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歌舞伎町ペーパー・ボーイ:1

フレッシュネス・バーガーの前を通るといつも思い出す事がある。

十九歳の頃、親友のジュンジと月イチで新宿六丁目のフレッシュネス・バーガーに行くのが貧乏だったオレ達のささやかな贅沢だった。

二十年以上も前の話だ。

偏差値40(正確には39)の高校に通っていたオレは、成績も出席日数もギリギリで、だけど不良という訳でもなく「何事にも全くやる気のない無気力な学生」だった。クラスメートにはゾクの奴もいたから、たまに集会に顔を出したりする事はあっても、先輩・後輩のシガラミがイヤでそういう場からは次第に足が遠のいた。

97年当時、不良=暴走族の時代は終わりに近づいていた。ゾクだった奴らは次第にチーマー・ギャングへと鞍替えし、西海岸のHip Hopを聴くようになったけれど、俺はそういうのも何か違うと思って距離をおいたままだった。

学校にはあまり寄り付かず、当時Fitzと呼ばれていた商業ビルに張り出されていたメンバー募集で入ったバンドでベースを弾いたりはしたものの、それは本気でプロを目指すには程遠い「やっていれば少しはモテるかも」という程度のシロモノだった。将来の展望はゼロと言ってもよかった。

唯一マジメにやっていたのは三年間働いた弁当屋でのアルバイトだ。この店は元コックがオーナー店長をしているだけあって惣菜も手作りだったから、料理も社会人としてのイロハも勉強できてありがたかった。

三年の秋、進路相談をする時期の話だ。担任のニシモリから

「正直、おまえに世話してやれるマトモな就職先はないなあ……。」

と真顔で言われた。ゾクだけど真面目にガソリンスタンドでバイトしてそのまま就職決めた奴とか実家の寿司屋継ぐ奴とか、バイタリティを生かして営業職に採用された奴なんかが居る中で、まさか自分だけが「無職」の危機に陥るとは思っていなかった。率直にヤバイと思った。

オレは自分の身の振り方をどうしようか悩んだ。マトモでない就職先ってなんなんだよって思ったりもしたけれど、まあ、なんとなく想像はついた。バイト先の店長は常々「行く所なかったら俺が世話してやる。そのうち支店を任せる」とまで言ってくれたが、生意気な俺は「弁当屋では終われない」と思っていた。

一方、親はどこでもいいから大学に進学して欲しかったようだ。父親は中卒の元船乗りだ。母親も短大卒でお世辞にもいい学校を出たとは言えない。それなりに苦労してきたから息子にはせめて、と思ったのかも知れない。

だが、その願いは届かなかった。なぜなら親父は年に一度会うか会わないかの存在だったからだ。オレにとって父親とは、時々ニュージーランドあたりから高いビーフジャーキー送ってくれるだけの存在だった。しかも、悪いことにその頃の親父は先物取引で多額の損失を出しており、俺の大学進学費用の使い込みまで発覚して、その希望は絶たれていた。

就職先もなければ大学進学もどうやら厳しい。さんざん悩んだ中でオレが選んだ道は、なんと「音楽でメシを食う」事だった。これを聞いた大人の誰もがオレの大決断にガックリ来た事だろう。オレが親なら三日間は寝込む。

まあ、ミュージシャンは無理だろうなって思ってた。でも、音楽を聴く事に関しては同世代の奴らより相当先んじていた自信があった。何故なら学校も行かずにMTVを見まくっていたから……。根拠はその一点のみだ。「詳しかったら裏方とか、業界の人間にはなれるんじゃねえかな?」ぐらいには思っていた。あと、単純に東京ってどんなものか憧れがあった。

もう一つ、卒業後は地元にいたくない理由があった。実はこの頃、恐い先輩とちょっとした事でモメていた。実家の前にタバコの吸い殻がたくさん捨ててあったり、夜中に電話が掛かってきたり、知らない奴から熱い視線を浴びたり、なんだか不穏な空気があって、そういう地元のヒエラルキーやシガラミを引きずったまま地元で暮らしていくのは正直言ってシンドイなと思っていた。流石にそんな事で親に迷惑を掛ける訳にはいかず、この話は今でも親にはしていない。

