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【6月】1報目 | 科学に興味を持ったきっかけ(みっつ)


こんばんは。みっつです。

理系に進み、大学院では博士課程を修了し、いまは会社で研究やその周辺のことを生業としている自分が、科学に興味を持ち始めたのはいつだったのか、どういうきっかけだったのかというのを振り返ってみようと思います

他の二人(じょー氏ゆー氏)が読み応えのある内容を書いてくれたので、プレッシャーを感じる一方、これならば自分は気楽に自由に書いてもいいかなと思いながら筆を執ってみます。なんか長くなりそう。

なにも考えず書き殴った後に、自分のいくつかの原体験に共通項が見えてきたら嬉しいです。


1. はじめに:いまの自分について

高校では物理と化学を選択して理系へ進み、そのまま大学・大学院では物質科学系の専攻で9年間過ごしました。

超分子化学、あるいは分子組織学という、分子がたくさん集まることで機能を示すような系の研究をしているラボに入り、光エネルギーの変換に関わるテーマに6年間携わりました。
よく光る液体を作るためには、分子がその中でどういう風に並んでいればいいのか、どういう分子設計をすれば目的の並べ方ができるのか、ということをそれなりに真剣に考えていたと思います。

いまは国内の企業で人の手に渡る商品をつくっています。加えて、兼ねてより興味のあったAIなどのデータサイエンス領域の研究にも携わりはじめ、日々悪戦苦闘しています。

ものを作る過程では、ビーカーやフラスコ内での物質の挙動を想像するために超分子化学的な視点が役に立つし、データサイエンスといえども扱うデータは物理化学現象の測定により記録されたものなので、自分のバックグラウンドと離れた領域ではあれど、在学時に学んだことは十分活かせていると感じています。
また、これまでと違う領域のテーマに対して自分の身に着けた方法論を適用し、必要に応じてアップデートしていく過程も刺激的で、楽しんでいます。

高校、大学、大学院、そして社会に出てからと、自分の考え方に影響を及ぼし、さらに導いてくれるような人や出来事、言葉とたくさん遭遇しましたが、これについては次回以降の企画に譲ります。

今回は、大学や文理の選択よりもさらに前、得意科目や進路などを意識する以前の体験を振り返ってみたいと思います。


2. 化学(Chemistry)を意識したきっかけについて

現在も深く関わっている化学というものを初めて意識したのはいつだったかと思い起こすと、自分の場合はたまたま手に取った一冊の書籍でした

今でもお守り代わりに手元に置いてある「図解雑学 有機化学のしくみ」という本です。

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小学校の高学年だったか中学校だったか、手元の本をひとしきり読み終えてしまったときに、父が居間に放置していたこの本を何気なく拝借し、読んでみたのが始まりだったと記憶しています。
(たしか口頭で借りる旨を伝えたと思いますが、まさか15年以上そのままになるとは露も思わず...)

途中から概念的な内容が増えて挫折してしまったのですが、理解できた部分の中でも強烈に覚えている項目は分子の命名法の項。
化学物質の名前を付けるときには「モノ」「ジ」「トリ」・・・とラテン語で数字をかぞえて行うという内容が、当時新鮮で面白く、心の中で何度も繰り返していました。

まだ学校でも習っていないような分子というものについて知識を得た。しかもその名前をつける法則まで知っている。ということにひどくワクワクしたことを覚えています。
いまの自分にとっては雑学程度のちょっとしたことですが、当時は誰も知らない世界の秘密、知の先端に自分だけが辿り着いたような気分だったのを覚えています。

それからは、理科の授業で近しい内容に触れるたびに「あの話は。そしてその続きはまだか」と心待ちにしている自分がいたように思います。

この本に出会わなければ、今の自分はおそらく存在しないと断言できます。
いま著者についてみてみると、齋藤勝裕 先生という方、光化学なども専門らしいです。

What a coincidence!


