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明日の見えぬ僕たち (前編)

photo by  - 紫苑 -

 



自分だけが人生うまく行かず 
それなりに不幸で、満たされない生活を送っているのだ。と……
心に余裕のないときほど、まわりの良い部分、きらきらとした部分しか見えなくなって、それをまた比べては、自分自身を責めて悪循環に陥ってしまいます。

しかし、自分というものを客観的に見るためには、時には他者の存在も必要であると考えます。

その他者や、まわりのひとの人生や生活は、自分の目にはどう映るのか?。

冷静になって、まわりを見渡してみたとき
自分の人生だけが、うまくいかない訳ではないことを理解したり、自分だけがつらいわけではないことを あらためて知ることも、生きるうえでは重要な事だとも思うのです。

僕のまわりの友人たちは今、どんな風に、自分の人生を 生きているのか。
それを少し、自分の言葉と主観で書き綴りたいと思います。



■長年の間、親友だった存在: 「かとちゃ」

小学校入学と同時におなじクラスで、撮影された記念写真が偶然隣同士だった友達。
誕生日も、同じ月の前後1日違い。
それから約20年程の長い付き合いがありました。
そして、最初で最後の親友。

彼は同じ高校の商業課を卒業し、それから地元の印刷工場で働き始めました。
感性も趣味も似ていて、仲間内以外でも、頻繁にお互いの家を往き来しては何かと常に一緒に過ごしていた事もあってか、周囲の人たち曰く
「まるで本当の兄弟のようだ」と言われていたくらい、呆れるほど共に時間を過ごしました。

喜びは分かち合い、悲しみも共有することで僕らはお互いに友情という絆で、支え合っていたと思います。

あるとき、親友のお母さんが自動車の追突事故を起こしてしまった事がありました。
運悪く、追突した先の車は、どうやら職場の上司の車だったそうです
それが引き金になってしまったのかは分からないですが、そこから親友の家庭は
" おかしくなっていった "そうです……

残念なことに、親友のお母さんは事故を起こして迷惑を掛けてしまったことで情緒不安定になり 統合失調症を患ってしまい……それから仕事も辞めて、家に籠るようになってしまいました。
幻聴や幻覚の症状が現れていたのか、
親友は、「母親がなにかおかしな事を言ってる。」とぼやいていました。
一緒に遊びに出掛けている先で、親友の携帯に母親から電話が掛かってきて、何やら喧嘩(言い合い)をしているやり取りを、端から見かけてしまったことが何度かあります。

親友は元から親と一緒に同居はしていましたが、親友も元々両親との折り合いがそれほど良くはなかった為、彼の二人の妹たちと同じように 家を出る決意をし
" 離れて暮らす "選択をしたのでした。

彼自身もその頃、地元の工場で 同僚たちとの人間関係に悩んでおり
その会社も決して居心地の良いものではなかった為…… 勤めていた会社を辞め、自宅の荷物をまとめて、県内の海沿いの街へと、ある日を境に引っ越して行ったのでした。

海辺の小さなアパートを借り、その近辺にある水産加工会社に勤めて、新生活をなんとか頑張っているようでした。
はじめの頃は、当時の地元の友人たちと、親友のアパートを訪ねて遊びに赴いていましたが、いつの頃からか、皆で部屋を訪ねても居留守を使われしまって、それぞれが何度連絡をしてみても、音信不通にされてしまい……  
何かを察した僕たちは、それからはもう何年も、その親友とは顔を合わせていません。

思うところがあるとすれば、彼はいつの頃から" 風俗通い "に嵌まってしまい
顔を合わせるたびに、夜の世界で働く女性たちのことを卑下したり、それに対して暴言を吐いたり、下世話な話題をあえてこちらに振っては、段々醜悪な表情になってしまった
当時のことを、思い出したりします。
いま思えば、ストレスからかそのフラストレーションを払拭したいがために、『性依存』に陥ってしまったのかも知れません。

親友と決別をしたのは、それだけが理由ではなく
自分も、当時ブラック会社を転々としては情緒不安定に陥り、話しを聞いて貰いたいがために、親友を電話で呼んでしまって、長々とした愚痴や不満に付き合わせてしまったり
その都度気を遣わせて、親友という存在に寄りかかってしまっても居たのでした……

互いの不和を持ち寄り、結果的には、近過ぎた互いの存在が歪みや重みとなって
互いを遠ざけるように、知らず知らずのうちに疎遠になってしまったような感じです……。

あれだけ長い付き合いと信頼のあった親友との絆は、あまりにもあっけなく、くだらないことで簡単に、脆く崩れてしまったのだと思います……
最初の頃は喪失感に苛まれてしまってとてもつらかったのですが、日を追うごとに、彼がいない年数を増してゆくごとに、その悲しみは次第に薄れていったのでした

いまでもふと、親友のことを
「どうしているだろうか?」
「隣に居てくれたら……」と思い返すことがありますが、
惰性で友人としての付き合いを続けても、お互いにとってどのみち良くない結果をもたらしていたのだと思います。