そんな訳で、オレは実にヒッソリと某音楽専門学校の願書を送った。そして、実にヒッソリと合格通知を受け取った。まあ、名前さえ書けて住所が間違ってなけりゃ受かるんだ。音楽の専門学校てのは。

さっそく雑誌みたいな分厚いパンフレットにくまなく目を通す。 当たり前だけど、良い事しか書いていない。学生はみんな笑顔だし、就職先も有名どころがズラリと並んでいる。オレの将来、これで一発逆転、なんとかなるんじゃないか。そして、資料に載っている学校指定の寮は小綺麗なワンルームマンションだ。オレは早くも室内のレイアウトを考えながら学生生活の事を考えていた。

ところが、現実はそんなに甘くなかった。

「そんなに行きたいなら自分で学費出して行きなさい」

親はオレが諦めると思ってハッタリをかましてみたのだろう。しかし、岡山脱出計画、そしてその先にある希望に満ちたオレの学生ライフをここで頓挫させるわけにはいかない。

「わかったよ。学費は自分でなんとかする」

勢いで言っちまった。これで後には引けなくなった。学費は年間で90万円を超える。入学費や雑費、それに、生活費、引っ越し費用。バイト料を貰ったそばから使い切るようなオレには、どう考えても無理だ。とりあえず学校に行き、優しくてカワイイからという理由でオレの全面的な支持を得ていた保健室のアイドル先生ミヨちゃんに相談してみた。

ミヨちゃんは呆れながらも、この哀れな子羊が進むべき道を優しく教えてくれた。

どうやら新聞奨学生という手があるらしい。朝夕、新聞配達して学費を稼ぎつつ、学校に通う。なんか大変そうだけど、それしか方法はないようだ。怠け者のオレはたじろいだ。でも、他に手はない。オレは腹を括った。

とりあえず、募集をしている新聞販売所を探してみた。 条件は学校の近く(高田馬場)である事ぐらい。 朝日、読売、産経、毎日、東京、日経の新聞社それぞれに店があるようだ。まあ新聞なんて読んだ事ないからどれでも良かったのだけれど、なんとなく朝日新聞にした。

配属先は学校の場所などを考慮した上で向こうが選定してくれる。できれば治安のいい所がいい。適度に都会でお洒落な所だと尚良し。渋谷とかどうかな。原宿とか……。寮はどんな感じなんだろう。できれば綺麗なところがいい。女の子が連れ込める程度の小綺麗さであればいいな。

しかし、時は二月の終わり。この時期は新聞奨学生の応募もあらかた終わっていて、キャンセル待ちを探すような状態だった。まあ、贅沢は言わないよ。どこでもいい。

ある日、自宅に電話が掛かってきた。

「キジマさんの受け入れ先、決まりました」
「どちらになりましたか?」
「新宿です」

新宿か。なんかごちゃごちゃしたイメージあるな。でも学校から近そうで便利だしいいか。 でも新宿ったって広いでしょ。どこなんだろう。

「あ、そうですか。それじゃヨロシクお願いします」

かくして、オレの東京行きが決定した。 月給六万八千円(寮費、食費込み)で 契約は二年。学校を卒業するまで世話になる予定だ。 書類によると、販売所は新宿七丁目にあるらしい。 田舎者のオレには、何のイメージも湧いてこない。はて…

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1998年3月23日の午後。オレは東京駅にいた。 夢にまで見た上京を達成したのである。しかし、期待よりは不安の方が大きかった。 ただ単に進学するための上京ならまだしも、オレには新聞配達という未知の労働が待っているのだ。

とりあえず、ここからどうしたらいいかわからないので販売店に電話を入れる事にした。現時点でのオレは、自分が住む街の最寄りの駅すら知らないド田舎者だ。

「はい、朝日新聞新宿店です」
「あの、今日からお世話になるキジマと申しますが…」
「あー、キジマさん。はいはい。あのねー、山手線で新大久保まで行ってくれますか?わかる?新宿の次の駅なんだけど」