3. 科学(Science)を意識したきっかけについて

上記が、みっつ少年が 化学(バケガク, Chemistry) を初めて強く意識した出来事でした。

より広く、科学の領域に興味を示し始めたのはいつだったか考えてみたましが、これが唯一のきっかけだ!と特定の出来事をあげるのは難しかったですが、なかでも比較的よく覚えていることをひとつ取り上げます。

興味感心の移ろいやすい中、小学生の頃に顕微鏡にハマっていた時期がありました。
使っていたのはチャレンジ n 年生 (おそらくn =3~4くらい) の付録で送られてきたハンディタイプの顕微鏡で、 微生物を捕まえてきては眺めていました

実家は海に面した学区にあったのですが、少し有名な干潟があって、そういった場所にはいろんな生き物がいるらしいと知ってからは、自転車で出かけてはフィルムケースに土と水をサンプリングし「今日は何か見たことない珍しいヤツが取れてないか」とレンズを毎日覗き込んでいました

なにか逐一記録を取っていたのか、見えたものをどこまで特定していたのかなど詳細はもう記憶にないのですが、
うっすらと覚えているのは、何かの授業で模造紙にまとめて発表のようなことをしている光景。
もしかするとあれが初めてのポスター発表だったのかもしれない。


どういった心境でハマっていたのか。
・目に見えない世界をのぞくのが新鮮だったこと
 (試料を染色する試薬もついていて、その操作も楽しかった記憶がある)
・自分で見つけた「秘密の場所」に足を運んでサンプリングしていたこと
この二点は面白さに通じていたと推測します。

特に後者は大きかったと思います。たまに自分のリサーチフィールドに友人を招待するようなこともしていました。秘密の共有、これもまた醍醐味だったのかもしれないです。

数年前、帰省した時に足を運んでみたら、当時草をかき分けて干潟に入り込むために作ったトンネルがまだあったので「あぁ今も誰かがここを抜けて何かやってるんだな」と嬉しくなってつい写真を撮ってしまいました。
3時間ほどHDDの中を探してもそのファイルを見つけられなかったのが残念。別のPCに入っているかもしれない。
↓ここにその写真を載せたかった↓


他にも、月並みかもしれないがミョウバンの結晶を家で作ってみたり、近所の地層を見に行ったりしていた記憶があるので、それなりの頻度で科学に触れながら過ごしていた少年期だったのではないかと思います。
冊子の方は全く手を付けない進研ゼミも、取ってもらっていてよかったと思いました。


4. おわりに:この記事を書いてみて

思いつくままに書きましたが、
もしここまでたどり着いた方がいらっしゃったらありがとうございました。何かの気付きになったり、もしかすると懐かしい気持ちになったりした方がいると嬉しい限りです。

あえてまとめるのであれば、

・人知れず自分が観測できる範囲を広げて、それまで知らなかった世界も想像できるようになること
・誰にも見られるでもない秘密の精神生活に耽ること

これらに魅力を感じる人は、きっと科学や研究を楽しめるんじゃないかなと思いました。


今回思い出したようなことは、内容としては科学館に行ったり、本を読んだりすれば誰でも知れるようなものなのですが、夢中になって楽しんでいたあの頃の感覚は自分だけの大切なものだと思っています。
日々新しいものを知ったり発見したりして、それを自分だけが知っている秘密のように思える感覚

少年がのちに経験することになる研究生活では、目の前で起こることすべてが世界で自分(達)しか知らない新しいことばかりでした。そういう未知の現象に自らの知識と考察を武器に立ち向かうというのは、現場でのみ吸うことのできる甘い蜜だと思います。
この味は、初めて化学式を読めるようになったり、見たことのない微生物を見つけられたりしたときに感じていたワクワク感とほぼ同質なものだなぁと感じます。

最近は、こういう感覚をもっと色んな人に知ってもらいたいと思ってSciKaleidoの一員として活動していますが、それは果たしてただのエゴなのではないのだろうかと苦悶しながら過ごしています。



大学在学時に教授から「研究が思った通りにいかない時は、"お前はまだまだや" と自然に言われてるってことや」と言われたのを思い出しました。
最近は、それもそれで魅力的な体験である、と思えるようになってきました。

研究者は、こっそり自然と会話をすることができる数少ない職業なのかもしれない。



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