■転校生だった、中学からの友人: 「T氏」

この友人とは、中学2年の頃に転入してきた" 転校生 "として出逢ったのを覚えています。
その付き合いも、親友と同じくらい
少なくとも、20年は一緒に居たと思います。

栃木県の田舎町から自分たちの住む町へと引っ越し、途中から転入をしてきて、同じクラスであった事と、実は家が近かったということもあってか、最初はぎこちなく登下校を共にしながらも いつの間にか意気投合し、" つるむ "ようになった感じです。

彼がこちらへと転入してきた理由。

それは、クラスの全員から無視をされる。という いじめによるものでした。
ある日 教室へ行くと、挨拶をしても冗談を言っても、誰からも相手にされず…… ひたすら無視を決め込まれてしまった。と彼は自嘲気味に話してくれたのを思い出します。

また、父親と母親の" 離婚問題 "もそのとき同時に起こっており、
彼の母親が他に男を作って、家庭を捨ててしまったような感じになっていた事も相まって、事実上の離婚と別居、彼と兄、そのお父さんは、自分の住む街(近所)へとやって来た。という感じです

彼曰く…… 
「母親は、家族に対してお金の無心をしたり、男に対してだらしがなかった。俺は母親だと思っていない」と…呟いていました。
普段あまり多くを語らない彼が、静かな怒りとともに呟いていたのを思いだします。

また、彼の父親もアルコール依存症で
家に遊びに行った際に顔を合わせて挨拶をしても、ふらふらとして 呂律が回らず…… 
家庭としての父親の役割を果たせていない様子でした。
お兄さんも口数の少ない人で真面目な方ではありますが、自分の意思とは無関係に こちらへ強制的に引っ越しをさせられてしまった理由から、築いていた栃木での人間関係を捨てさせられたという複雑な想いもあるせいか
それからというもの、同居していても兄弟間のコミュニケーションは一切なくなってしまった。……と、同じように話してくれていました。

彼らは父親の姉にあたる伯母の家に同居する形で暮らしてはいましたが、自分も遊びに行った際によくお世話になったそのおばさんも、闘病生活の末に最近亡くなり……
唯一、彼に世話を焼いてくれていた大切な存在がいなくなってしまったこともあってか、今は精神的に塞ぎ込んでしまっている様子です……

彼自身も長年の学校や職場でのストレスから双極性障害を患っており……
解体業者の土方として、会社に籍は置いたままですが、現在は半ば静養している状況。

というのも、仕事を終えて解体現場から会社の車で戻る際に、反対車線から突っ込んできた車と正面衝突(もらい事故)をしてしまい、片足が折れて救急車で搬送され、手術の末に長い入院生活を余儀なくされたことや
現場に復帰してもその都度、会社を休んでリハビリに赴いて時間を費やす必要があったこともあり、いまはとても気持ちが前に進めないのだと思います。

貰い事故だったので、相手の過失がすべてという事もあってか、慰謝料として思わぬ大金(1000万位。)を手にしたことにより、みるみるうちに金遣いが荒く、新しい車を買ったり、ギャンブルに注ぎ込んだり、まわりの人たちに対して傲慢さによる見下しが目立つようになってしまったこともあってか、
現在は、自分は距離を置いているような関係となってしまいました。
お互いに連絡先は消していないので、彼が自分の行いを見つめ直してくれたら、また会うこともあるのかも知れません。



■別の高校の、ゲーム好きな友達:  「なべやん」

彼とは上記の友人を通して知り合いました。
自分が高校二年生の頃だったと思います。

町内には2つの高校がありましたが、中学の頃に転校してきた友人は、自分とは別の高校へと進学しました。
その転校生の友人「T氏」がつるんで仲が良かったのが彼です。

明るく人なつこく、アニメやゲームが好きという共通の話題で自分とも意気投合したような感じです。
別々の高校ではありましたが、帰り道に合流をして、地元のゲーセンでみんなで騒いでいたような付き合いです。

彼も高校卒業後は、自動車部品の工場へと勤務していました。
上記の転校生の友人と共に、同じ会社へと入社した感じです。
実は、自分もこの二人と一緒に働いていた時期があります。
親会社のなかに併設されている 小さな下請け工場でしたが、親方がとても厳しくもあり面倒見の良い人物でもあったので、友人たちに紹介して貰い、自分も暫くお世話になっていた時代を思い返します。

ですが、その親方も病気で亡くなり、その息子さんが後を継いで会社経営を続けるも、不況の波で下請けになかなか仕事が回らなくなってしまった事もあってか、僕らがお世話になったその会社は、いまはもう存在しません。

