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明日の見えぬ僕たち (後編)

photo by  - 紫苑 -

(↑) 前回からの続き。

自分を取り巻いた友人たちの、現在(いま)を、引き続き 書き綴らせて頂きたいと思います。



■中学からの、穏やかで心優しい友人: 「たかちー」

彼とは中学校に入学した際に、同じクラスメートとして友人になりました。
大人になっても、何かと一緒に出かけたり、写真や温泉などの趣味を共有していた友人です。

彼はとても大人しく穏やかですが、人にいじめられるようなことはなく、その可愛らしい見た目や雰囲気から、逆に、皆にマスコット的な存在として慕われていた。そんな印象です。

彼は自分と同じ高校を卒業した後、介護福祉系の専門学校へと進学。
地元の田舎から、電車で市内の学校へと通っていました。

その後、社会人になったあとは、親戚が経営する小さな福祉施設で、障害を抱えている子供たちのお世話をして、現在も働いています。

自分が知るなかで唯一、健全に、まっとうに道を踏み外さずに生きている人物だと感じます
倫理観や礼節、思い遣りを忘れない、なかなか「出来た」人物です

家庭環境と言えば、二人の妹は既に結婚し家を出ているため、現在は両親と祖母と同居し生活をしています。
自分やほかの友人たちとは打って変わって、両親との不和もなく、ひねくれずに真っ直ぐに育ったのだと、彼の振る舞いを見ていて そんな風に思います。

彼とは一年半くらい前に、
「キャンプ道具を購入したから、時間があれば今度一緒に行こう!」とLINEをしつつ約束をしたきり、なんだか知らぬ間に疎遠になってしまっている状態です
(嫌いになった、とかではないです)

彼は友人たちのなかで唯一、SNSを使っていて、フェイスブックやインスタグラム、Twitterなどを使いこなしています。
よせばいいのに、しばらく会っていない友人の近況を(こっそり)覗いてみると、
好きなアーティストのライブに行ったり、同じ中学校の知り合いと出掛けたり、職場の行事のキャンプやBBQなどの楽しそうな画像が盛りだくさん。

充実とは酷く対照的な自身の人生とを比べて、人知れず落ち込んだりもしました。。
決して友人がわるいわけではないけど、その喜びや楽しみのなかに、既に自分が含まれていないことが、ただ、淋しい。

自分が就労継続支援施設で職員として勤務していた時代は、同じ福祉の現場に携わる者として頻繁に意見交換をしたり、その都度 仕事の疲れを癒すために 共に温泉巡りをしていた時期があります。

彼は知的障害の子供たちを日頃お世話する仕事で、
自分は、精神障害を抱えている大人の方々を支援する分野のお仕事だったので。
仕事で上手くいかない事があって悩んだり、職場の人間関係の愚痴や不満さえも、彼にはその都度よく聞いて貰っていました。
決して相手の意見を否定せずに、相づちを打ってくれて、優しい気遣いの言葉をかけてくれる心根には、自分もどれほど支えて貰ったか分からないくらい。

自分が元気を取り戻して、本当の意味で前へと進めたのならば、そのときは、いつものように
「元気?」「どっか遊びに行かない?」と何事もなかったかのように 連絡を取りたいと思っています。



■中学校からの友人で、人材派遣の仕事をしていた: 「ヒデさん」

彼とは中学二年の頃に、同じクラスメートとして仲良くなりました。

上記の「たかちー」も同じクラスで、あの厨二の頃は、主に三人で学校生活を送っていたと記憶しています。
自分は中学校には通ってはいたけれど、相変わらずクラスの雰囲気に全然馴染めなかったので.
共に過ごしてくれる彼らの存在は、随分と心の支えになってくれていたと思います。

彼は現実主義者で、綺麗事の類いが嫌いな人間。やたらと老け顔も相まって、物事をはっきり言う性格だったので、とっつきにくいですが、そんな彼の姿が 自分にはとても大人びて見えていました。
彼の両親が" 離婚 "をしたのも、確かあの時期だったように記憶しています
父親と彼、母親と弟に別れて、「両親が離婚してしまった」という話しを、彼は苦笑いをしながら友人たちに話してくれました。

彼は自分と同じ高校に進学しましたが、校内でも建物が別れていた" 特進課 "の棟だったので、高校時代はあまり接する時間がなかった記憶があります。

自分が入部した弓道部へと興味を持ってくれて居たのか、その都度顔を出して、見学して(遊びに)来てくれていました。
結局、入部をすることはなかったですが、なぜか部室にはよく出入りしていたような……そんな不思議な思い出です。

彼は高校を卒業したあと、東京?だったか千葉?神奈川だったか?の大学へと進学。
その間、友人として会ったり連絡を取り合うことは一切なかったのですが
大学を卒業したあとは地元に帰省し、彼の父親が経営していた小さな人材派遣会社の窓口として、日々仕事に勤しんでいました。

