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歌舞伎町ペーパー・ボーイ:2

午前三時。運命の時間はやってきた。 いよいよ新聞配達デビューである。しかし、オレの気分は鉛のように重かった。早起きだからではない。担当区域が歌舞伎町だからだ。

ウチの新聞屋が配達を担当するエリアは10区に別れている。新宿アルタ前で有名な新宿三丁目。オフィスが立ち並ぶ新宿五丁目。住宅街の新宿七丁目や六丁目。コリアンタウンの百人町や大久保、北新宿。そして、日本で最もバイオレンスな歓楽街、歌舞伎町。

しかし、学生にそんな危ない区域を担当させるのだろうか。いやー実はドッキリでした、みたいな展開を期待せずには居られない。ホワイトボードにはそれぞれの担当区域と担当者が記載されている。えーと…ジュンジは…8区なのか…。オレは…あった。10区だ。10区は………歌舞伎町。

何度確認しても、オレの担当区域は歌舞伎町で間違いないようだ。ジュンジがニヤニヤしている。他人事だとこうも平然としていられるのか。

「おい、キジマ、心配しなぐても骨さ拾ってやっから」

そんなこと誰も頼んでねえ。あと、東北弁うつるからやめてくれ。

新聞を積んだトラックが販売所の前に到着した。まずはそれを降ろし、折り込み広告を本誌に入れて 自転車に積み込む作業からこの仕事はスタートする。それぞれの区域の平均部数はおよそ300部。 だが、オレの区域だけは150部ちょっとらしい。もしかして、歌舞伎町は住宅よりも店舗が多いから配達数が少ないのか?コレは意外と仕事が楽でおいしいかもしれないぞ。

「あとこれね。スポーツ紙」

おいしい話などなかった。スポーツ紙、オレの区域だけ異様に多い。これが100部近く。これに工業新聞、株式新聞、電波新聞、繊研新聞などの業界新聞が加わって、合計300部。ぜんぜんおいしくないどころかややこしい。因みに10区(僕の担当区域)における一般家庭の割合はわずか一割らしい。一般じゃないって事はカタギじゃないって事?配達順と住所を記載してある“順路帳”には、「~企画」「~興業」「~総業」「~企業」の文字が並んでいる。「~エンタープライズ」っていうのもあったなあ。横文字なんてオシャレだねえ……。OK、これ以上はツッコまないほうがよさそうだ。

まずね、配達するお宅の詳細が手書きで書いてある順路帳っていうのがあるんだけど、その備考欄に書いてあるメモが、(ここは特に時間に厳しい)とか (入る時はノックをしてから)とか(大きな足音をたてないように気をつける)とか…そんなのウチの区域だけだと思うんですけど!?

この日初めて知ったんだけど、歌舞伎町にも一丁目と二丁目があり、オレが担当するエリアは歌舞伎町二丁目と新宿四丁目のエリアらしい。当初思い浮かべていたテレビで見る歌舞伎町は一丁目のほうだと言う。じゃあ、二丁目ってどんなところなんだろう?

「ほんとに気をつけてね。気を抜くと刺されるよ」

どこの世界に新聞配達員めがけて刃物振り回すキチガイがいるんだ、と思うだろう。だが、それが歌舞伎町二丁目。歓楽街の奥、区役所通りから職安通りに抜ける辺りのエリアは、暴力団事務所、コリアンマフィア、チャイニーズマフィア、ホストクラブ、ぼったくりバー、マンションヘルス、SMクラブ、違法カジノ、今で言う半グレ、違法ドラッグを売りさばくプッシャーの往来、などなど、よりアンダーグラウンドでイリーガルな空気に満ちた土地である。特に近年は外国人のマフィアが台頭し、縄張り争いが激化しているとのこと。

「日本語が通じないと思ったら、すぐ逃げろよ」

後にマンションのエレベーターで、ヤクザの人にそう教えられた。“日本語の通じる”ヤクザは、ある意味この街では味方である。そう、オレ達の天敵は不法滞在の外国人なのだ。うおお、デンジャラス!東京都庁はすぐそこなのに!まだ、石原都知事による歌舞伎町浄化作戦が実行される前の話だ。

なにはともあれ出発の時間である。 新聞を5部づつまとめ、“タケノコ”のようにして前かごに積み込む。 暴走族のロケットカウルみたいに高く積み上がったら出発。道案内はナゾのマッチョ男サンペイさん(推定三十代)。それでは、行って来ます!