自分は若気の至りで 半ばその会社を飛び出してしまい、それからは戻ることもなかった為、随分お世話になったその親方の葬儀にも、顔を出すことはありませんでした

人生のなかで後悔があるとしたら、恩を仇で返してしまった当時の若かりし自分の判断を、未だに悔やんだりします。。

友達の話しに戻りますが、
彼も自分と同じように、仕事を何度も転々としてきた紆余曲折があります。
明るく人なつこい印象ですが、それが職場の人間関係となると、また別なのかも知れない。
彼も同じように、同居している両親との関係がそれほど良くはなかった為、仕事を辞めては、誰にも何の相談もせずに独断で" 失踪 "を繰り返してしまった経緯があるのでした
自分も、彼の親父さんから何度か緊急で電話がかかってきて、その都度
「何かあったんですか?!」と驚かされた事があります。
先日亡くなった僕の叔父と、何か通ずるところがあります。

彼の母親は重めの鬱病を患い、元から足が悪いこともあってか、早々に家を出ていった彼の妹に代わり、買い物や病院の送迎など、なんだかんだ言いつつも親の面倒をよく見ている、とても親孝行な印象です。

彼の両親も、やはりひと世代昔の人間で、昔の価値観を大切にしていることもあり
働いて……仕事を辞めて……そしてまた働いて……を繰り返す一貫性のない息子に対して、仕方のない事だとは思いますが、語気が荒くなったり否定的な言動をかけては、親子喧嘩をしている場面を何度か見掛けたことがあります。

一時期はおじさんが経営するバッテリー製造の会社に、開発担当として雇われて働いていましたが、やはり父親と似ていて かなり厳しい言動をする伯父さんとも相性が良くなかったのか
身内の会社を飛び出して、いまは自宅から通える範囲の別の工場で派遣社員として、なんとかうまくやっているようです。



■家が魚屋だった友人: 「けんちゃん」


彼とは小学生の頃に同じクラスになったこともあれば、同じ美術部に入って親睦を深めていたこともある関係です。
あとから気付きましたが、少し遠い縁戚の従兄弟のような間柄。

彼はとても理屈ぽく皮肉屋で、同時にひょうきんな面もあったため、仲間内ではご意見番のような感じでした。

中学の頃に卓球部の出来事で揉めて、いちゃもんをつけてきた三人組の主犯が、実は彼だったりします。
小学校の頃、放課後の美術部が終わったあとは、一緒に下校するくらい仲が良かったんですけどね。

あの苦い出来事があったせいで、しばらくの間疎遠になっていましたが、中学三年の頃に、また偶然同じクラスになったことで、お互いの存在を意識しつつ、自然と寄りを戻した感じです。
場所が変われば生き方も派閥も変わる、という 苦い思い出を乗り越えた先にある、そんな信頼関係でした。

彼は高校を卒業したあと、仙台市内のIT関係の専門学校へと進学し、県内を出てひとり暮らしをしていましたが、専門学校を卒業すると同時に、地元へと戻って来ました。

それからすぐに、隣町にある工場に勤務しましたが、彼のひねた性格が災いしたのか、同僚の厳つい連中に目をつけれられてしまったようで、その理不尽な人間関係のあらましを、久しぶりに集まった友人たちとの飲み会の席で、クダを撒きながら吐露していました。
しかし幸いなことに、彼の上司(上役)が実の伯父さんだったこともあってか、その揉め事も、なんとか穏便に済んだようです。

それからほどなくして
町内で魚屋を営んでいた彼の親父さんがなくなった際に、自分も親類縁者ということで、お盆に彼の自宅へ挨拶に行ったのですが、残念ながら会えず……
また一緒に飲みにでも誘おうか。と、あらためて友人たちともそれぞれ電話やメールを送ってみるも繋がらず……
父親を失って 塞ぎ込んでいた彼の気持ちを、僕らは動かすことができなかったことで、それから疎遠になっていったことを思い返します

彼はそれから職場の同僚の女性と数年前に結婚し、地元に家を建てて、母親と祖母も含めてしばらく同居をしたものの……
性格の不一致だったのか、その同僚の女性とは、あれからすぐに離婚をしてしまったのだという話しを
親戚からの風の噂として知ったのでした。




明日の見えぬ僕たち (前編)

小学高・中学校、高校時代からの友人たち。
自分を取り巻いた
その友人たちの" いま(現在) " 。

勝手に自分たちのことを書かれていると
友人たちが知ったらきっと怒るでしょう。

だけどむしろ
この記事を見つけて、僕のことを殴りに来るでも、文句を言いに来るでも、
また元気な顔を見せてくれるのなら、自分はそれでもいいと思っています。

彼らとはもう何年も会ってはいません。

だから余計に
懐かしんだり、大切な人たちのことを、最近よく思い返すことが多くもなりました。

それが例えば喧嘩でもいいから……
また、くだらないやり取りを思い切りして、笑いあってみたいです。

彼らが、生きづらさを抱えていても
どうか…… 元気で" いま "を 生きていますように。





拙い文章を此処まで拝読してくださった方々、誠にありがとうございました。


人物紹介、
あらためて 後半へと続きます。



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