その当時。
僕がブラック企業を転々とし過ぎたことで心を病み……半ば引きこもりのような生活をしていたときに、彼から久しぶりに連絡がありました

「お久しぶり。」
「いま、人材派遣の仕事をしてるんだけど。いい仕事紹介するから、働く気はないか?」と、わざわざ自宅まで会いに来てくれていたのでした。

「いまはそんな気になれない」
「例え仕事でも、友達と、上司と部下の関係にだけはなりたくはない」
「申し訳ないけど。ごめん……」と断り続けていましたが
彼はめげずに、まるで三國志の有名なお話し、" 三顧の礼 "のように、その都度自宅を訪れては、自分を説得しようと試みてくれていたのでした

あまりにもしつこく説得をしてくる彼に対して

「もう、ほっといてほしい……」と無気力に告げると
彼は悲しいような、なんとも言えない表情で
「分かった。また来るよ」と言って、帰っていったのでした……。
見送った際の、スーツを着こなしていた彼のその後ろ姿が、とても淋しそうだったことを覚えています。

それからしばらくしたあと。
共通の友人から話しを聞いて知ったのですが、彼が父親と経営していた小さな派遣会社は" 倒産 "してしまったそうです……。

あれほど熱心に自分を説得し、助力を求めていた理由が、後になってようやく分かったのでした
事実を知り、自分が助けてあげられなかった事を悔いつつも、どんな顔をして会いに行ったらいいのかもわからず……
それから、お互いに連絡を取り合うことは一切なくなってしまいました。。

友人づてに風の噂を聞きましたが
会社が倒産したあと、彼は東京へと上京し、新しく仕事を見つけ、大学時代に知り合いだった女性と結婚をし、家庭を築いて、今も都会で暮らしているそうです。
子供も授かったということで、彼が自分の人生を歩んでいることに少しだけ… 僕は心から安堵したのでした。

人材派遣会社をしていたときから、窓口や仲介役をしていた苦労もあれば、
彼も自分と同じように、職場に馴染めず、転職を数え切れないほど繰り返してきた経緯があります。

本当は、誰よりも「現実の厳しさ」というものを、知っていた人物だったのかも知れません。




■中学校からの友人、科学部の部長だった: 「キョウイチ」

彼とは中学校入学の頃に、同じクラスメートとして仲良くなりました。

彼は地元の人間ではなく、親の仕事の都合で、幼少期の頃に横浜からこちらへ引っ越してきた、物腰柔らかな都会的な雰囲気を纏う" シティボーイ "。
利発そうな顔立ちと容姿で、田舎の子たちとは違い、垢抜けている爽やかな印象です。

同じ小学校に通っていましたが、話したことはなく、存在は知っていましたが、関わったことは一切ありませんでした。

中学校で同じ「卓球部」へと入部した際に、先輩からの暴力が横行していた事と、そのせいで同じ部内でも内部派閥ができてしまっていたことで、彼も自分と同じように その状況を見ては、頭を悩ませていました……

そんな彼が思い付いた行動は
新たに部活を新設し、そこを自分たちの「居場所」にするといった名案を思い付いたのでした
卓球部に馴染めず、抵抗し、別の居場所を求めていた仲間たちと共に、すぐさま僕らは、その新しく立ち上げられた「科学部(自然観察部)」へと移籍したのでした。
そういう意味では、彼は悩める自分たちにとって" 救世主 "のような存在だったと思います。そして勿論、頼れる部長でもありました。

彼も上記の友人「ヒデさん」と特に仲が良く
彼と同じように、高校の特進課に進んだのでした。
高校の頃は、彼は勉学に励んで忙しそうにしていた事もあってか、学校内の休み時間に、自販機のジュースや購買のパンを買いに行った際に、少し顔を合わせる程度の付き合いだったと記憶しています。

地元の高校を卒業後、彼は東京?だったか どこかの都市部だったか?(またうろ覚え💧)の大学へと進学し、勉学やサークル活動に勤しんでいた。という話しを、後に再会した際に、彼自身の口から聞いたのでした。

彼は大学を卒業した後は、とある県の某市内の役所の職員となり、独り暮らしをしながら生計を立てていました。
お盆やGWなど、地元に帰省する際にはその都度連絡があり、自分が車をだしては ほかの友人たちを誘って遊びに出掛けていた楽しい日々を思い返します。

しかし、あるときを境にして、彼から帰省の連絡が来ることはなくなってしまいました……。

というのも、彼がとある事件(犯罪)を起こした事により、そのニュースが世間に広まってしまった事に関係しています。
友人として、詳細に書くことだけは避けたい気持ちがありますが……
彼の犯した過ちは 同時に、僕らの友情の繋がりの終わりを意味していたのだと思います。。