ズガーッ

最初の曲がり角で横転した。

実は新聞を積んだ自転車、予想を遙かに超えた重さでバランスを取るのに一苦労だ。慣れればまったく平気なのだが、最初は皆コケまくるのだ。ハジけ飛ぶ新聞。これを拾う瞬間が最も惨めだ。販売所の入り口からカワグチさんが顔をだしてニヤニヤしている。コノヤロウ、帰ったらその自慢のパンチパーマに除毛剤ぶっかけてやるからな。

隊長! 歌舞伎町突入を前にして、既に満身創痍であります。

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さあ、いよいよ歌舞伎町に乗り込むぞー。と、いきたいところだけど、ここらへんで新聞奨学生の一日を見て貰おうと思う。

- 午前3時00分
起床。まだ寝てる奴はサンペイさんにドアをガンガン叩かれようやく起きてくる。壁ドンならぬドアガンだ。この「サンペイ・マッチョ・ドア・アタック」を喰らうともれなく地獄にたたき落とされたような気分になれる。

- 午前3時10分~午前3時30分
新聞が印刷所から到着。(因みに新聞記事のタイムリミットは午前一時と協定で決まっている)折り込み広告を本紙に挟み、自転車に搭載する。用意のできた者から出発。

- 午前3時30分~午前6時30分
新聞を配達する。これでもかと言うほど配達する。歌舞伎町に限って言えば、最もドラマチックな時間帯。見てはいけないモノを見たり見てないふりをしたりする。

- 午前6時30分~午前7時00分
朝食(主に和食)。西の男じゃけえ納豆だけは勘弁してくんさい。ミクニさんはときどきオレ専用のトーストを用意してくれてた。 本当にありがとう。ワガママ言ってゴメンなさい。でも、パンに「ごはんですよ」はムリだった。

- 午前7時00分~午前8時20分
くつろぎのひととき。みんなで朝のワイドショーみながらツッコミ合戦。学校に行く人は着替えたりお洒落をしてみたり、それなりの準備をする。サボる場合は夕刊まで寝る。

- 午前9時00分~午後12時30分
学校。授業は大抵、午前中まで。 因みにオレは音楽ビジネス科のライター専攻である。講師は広告代理店の企画屋や編プロの社長、フリーライターなど。講師の時給は当時で2,000円。要は小遣い稼ぎって事だな。

-午後1時00分~午後3時30分
帰宅後、昼食。賄いはないので各自で用意。いかに安く済ませるかがポイントだが、何せ月給が七万弱なので、そもそも食べないことの方が多い(教材もたくさん買わなきゃいけないし、ほんと貧乏なんだぜ)。折り込み広告の当番は、翌日の広告の折り込みをする(機械を使って15枚ほどの広告を1つの折りにする。300部x10区域、合計3,000部の折り込みを二人でやるからしんどい)。真面目な人は課題などを仕上げたりする。バンドマンはこの時間帯が練習タイム。

-午後4時00分~午後6時30分
夕刊到着。用意のできた者から出発。朝刊に比べ、広告もないし本紙も薄いので楽。歌舞伎町に限って言えばとても平和な時間帯。キャバクラやおっパブのおじさんやサンドイッチマンは既に呼び込みを始めている。サウナや風俗店から石鹸の匂いがたちこめる。

-午後7時00分~
夕食。その後くつろぎタイム。学生にとってはここから寝るまでが唯一の自由時間。人生について友と語り合ったり、喧嘩が起きたりするのもこの時間帯だ。カワグチさんの説教タイムでもある。誰も聞いてないけど。

