Shion.

現在の自分と、過去の回想録。

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現在の自分と、過去の回想録。

最近の記事

小さな訪問者。

両親と居間で夕飯を終え、なんとなくテレビを見ながら。入院して闘病をしている 叔父のことを考えつつ悶々としていた。 ふと…… 我が家のインターホンがピンポーンと鳴り、玄関越しに「こんばんはー」と子供の声がした。 「どうぞー」と迎え入れると、小学校低学年くらいの、知らない女の子がポツンと。 その女の子が 「◯◯さんのおうちは、おとなりで間違いないでしょうか?」と丁寧な言葉でこちらに尋ねると 「遊ぶ約束をして来たのですが、はじめて来たので、分からなくて……」と言う。 「間違

    • 2024, 4/19 (金)

      2024, 4/17 (水) 夕方。 ひとり暮らしの叔父の体調が急激に悪化し、地元の医院から隣の市内の総合病院へと、救急車で緊急搬送される。 手続きからようやく約6時間後に、入院が完了する。 病名は「肺がん」。 余命の宣告を受ける。 ( 家族の帰宅は夜中の0時過ぎ。) 4/18 (木) 昨晩担当した夜間の医師ではなく、日中の担当医から、あらためて家族への説明がある為、病院へと赴く。 帰宅後。 夜に担当医から連絡があり、明日の午前中に「 (緊急の意味での)面会

      • あの頃の自分が強かった理由

        もともと大人しい性格で、だれかを嫌な気持ちにさせたり、八つ当たりしながら生きること自体が自分のポリシーに反していたので そういうことだけは して来なかった そういうことに関してだけは、自分に胸を張れることだと 密かに自負しているんだ。 中学の頃の中途半端ないじめに遭った頃から そのころから、集団や社会や世の中に対して、" あきらめ "を抱くのがあまりにも早かったと思う、当時の自分。 幼少の頃から、父の癇癪持ちと、母親の理不尽なヒステリーに抑圧されて育った節があるから、反抗

        • ことしも桜が咲きました

          季節や自然ってすごいなと思う 毎年同じように、芽吹いて、花が咲いて そして、散っていって。 だけど、どれひとつとして 同じものはない。 規則正しい 生命のサイクルというか。 そのなかに 神秘性を感じます。 うちの実家の裏手に、ひときわ大きな桜の木があって、とてもきれいなんです。 自分は厨二病なんで、この木を 『ユグドラシル』……と心のなかで名付けて呼んでいます ((´・ω・`).。o○ 意味はぐぐっていただけると。 自分が産まれるずっと前からこの木はあって。 裏手から

        小さな訪問者。

          再会。記憶の扉

          テレビドラマを観ていて 登場人物たちがふたり、とてもロープの長いブランコに並んで座って 漕いではしゃいだり、大事な台詞を語り合うという、 そんなシーンがあった。 記憶。 もう どのくらい前の記憶なんだろう。 自分の人生にも、一瞬だったけど そんな思い出があったことを ふと……思い出していた 自分自身にいちばん驚いたこと、悲しかったことは その大切な記憶さえ、無意識下のなかではもう、記憶から忘れ去られようとしていた ということだった そういえば。と…… 自分の冴えない人

          再会。記憶の扉

          メンタルの病と、自身の劣等感。

          ゴールデンウィークを嫌いな人間が、ここにいます。わたしです。 テレビのニュースを見ても、ネットのタイムラインを見ても、ゴールデンウィークや連休中の時期というのは そこもかしこも陽気な雰囲気と賑やかさに溢れている。 自分はどうやら、その圧倒的な眩しさが苦手なようだ。 メンタルを病む以前は、それなりに楽しんでいたような気もするけど、自分がどんな風にGWや連休を過ごしていたのか、実はあまり、元気だったころの記憶というものを思い出すことができない。 Twitterのプロフィール

          メンタルの病と、自身の劣等感。

          東日本大震災の記憶。

          当時、自分は絶賛引きこもり中で そのときは鬱々とした廃人のような生活を送っていました。 3月11日のその日。 いつものように午後から、デスクトップパソコンでネット検索やスレッドを読みあさりながら、オンラインのラジオも同時に聴いていました。 3月ということもあって、天気は雪曇り。 外は冷たい風が吹いていたと思います ふと… 軽めの地震が来たので、 「お、地震か。」と思っていたのも束の間。 窓越しに見ていた空の天気に異変が…… 鬱々とした曇り空が突然、一気に快晴になっ

          東日本大震災の記憶。

          『真夏の心霊体験談。』

          小学校低学年くらいの頃。 夏休みに家族で旅行したときの話しです。 その日は観光を終え日も暮れて、道すがら 今晩泊まる宿を探していました。 細い山道の脇には渓流が流れていて、山林に囲まれていたこともあり 鬱蒼としていて、とても薄暗かった。 その頃は携帯やスマホもない時代だったの で、「泊まれる宿があったらそこにしよう」と父が車を走らせ しばらくして、とある一件の宿に到着しました。 夕方で、そろそろ日が暮れると言うのに 旅館の外観も、 ロビーも、客室の明かりも全部真っ暗

