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2024, 4/19 (金)



2024,  4/17 (水)

夕方。
ひとり暮らしの叔父の体調が急激に悪化し、地元の医院から隣の市内の総合病院へと、救急車で緊急搬送される。

手続きからようやく約6時間後に、入院が完了する。

病名は「肺がん」。
余命の宣告を受ける。
( 家族の帰宅は夜中の0時過ぎ。)



4/18 (木)

昨晩担当した夜間の医師ではなく、日中の担当医から、あらためて家族への説明がある為、病院へと赴く。

帰宅後。

夜に担当医から連絡があり、明日の午前中に「 (緊急の意味での)面会が可能 」とのこと。
あらためて予約をお願いする。

4/19 (金)

当日。担当医不在。

予約の通り午前中に病棟へと赴くが、担当の医師から看護師(ナースセンター)へと言伝てがされておらず… 
面会は午前中から、(通常営業の)午後の14時にやむ無く変更。

仕方なく時間を潰し 昼食を終え、改めて病棟へと赴く、病室にて叔父と面会。





【総合病院側の不手際について】


・面会予約の無効と、面会時間の強制変更。

17日に救急車で搬送された際、
『地元の医院→救急隊→総合病院の連携』で、『紹介状 / 保険証 / お薬手帳 』が間違いなく手渡された事を (地元の医院、家族、救急隊がそれぞれ) 確認済み。

19日。面会へと赴いた際と帰宅した際に、総合病院側から、「お薬手帳が見当たらないのですが。」と②度の連絡を受ける ← 入院してから2日の出来事。
こちらは、「間違いなく手渡してある筈です」と返答するも、病院側はいまいち納得していないような反応。

その後、「ありました!」とさらに報告と連絡を受ける。謝罪なし。


・患者が搬送された際に、受け入れ病院側が確認しなければいけない重要事項の見逃し。

・医師と看護師の連携、報告と連絡が全く行き届いていないという点。





病室にて、叔父さんと 久しぶりに顔を合わせてきたよ。

身体は思ったよりがっしりとしていて
見た目は少し元気がないくらいに見えたけど…

宣告された余命と肺がんに加え、弱ってしまった心臓、各々の臓器に溜まってしまった水?のせいで
医師の方曰く、
「これ以上、手の施しようがない。」
とのことでした。

投薬で痛みを抑えるくらいしかできない。と。

そして、
「この状態で生きていることが不思議なくらいだ」とも言っていました

意識はあって、ちゃんと意思の疎通も出来たけど
既に肺が真っ白な状態で、息をするのもようやく。
口は動かせるけど、かすれて声がまったく出せない状態だった
喉には呼吸用の管が差し込まれていた。

それでも、叔父さんの性格が分かるから
最低限の身振り手振りでも 何を言わんとしているのか、面会した両親や親戚のおじさんおばさんたちはよく分かっていて
叔父さんも投薬で本当につらい状態なのに、得意の冗談を言って 皆を笑わせてくれていました
なにかして欲しいことや、必要なものはあるか?を尋ねたら
かすれた声を振り絞るように
「栗饅頭が食べたい」と笑っていました

それが嬉しくもあり、悲しくもあった
おどけて見せた様子が些細な強がりだと 分かっていたから。。


本当のことを言うと……

正直まだ、僕も状況を整理できていないし
昨日の今日で、気持ちがまったくついて来ない……
まるで現実感が湧かない。。

僕なんかよりも、当人のほうが つらいだろうに
なにもしてあげることが できなかった


意識があって 病棟に担ぎ込まれただけ良かったのだと思うしかないけど…
本当の気持ちを言うと、こうなる前にもっと何か、自分たちにできることがあったんじゃないか。と……考えてしまうのです。。

父も同じようなことを 自嘲気味に呟いていました
やりきれない思いで、自分自身に 問いかけるように。

叔父の 不摂生で自堕落な性格と生活を、父は兄弟として、諌めなければいけない立ち場だったから。よく喧嘩してました
だいたい父が怒って、叔父さんがそれに対して、のらりくらりと冗談を言ってかわすような構図だった。


抗がん剤の効果がどれくらい効くのか
そして、身体に及ぼす影響も。。
いつ容態が悪化するのかも分からない状況……

感染症を防ぐため、面会時間もほんの僅かであったし、病棟の出入りもかなり厳しい状況

最早、自分たち家族や親戚にできることは、何かあったときに、いつでもすぐに駆けつけられるようにしておくことだけなんだと思います

叔父は生涯独身で、中年を差し掛かった頃から、生きる希望を失っていたから
 

せめて。
家族として、甥っ子として、それぐらいのことは。。



2024,   4/19   備忘録.

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