ニュースより先に、共通の知り合いからその話しを聞いたとき、僕は「彼からの連絡が来ない理由」を人知れず悟りました

ネットニュースを探し見つけて、驚きと同時に、酷く落胆した当時の事を思い返します。。

彼とは良い思い出しかなかったので、その事実を受け止めるには 暫く時間がかかりました。

彼がどう" 今 "を生きているのか、いまとなっては最早、それを知る術はありません。。




■やんちゃだったが、いちばんのリア充だった友人: 「和也」

彼とは小学校の低学年の頃に友達になりました。
小学校の頃はあくまでクラスメートといった関係でしたが、本格的な付き合いがあったのは確か、中学一年生の頃だったと記憶しています。

あの頃、自分は中学校入学当初から特定の人物のひとりから陰湿な" いじめ "を受けていて、人知れず悩んでいました
それを友人として、励ましたり、共感してくれながら共に傍に居続けてくれていたのが 彼でもあります。

彼はやんちゃで、何かと派手好きで、大人の世界に背伸びをして 興味津々だったという印象です。
中学校の傍が自宅で、両親や祖父母、そして弟や妹たちと暮らしていました。

彼とは中学時代によく、自転車で一緒に出掛けていた記憶があります。
自転車を改造しては、スプレー缶で自分流に色を塗ってはカスタムしていました
派手で目立つけどまるで気にしない彼。
とても大胆だな。そして 器用だな。と
感心した記憶があります

共通の友人の「たかちー」の家まで遊びに行くのには、結構な山あいの道のりと距離がありましたが
彼とほかの友人たちと自転車で遊びに通う他愛のない時間は、自分にとっては「宝物」のような思い出です
あの頃はみんな" ポケモン "にハマっていて、飽きることなくその話題で雑談をしたり、ゲーム機を皆で持ち寄って対戦したり、ポケモンを交換して遊んで過ごしていたように思います。

自分たちはどちらかと言うと
中学校でも高校でも「モテない陰キャのオタク」といった仲間内だったので
そのなかで、高校の頃には彼だけ、(みどりちゃんという名前の)可愛らしい" 彼女 "が出来て、皆に紹介をしては、その都度遊びに連れてきていた隠れリア充だったと思います。

彼とは別々の高校に進学をしてはいましたが、共通の友人「T氏」や「なべやん」、そして自分たちが通う高校の友人、「かとちゃ」「けんちゃん」たちと一緒に
放課後の帰り道には、町内の小さなゲーセンに集まって、アーケードの" 格ゲー(対戦格闘ゲーム) "で盛り上がって騒いだりしていました

また、学校が終わった後は何かと「T氏」の家に皆でぞろぞろとお邪魔をして、これまたプレステやセガサターンの対戦ゲームに、日が暮れるまで熱狂して明け暮れていたという
そんな時代でもありました。

今でもあのときの楽しかった思い出が、鮮やかに記憶に残っています。

中学校の頃からその付き合い方はずっと変わらず
授業の合間の休憩時間やお昼休み、そして放課後を共に過ごせる楽しい友人が彼でした。


彼は高校を卒業後、地元の会社に就職し、
自分も仕事の帰りに立ち寄ったコンビニで偶然再会をし、お互いの近況を報告し合ったことを思い返します。

それから顔を合わせることはありませんでしたが、
「最近 偶然会ったよ?」と共通の友人から、彼の現在の近況を聞いたのでした。
あれからずっと同じ会社で働き、知り合った彼女とお付き合いをして結婚し、
今では子供もいて、隣町で幸せに暮らしているそうです。

今となっては既に付き合いはないですが
今でも、そんな彼の幸せを 心から願っています。



自分と付き合いのあった、当時の友人たち。

あの頃、つらいときに支えて貰ったり
みんなと共に過ごした楽しかった時間を、いまだにふと……思い返したりします。

中学校・高校生時代は、個人的には自分にとってつらい時代でもあったので……
決して「戻りたい」とは思わないですが
それでも、楽しかった 良い思い出 もあったのだな……と
当時の記憶を振り返ってみて、あらためてそう感じます。 

あれから。

みんなそれぞれ、自分なりの生き方や人生を見つけて、悩んだり模索をしながら
それでも、" 今 (現在) "という時間を生きているのだと思います。

自分がつらいときだったり、不遇の人生を歩んでいるような気がしては、どうしても 
「自分はひとりだ」「孤独なんだ」と……
そう、思ってしまいます

ですが、大切な人たちの存在や楽しかった思い出を振り返り、彼らのことを思い出したとき
決して自分だけがつらい訳ではないのだ。と
彼らの存在が、今でも、
孤独を感じる自分の足元を、静かに照らし出してくれる……

" 今はひとり "でも、自分は決して孤独ではないのだな。と、教えてくれているような気がします。

お互いの存在というものを 心から理解し合うことが出来た
かけがえのない存在。そして思い出。

それらを決して忘れないように
あらためて、此処に書き綴らせて頂いた次第です。


拙い文章と表現で、目を通して下さる方々には申し訳なく思いますが、

この記事に興味を持ってくれて、こうして最後まで読んで下さった心ある方々に、あらためて 感謝を申し上げます。


- 紫苑 -











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