なるほど、了解した。とにかく山手線に乗っていれば着くに違いない。山手線は知っている。緑色の電車でしょ?これは流石に間違えない。何も考えず上野・池袋方面に乗車。…やってしまった、遠回り。華やかな渋谷や原宿を見ずして(代わりに鄙びた日暮里や田端など眺めつつ)山手線は新大久保駅に吸い込まれていった。そして、下車。

「なんだか、ごちゃっとした街だなあ」

新宿の次に停まるはずの新大久保に、何故か一駅早くついてしまったオレは どうしてそうなったのか薄々感づきながらも、再び販売所に電話をした。

「あの、新大久保につきました」
「あーそうですか。ちょっと待ってて。車で迎えに行きます」

十分後。

「どうも、所長のカワグチです。君がキジマ君?」

声をかけてきたのは、小柄で小太り、 頭はパンチパーマ崩れみたいな冴えない感じのオヤジ。この人が所長……?こう言っちゃなんだけどイメージ通りだ!

「あ、どうも、はじめまして。キジマです」
「とりあえず、店に行こうか」

カワグチさんの車に乗り込み、大久保通りをひた走る。 道すがらハングル文字が目を引いた。ここはコリアンタウンか? まいったな、お洒落どころかアジアの下町じゃないか。オレの思い描いていた東京とはかけ離れた、無国籍の街並み。そして、そんな大久保通りを抜け、小さな住宅が密集する ひっそりとした住宅街まで来て車は止まった。

「ついたよ。ここがウチの販売所」

へえ、ここが新宿七丁目か。ドキドキしてきた。

「あー、君が最後の人か。コーヒー飲む?今、みんな夕刊配ってるから、後で紹介するよ」

販売所のドアを開けるなり出迎えてくれたのはジンナイさん。オレよりも五歳程年上で、どうやら音楽をやりながら専業として働いているらしい。なんと、オレが行く予定だった音楽学校の卒業生なんだそうだ。余談だが、ジンナイさんはストイックに音楽を続け、十年後にミキシング・ダブで本場UKからシングルのレコードを一枚切った。今もなお現役だ。

ジンナイさんは一時間程、この販売所にいる人達の話をしてくれた。オレが最後に来た人間だという事。奨学生は他に十人程いるという事。そして、その殆どが音楽系専門学校の学生で、 後は服飾系と早稲田の大学生が一人づつ居るという事。とにかく色んな話で盛り上がる。気が合いそうだ。

「キジマ君?やっと来たわね、最後の人が」

事務所の奥から一人の中年女性が声をかけてきた。キリっとしたハイファッションに身を包んだ綺麗な人だ。こう言っちゃなんだけど、新聞屋では場違いな感じがする。

それもそのはず、キョウコさんは西新宿にある広告代理店の社長令嬢で、この販売所のオーナーだという。通りで育ちがよさそうだ。 いつもは事務所の奥で経理などをしているそうだが本腰を入れて販売店の経営をやっている風でもなく、事務以外の運用はカワグチさんがやっているようだ。

キョウコさんも音楽が好きなようで、 ジンナイさんとデヴィッド・ボウイの話で盛り上がっていた。そういえば、ボロボロの店なのにBOSEのスピーカーがついてる。置物のように側で突っ立ているカワグチさんは、何の話かサッパリわからないと言った風だ。

「あらー、あんたがキジマ君がかー。ほっそい子やな、大丈夫かえー」

ダミ声の高知弁は賄いのミクニさん。元気のいい寮母って感じだ。年は六十過ぎぐらい。話によるとミクニさんの賄いは朝日の販売店内でも評判らしく、それだけでもここに配属されたのはラッキーだという話だ。店によっては飯が不味かったり、そもそも賄いすらない所もあるらしい。

暫くジンナイさん、キョウコさん、ミクニさん、オレの四人で雑談していた。みんな、いい人そうで良かった。カワグチさんは、ようやく会話に参加しようとしたが、他の三人はさっぱり取り合わない風だった。所長なのに扱いが酷い。

