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ライティングでご飯を食べるようになって2年。やっと豊かになってきた|独立年記2023

小さい頃、よく折り紙で遊んでいた。

『かんたん!おりがみブック!』みたいな、1.5cm程は厚みのある折り紙のレシピが詰まった本を開いて、そこに描かれた花や動物を表現することに"憧れた"。

あくまでも"憧れていた"というのは、わたしは本の中で活き活きと芽吹く植物も、今にも動き出しそうな動物も、再現することができなかったからだ。

折り紙の基本は「やまおり」と「たにおり」を知るところからはじまる(と、わたしは思っている)。けれど当時のわたしには、やまおりと言われてもどちらに折れば良いのか分からなかったし、たにおりと言われてもーー(以下同文)。

今となっては、"山"のようにせり上げる折り方を「やまおり」、"谷"のようにヘコませる折り方が「たにおり」であることを理解しているけれど、当時のわたしは、さっぱり分からなくて。

そもそも"やま"が"山"であること、"たに"が"谷"であることすら分かっていなかったと思う。

「やまおり」なのか、「たにおり」なのか、どちらで折ればいいのか判断ができないまま、何度も何度も折り線をつけるうちに、折り紙は和紙のように皺が増えていって、いつしかわたしは折り紙を諦めてしまった。

フリーランスになって、2023年の9月で2歳を迎えるわけだけれど、この1年を振り返ってみて思うのは、選んだ仕事が、じぶんの気持ちが上り調子になる「やまおり」の仕事なのか、下降気味になる「たにおり」の仕事なのか、全く理解できないまま折り紙をくしゃくしゃに折ってきた、ということだ。

頭の中には理想のフリーランス像があるはずなのに、どうしてか再現することができなくて、あぁでもない、こうでもないと、あちらこちらに折り線をつけて、不格好な何かを作り上げる。

フリーランス2年目は、まるで幼い頃の折り紙遊びのような日々だったなと、いま振り返ると思う。

ここで、わたしが思う仕事における「やまおり」と「たにおり」を少し補足しておくと、こんな感じだ。

やまおり:人生を豊かにする実りある仕事
(価値観が合う人との仕事、仕事に見合う報酬、成果や価値が生み出される)

たにおり︰ストレスを抱えてしまう仕事
(価値観が合わない人との仕事、仕事に見合わない報酬、成果や価値が生み出されない)

目指しているのは、もちろん「やまおり」。もとより会社員時代に休職を経験したわたしにとって、仕事における一番の天敵はストレスといえるだろう。ストレスは食欲を失わせ、睡眠を妨げ、生きる気力さえも奪ってくる。

生きていくうえでお金は必要で、そのために働かなければならないけれど、だからと言って、じぶんを苦しめるような働きをする必要は絶対ない。

仕事は辛いもの、我慢すべきもの、休日明けの月曜は全国民が憂鬱に感じるもの……という風潮もあるけれど、わたしはせっかく生きているのだから、仕事すらも楽しんでやりたいと思う。

そもそも、辛い仕事を選んできたのは自分だ。だったらこれからは、自分を楽しませる仕事を選んでいけばいい。

フリーランスは自由だ。じぶんで仕事を決められる。やりたいと思うのならやればいいし、やりたくないのなら、やらなければいい。

フリーランスならきっと、自分を喜ばせる仕事ができるはずだ。ーーそう、思っていたのに。

自分にとっての良い仕事、を判断するためには「目利き」が必要になることを、わたしはまだ知らなかった。

目利きをするためには、まずは何が好きで、何が得意で、何が嫌いで、何が苦手なのか。どんな価値観を持っていて、どんな人と相性が良くて、どんな環境だとパフォーマンスが発揮されるのか。じぶんのことを知る必要がある。

知らないと、判断する基準が頭の中にないために「なんとなく」や「報酬が良いから」といった曖昧で盲目的な決断しかすることができないのだ。

フリーランスのわたしは一体何者なのか、その輪郭すら捉えられていなかったわたしは、この1年で何度も何度も「やまおり」と「たにおり」を間違えた。

「やまおりだ!」と思った仕事で、低報酬で自身を使い倒してしまったことがある。時給に換算したら3桁になるんじゃないかってくらい、自分の価値を低く見積もってしまった。そんな自分を変えようと、別の機会で夜帯の会議を断ると、熱意が足りないと怒られてしまったこともある。きちんと仕事を見極めなければ、と思うのに、話に乗せられて断れなくなって、やりたくない仕事を請けてしまい、辞めるまで毎日泣いていたこともあった。