-午後10時00分~
ちょっと早いけど、次の日も配達があるので寝ます。

…が、

だらだらとテレビを見ている場合、惰性で起きてしまったりする。翌日、全員が「トゥナイト2」の内容を知っていたりする事もある。“せがわ きり”がオレらのアイドルだった時代だ。

以降、ほぼ無限ループ。因みに、日曜日と祝日は夕刊が休みな上、学校も休みなので、朝刊を配ってしまえばあとは寝るまで自由。学生はここぞとばかりに遊ぶ。力の限り遊ぶ。

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歌舞伎町24時、なんてテレビ番組を時々やるけれど テレビカメラが入れるだけ、アレなんかまだマシだ。 新聞配達初日、サンペイさんの後をついて 歌舞伎町を回ったオレはそう思った。

雑居ビルにチカチカとネオンが光る。そこに書かれているのは、中国語やハングルだ。飛び交う言葉も、それらしき言葉が多い。そして何故かみんな怒鳴っているように聞こえる。

むう、これはとんでもないところに来てしまった。

細い道路を黒塗りの高級外車が行き交う。ぶつけたら無事でいられる保証はない。サンペイさんは平気な顔して街を走り抜ける。しかし、オレは何度もバランスを崩して転び、その度に散らばる新聞を拾い集めた。

ホストクラブの前で転び、 風俗店の前で転び、 交番の前で転び、 キャバクラ嬢とおぼしき人に新聞拾ってもらったりしちゃって。いやあ、思ったより大変だ……。周囲の人達の視線は初心者を見るように生暖かいが、サンペイさんの視線はだんだん険しくなってきた。

「早くしないとミクニさんの御飯が冷めちゃうヨ!」

…そっちかい!だが、空腹の人を怒らせるのは怖い。ただでさえマッチョだし。それにしても、十九歳の青年が自転車で転ぶというのはナサケナイぞ。

途中でヤクザらしき人に声をかけられた。自転車に積んであるスポーツ紙を1部売ってくれ、とのこと。快くOKしたいところだが、ギリギリの数しか積んでいない。相手が相手だけに断るっていうのは結構勇気が要るもんだ。ところが、サンペイさん、

「ダメです。売りもんじゃないんでね!」

サンペイさん…。もっと空気読んだ断り文句あるでしょうが!ヤクザっぽい人は「フン」と言ったきりそのまま歩いていってしまったが、オレは気が気じゃない。サンペイさんのような屈強のマッチョマンならともかく、オレは昨日田舎から出てきたヒョーロクだまなんだよ。明日からはスポーツ紙を多めに持っていこうと思った。ええ、どうせチキンですよ。

午前八時半。ようやく販売所に戻ってきた。店には「まだ新聞が届いてないんだけど」という電話が 何件か掛かってきたらしい。ミクニさんが

「どうもスミマセン、まだ新人がやき、勘弁したってください」

と謝っていた。新聞は、朝ポストに取りに行った時必ず入っているものである。忘れたり遅れたりしちゃ絶対にダメなのだ。初日は反省だらけだった。新聞配達は甘くない。

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歌舞伎町の新聞配達が他の区域と違っているのは、何も「怖い人達が多い」事だけじゃない。 実務的な面だけ見ても、この地域はやはり特別だ。

普通、自転車で新聞を配達する場合、前かごから新聞を取りだし、そのまま家のポストに突っ込む。そしてまた少し自転車を進め、同様の動作を繰り返す。上手くやれば殆ど自転車から降りる事なく配達できる。自転車が重い分、乗り降りの動作だけでもかなりの体力を使うこの仕事は、いかに工夫を凝らして楽をするかがポイントになる。

中には新聞を放り投げてポストに入れる技をもつ手練もいた。しかしこの手法だと新聞がポストの外に顔を出すような格好となり、雨が降った時は新聞が濡れて苦情の嵐、ということになりかねない。まあ、この手練れというのはジュンジの事で、楽することにかけて奴の右に出る者はいなかった。もちろん、苦情の数でも奴の右に出る者は居なかった。