午後五時半、夕刊配達に出ていた学生が徐々に戻り始めた。
いよいよ初顔合わせだ。


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午後六時。

今年の奨学生が全員揃ったという事で、合同の歓迎会。イマドキ新聞配達しながら学生やってるなんてクソ真面目な根暗野郎ばかりだろうな、と思っていたオレだが、販売所の面々を見てその考えを改めた。

「どうなってんだこりゃ……」

目の前にいるのは、どうみても田舎ヤンキーの集まりだった。

金髪、金髪、金髪だらけ。いくら音楽系の学生が多いと言っても、これじゃあまるで家出少年の溜まり場だ。 よく考えてみたらここにいる殆どの人間は「親の反対を押し切った家出人」みたいなものなんだよな。 だいたい家が貧乏でも成績が優秀だったり素行が良かったりすれば自治体や企業から奨学金が貸与される訳で、それをわざわざ新聞配達で稼ごうとするような人には、それぞれ何らかのワケがあるに違いなかった。

それにしても、よく「音楽でメシを食おう」「ファッションデザイナーになろう」なんて思えたよな、コイツら。バカなのか、自信があるのか、ただ若いだけなのか。それとも全部か。

同じくバカで根拠のない自信に満ち溢れているオレは思った。

「これは、ナメられたらおしまいだな」

金髪の内訳はおおよそヴィジュアル系、パンク系、ヘビメタ系の三系統だ。どうやらラッパーはいない。 人は見た目で判断できないというが、そんなのは綺麗事だ。こいつら「新入り」の登場にどう見ても殺気立ってる。雰囲気は完全にアウェイ状態だ。中でもガタイのいい坊主頭の金髪が明らかにガンをくれている。

せっかく地元の恐い先輩から逃げてきたのに、ここでもそんな目に遭うのは勘弁だな……。いずれにせよ、オレとはやや趣味の傾向が違う連中だという事はわかった。しかし、こちらもナメられたら終わりだ。負けじと睨み返す。喧嘩になったら勝てそうもないが、ここでイモをひく訳にはいかない。

重い空気の中、奴が口を開いた。先手を取られた!?

「おめえよぉ、その耳、ピアス空けるの痛ぐねかったの?」

待っていたのは予想外のフレンドシップだった。しかも東北弁だ。 パンクスだった当時のオレは左耳にピアスを七個もぶら下げていた。本人によると軟骨部分を貫通させたピアスホールが「目を背けたくなるほど痛そうに見えた」らしい。とにかくこの金髪坊主は「痛そうな所にピアスをしている」というだけで オレに一目置いてしまったらしかった。何はともあれ結果オーライだ。

坊主頭の金髪はジュンジと言った。福島出身の元暴走族で、現バイカー。 グランジとハード・ロックとブランキー・ジェット・シティーが大好きで、ヴォーカリストとして本格レッスンを受けるために上京してきたとの事。因みに楽譜は読めないし、楽器は弾けないらしい。喧嘩のほうは小五から負けた事がないそうだ。

「だって、針で耳にブスって穴開けるんっしょ?軟骨って、あの焼き鳥に出てくるやつだっぺな。俺、ピアスなんて怖ぐてとてもあけらんねぇョ」

趣味は全く合いそうにないが、いい奴そうだ。オレはジュンジと仲良くなる事にした。

「あ、俺、彼女いんだ。すげえかわいくてよー」

そんな事は聞いてねえょ。

午後八時。歓迎会は和やかに終了した。他の連中とも仲良くなれたし、楽しくやれそうだ。なんだ、みんないい奴じゃないか。 今日のところは早めに休んで、明日は買い物にでも行ってくるかな。 そういえば、寮はどこにあるんだろう。荷物を置かなきゃ……。