なんて不器用なんだろうと、呆れる日々。どうして普通に働けないんだろうと何度も自分を叱咤した。ピンとした美しい色紙はいつの間にか、くしゃくしゃに皺がれて、形を成す力も次第に弱くなっていった。

一方で、仕事を請けてから「たにおりだったかもしれない」と心配していたら、想像以上に仕事が心にハマって、楽しめていることもあった。自分では大したことのない経験や知識だと思っていたことが、他の人からしたら「ぜひ」と手を取りたくなる魅力的なものらしく、心底驚いたこともある。

「ありがとう」という言葉や誰かの役に立っているという実感が、折り紙の皺を少しずつ伸ばしていった。

そうやって何度も折っては、皺を作り、時には伸ばしを繰り返していくうちに、だんだんと「こう折ったらいいんじゃない?」と、暗闇に灯る一点の光のように、折るべき筋が見えてくるようになった。

もしかして、もしかして、と折り筋をなぞっていくと、気がついたら喜びのある働きがついにカタチを成したのだ。まだ歪で、不格好で、頼りないけれど、それでも、だ。

つまるところ、これまで色んな仕事を請けて、さまざまな価値観や考え方を持つ方々と協業してきたことで、少しずつじぶんに合っている仕事や環境・価値観が見えてきたような気がするのだ。

これまで両手では足りない数の人たちと一緒に、お仕事をさせてもらってきたけれど、そのみなさんが居てくれたから、わたしはいまフリーランス3年目を迎えられている。これまで関わってきた方々と、今もなお関わりつづけている方々に、心の底から感謝の気持ちを伝えたい。素晴らしい機会と経験を、本当にありがとうございます。

幼きあの頃は、ついに折り紙を諦めてしまったけれど、今度は諦めなくて良かった。何度も何度もチャレンジして良かったと、すごく思う。

最近は専ら、広告制作やメディアの編集・校正校閲に関わることが増えている。くわえて自主運営するメディアの制作も楽しくて、やっと心地よく働けるようになってきた。今に感謝して、これからも楽しく頑張っていきたいなと思う。

そしてふと、何かの違和感に気づく。

日々に豊かさが生まれ、心に余裕ができたからだろうか。

フリーランス3年目を迎える今、「欲」が体の内側から滲み出してきているのを感じる。

1年目はとにかく収入を得ることに必死で、がむしゃらに仕事をしていた。

2年目は心地よく働きたいのにうまくいかなくて、ジタバタしながら仕事をしていた。

そして3年目を迎える今、一定の収入基盤が確立され、心地よい仕事と出会い、目利きの瞳も養われつつある。だからこそ、"本当はずっとやりたかった仕事"が心の奥で存在感を放ち始めたのだ。

忘れてない?
本当はやりたかったこと。
いつやるの?
ねえ、いつ挑戦するの?

トントントンと、1日に何度もわたしの心をノックして問いかけてくる。

開けてもいいのかな、と、誰に対してなのか分からない遠慮の気持ちにドアノブに伸びた指先が止まる。けれど、わたしは、わたしの喜びのために仕事を選びたい。その道中で、一緒に仕事を楽しめる仲間と出会えたり、誰かの役に立てたりしたら、とても嬉しい。

そんな仕事人生を歩んでいきたいのなら、きっとドアを開くべきだ。まずは自分から「楽しみ」のある方向へ飛び出していかなければ、その物語はきっと始まらないのだから。

わたしは、拳ほどもある大きなドアノブをギュッと両手で掴んでゆっくりとまわす。

長年、閉まっていたからか、少し錆びついていて重い。ギギギ、と音を立てながらドアを開けると、まっさらな空間が広がっていた。

新しい扉は開けた。

けれど、進むべき道はじぶんでつくらなければならない。誰も用意してなどくれない。新たに広がった世界へ一歩踏み出して、ゴールの旗を遠くに投げる。

めざすゴールにたどり着くためにはどうしたら良いのか、今日からまた試行錯誤しながらフリーランス人生を楽しんでいきたいと思う。

by セカイハルカ
画像:o4ne37さん かわいすぎる!

♡♡♡

▼フリーランス1年目の独立年期もあるよ!


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