「ジュンジ~またあんたの区域から苦情がでちゅうが~!」

ミクニさん、いつもいつも怒ってた。ジュンジはジュンジで

「うるせえババア~!」

とか言い返してたしな。まあ、なんだかんだいってちゃんと届けに行くジュンジは偉いよ。オレなんか寝たふりしてそのままスルーしてたし…。

さて、歌舞伎町の話に戻ろう。この街にはまず、一軒家が無い。そこにあるのはマンションと雑居ビル群だ。 つまり前述の「自転車に乗りながらポストに突っ込む」という美技が見事に封印されてしまう。マンションの場合、自転車を止めてその建物の配達分だけをかかえ、エレベーターで一番上まで昇り、階段で下りながら配っていく。他の新聞屋の人や住人が先にエレベーターを使っている場合、 じっと待つ場合もあれば、階段を駆け上がることもある。

歌舞伎町の場合は殆どがこういった建物なので、隣接する四つか五つの物件の中心に自転車を止め、30部くらい抱えて走りながらまとめて配るというスタイルが早い。マンションを渡り歩く最後の方で「しまった、一部足りない」なんて事になったら泣きが入るので、やはり多めに持っていく。オレはこの為にメッセンジャーバッグを買った。新聞って重いんだよな。マジで。(因みにこのストリート・テクニックには弊害があり、自転車が長時間ガラ空きになるのでスポーツ紙をよく盗まれた)

更に歌舞伎町絡みの話をすると、これらのマンション、殆どが組関係の事務所とマンションヘルス、そして、ホストクラブやキャバクラの寮だ。その他には、法律事務所や個人病院、それに写真家の事務所などがある。詳しいことは知らないけれど、それぞれに需要があるんだろう。

因みに、この中で新聞を取っているのは殆ど組関係の事務所だが、それ以外の人がカタギかというと、どうやらそうでもないらしく、何の前触れもなく忽然と姿を消すことが何回かあった。また、夜逃げの場面に遭遇したりもした。何やらでっかい袋を数人で運び出すところを目撃したりしても、もちろん見て見ぬ振りだ。一方、表だって物騒な事件はあまりない。一つのマンションに多くの組事務所が混在している為、マンション内では揉め事を起こしてはいけないという暗黙のルールがあるらしい。ある意味、サンクチュアリだ。

こういったマンションのエレベーターでは、度々ヤクザの人と一緒になることが多い。あっちの人は新聞屋など相手にもしないが、見た目で学生だとわかった場合は

「兄ちゃん、学生か。ガンバレよ」

などと励まされる事もあった。これが普通の街なら「怖い人とかち合っちゃったなあ」で済むけれども、この街では日本語が通じるだけでホッとしたものだった。

そういえば昔、週間ヤングサンデーに掲載されていた「殺し屋イチ」というバイオレンス漫画の舞台。あれは確か「サンライズマンション歌舞伎町」という名前だったけれど、これは実在する某マンション名をもじったものだとすぐ気がついた。何せ、描写されている内部の構造がそっくりなのだ。いやーあんなところ、よく取材したもんだ、と感心したのを覚えている。

この物件、不動産屋の間でもヤクザマンションとして有名らしい。ごく僅かに普通の人も住んでいるようだが、とっても肝の据わった人だと思う。でも、ある意味すごく安全だ。因みに、十四階近くの非常階段から見る新宿副都心はこの世のものとは思えないほど見事な景色だ。

…ということで、そんなマンションの数々を渡り歩き、部屋番号を覚えて最短距離を考えるのが歌舞伎町の新聞配達。団地での新聞配達もたぶん、同じような感じだろう。違うのは、各部屋毎に防犯カメラがついてるぐらいかな。しかし、こんなのはまだ序の口だ。

次回、バイオレンス編。

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