          『真夏の心霊体験談。』

          ~ 高校生時代 (後編) ~

          入学して最初の一年間が過ぎて そして、二年に上がる際にクラス替えが行われた。 この高校では特に部活に入るような決まりはなかったが、親友の勧めで興味本位から 『弓道部』 に入部することにした。 親友曰く 「就職活動の際にメリットになるから」。 最初の頃は、" 在席だけのサボり 《幽霊部員》 "を一年生の半分以上の間、ずっと決め込んでいたが あるとき 同級生の女子部員たちから 「話しがあるんだけど。」 と親友と自分とが 部室に呼び出されたことがあった。 部活の顧問、先

          ~ 高校生時代 (後編) ~

          最初で最後の彼女。 (前編)

          当時、パソコンとガラケーを使って、blogを書いていたことがあった。 何気ない自分の日常と、ガラケーで撮影した 何てことのない画像なんかを載せて、不定期でブログを書いていた時期があった。 拙い自分の日記を読んでくれる読者は ほぼ数える程しかいなかったが、そのなかで唯一、毎回コメントを書いてくれていた女性がいた。 その人こそが、 はじめての「彼女」だった。 何気ない書き込みと返事のやり取りから、ほんの少しずつ、お互いのことを知っていったのだと思う その時期は今のように

          最初で最後の彼女。 (前編)

          ~ 高校生時代 (前編) ~

          地元の高校に入学。 暗いトンネルのような中学時代を終えても、その先もまた、暗闇は続いたままだった。 中学時代は友達に恵まれていたが、進学と同時にそれぞれ、さらに散り散りになってしまった。 見知らぬ人ばかりの高校の教室。 さっそく仲良しグループを作ろうと躍起になり、みんな積極的に互いに話し掛け合っていた。 知り合いがいて" ほっ "っとした人もいれば、知らない人同士や気が合う者同士、探り探りに雑談している風景。 中学時代の苦い思い出を抱えたままではあったが、このままで

          ~ 高校生時代 (前編) ~

          中学の暗黒時代。(3年生編)

          ■前置き : 2年生の頃は割りと安定していて、話すエピソードがないので、こちらでは先に3年生の頃の話しを綴ります。 中学校 3年生。 思春期で多感な時期の少年少女たちは、背伸びをして、ファッションやアイドルや恋愛に興味を持つような、いわゆる「陽キャ」組と アニメやゲームを好み 自己主張が控えめなタイプの、俗に言う「陰キャ」のグループと 野球やサッカー、バスケなどスポーツに勤しむ ストイックな「体育会系」のように 大まかなカテゴリーに分かれていったような、そんな雰囲気が

          中学の暗黒時代。(3年生編)

          中学の暗黒時代。(1年生編)

          小学校の頃は、男女問わず好きなアニメやゲームの話しで純粋に盛り上がれていて、自然と仲良しの輪が広がり、気がついたらいつの間にかみんな友達になっているものだった。 休み時間、ノートに得意だったイラストを書いていると、それに気がついたクラスメートや友達が集まってきては、「上手だね!」「自分のノートにも書いて!」と言って貰えたことが、とても嬉しかった。 担任の先生も自分の才能を褒めてくれていて、自分が「将来は漫画家になりたい」と言うと、「じゃあ、なったらサイン頂戴ね」と、さわや

          中学の暗黒時代。(1年生編)

          Twitterという居場所。

          Twitter。 長年使い続けてきて、はや何年なのか。 もともとそれほど多くもないフォロワーさんと相互して繋がってみては、ネットの世界でも人間に酔ってしまって 結局リセット…の繰り返し。 もう何度それを繰り返してきたのかわからない。。 ネットの世界でも、現実の生活と同じように、本当にいろいろな人がいる。 Twitterはアイコンと簡単なプロフィール、そして呟きの内容から、そのユーザーがどんな人間なのか、ある程度は判断できる。 自分はいわゆる、『メンタルの病気を抱えな

          Twitterという居場所。

          専門学校の思い出。

          専門学校に通うため 地元を離れ、はじめてのひとり暮らし。 地方都市の 駅前の小さなアパートを借り、二年間の生活がスタートした。 年齢も経歴も異なるクラスメートたち、専門学校という未知の分野で二年間 学ぶという不安。 中学・高校と、クラスのなかでは うまく人付き合いができなかった苦い記憶を抱えたままの自分。 これまでと同様、たいして華やかな生活は送れまいと思っていた。 その頃の自分はまだまだ、冴えない高校生活の垢が抜け切らず、無口で、新調した黒縁メガネをかけていて、言葉を発

          専門学校の思い出。

          bad status (状態異常)

          自分の場合は中学校の頃から高校にかけて いじめを受けたり、ぼっちだった時期などもあり、既に当時から憂鬱さは全開だったけれども 本格的に病んだのは、専門学校を卒業してから友人の紹介で地元の工場で働きだして それから何年か経って、お世話になったその工場を半ば飛び出してからは、人生という名の登り坂を、一気に転がり落ちていった気がします 「いま働いている職場よりも、少しでもお給料が高く、人間関係が円満なところ… 」と藁をもすがる想いで高望みしているうちに 働いて→人間関係で躓いて

          bad status (状態異常)