がらんとした一階の事務所でカワグチさんに呼び出された。

「ウチの連中はみんなあんな感じなんだよ。どいつもこいつも頭マッキンキンにしやがって…」

いやあ、パンチパーマの人には言われたくないですよ、ダンナ。

「えーと、キジマ君ね…。えー、おい、キジマ!おまえもイヤリングなんかつけてチャラチャラしやがって、そんなんで新聞配れると思ってんのか!」

(イヤリング……)

「寮なんだけどね、“中二階”に空き部屋があるから、そこを使いなさい。途中で建て増した部屋だから狭いだろうけど我慢しろよ」

(ちょっと待て、建て増しって違法建築じゃ)

「で、明日から新聞配って貰うからね。サンペイ君の後ろについて配りなさい。朝三時には新聞が届くから、それまでには起きなさいよ」

え、明日からもう仕事なの!? まいったな、買い物行かなきゃ布団すらないよ。 でも、取りあえず部屋まで案内して貰おうか。手荷物とかあるし…。

中二階は事務所の外階段を半分のぼったところにあった。見たところ、洗濯機とトイレしかないように見える。一階と二階の間に無理矢理つくったとおぼしき足場的スペース。……どう見ても違法建築じゃん!地震来たら木っ端微塵になるぞ…。色んな意味で大丈夫なのか、この店は。で、部屋はどこ?

「ここがオマエの部屋。好きに使っていいぞ」

カワグチさんが開けたのはトイレのドアだった。

(俺の部屋はトイレかー!?)

トイレと思っていたのは小さな物置のような部屋。広さにして三畳をやや下回るぐらいだろうか。

――――――上京前夜

『寮はどんな感じなんだろう。できれば綺麗なところがいい。
女の子が連れ込める程度の小綺麗さであればいいんだけど…』 

オレの見通しが甘いのはいつもの事だけど、まさかこれほどとは思わなかった。違法建築の中二階で、洗濯機が壁の隣にあり、三畳ほどのスペースもなく、壁はベニヤ板のような薄さ。おまけに窓もない。トイレじゃなくて良かったけど、これは酷い。

気を取り直して室内にはいると大きな物音がした。隣にもう一人住んでいるらしい。

(こんなところに二部屋も作ったのかよ…)

物音は一つ上の先輩、フカツさんが携帯電話の充電器をコンセントに刺しむ音だった。

そんな音まで聞こえるなんて、さすが違法建築。後で聞いた話によると、静かな時は隣人の鼻息まで聞こえるらしい。仲の良い奴が隣同士になると、壁越しに会話して暇を潰すそうだ。いや~それも結構楽しいかもねっ…って、壁は目隠しにしかならんのかい!

…すげえな、これが社会の底辺ってやつか。

さて、そんな部屋でも取りあえずねぐらにはなる。布団がないのでカワグチさんに寝袋を借りて、取りあえず今日の所は寝る事にした。そして、お礼を言ってドアを閉めようとしたその時、カワグチさんが思いだしたように言った。

「あ、それから言い忘れたけど、君が配る区域、歌舞伎町だから」

「前の前の担当者、韓国人に刺されて死んじまったから気をつけな。あいつら、タチ悪いから。うへへへ」


――――――上京前夜
『できれば治安のいいところがいい。適度に町中で、
お洒落なところだと尚良し。渋谷とかどうかな。原宿とか…。
まあ、贅沢は言わないよ。どこでもいいよ』


突然ですが、明日から歌舞伎町で働く事になりました。

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フカツさん
寮の隣人で一つ先輩の寡黙なベーシスト。サザンオールスターズのようなバンドを理想とするメジャー指向の人で、現実主義者。穏やかな性格で人望あり。プロ契約の寸前で頓挫した事があるらしい。この新聞屋には珍しい地味目な人。

サンペイさん

学生ではなく、三十代前半の専業。かなり前にブレイクした芸人と同じ名字の人で、寮近くのボロアパートに住んでいる。筋肉オタクと言う事以外は謎だが、マッチョすぎてプールでは沈むため、泳げないらしい。いわゆる不良系ではないが、過去に色々あったらしく深く突っ込めない怖さがある


歌舞伎町ペーパー・ボーイ:2

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