと下に見ている話
全国のポテトファンの皆さん、まずはじめに申し訳ない。賠償はしないが謝罪はさせて頂く。まず、俺もポテトは嫌いじゃないんだ。むしろ好きな方だ。だが、言いたいことだけ言わせてもらって書き逃げしたい。
俺ももういい歳だから、チェーンの居酒屋にはあまり行かなくなった。元来あまり酒を飲まないタチなので、普段からそういう店には足が向かない。遠方に遊びに行った時や気のおけない友達と食事をする時は、やはり美味いも
シャアは極左:4(最終回)
前回の続き。
「こんなもここらで男にならんと、もう舞台は回ってこんど」手駒がなくなったシャア、自ら動く。
ザビ家への復讐から、理想的な社会への変革を目指した青年期を経て、政治的、平和的手段による人類の改革は不可能であると悟ったシャア。彼の導き出した、たった一つのシンプルな結論とは……
「小惑星を地球に落として人類が地球に住めなくなればの、みーんな宇宙の民となって新たな可能性が開けるんじゃけえ