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佐藤太一郎のこれまでとこれから
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2020年12月の記事一覧

【あと一呼吸の勇気の代わり】

【あと一呼吸の勇気の代わり】

佐藤太一郎企画で、『風のピンチヒッター』という、弱小野球部の物語を上演したことがあります。
2時間走り続け、声を張り上げ、汗だくになって表現する、青春群像劇。

僕は新喜劇に入団する前、19〜27歳までランニングシアターダッシュという劇団に所属していました。

ランニングシアターダッシュは、スポーツを題材にした「泣ける!熱くなる!青春エンターテイメント」な作品を上演していました。
舞台セットをほと

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【時間と熱量と演劇】

【時間と熱量と演劇】

佐藤太一郎企画を続けてるうちに、少しずつ新喜劇座員としてだけでなく、一人の役者として興味を持ってくれる人が増えてきました。

そんな中、別の芸能事務所でマネージャーをしていた友人が、大阪NHKのドラマ関係者に僕を紹介してくれました。

それがキッカケで、NHKの方が佐藤太一郎企画を観に来て下さるようになり、NHKの朝ドラや時代劇などに、少しずつ呼んでいただけるようになりました。

自分の事務所のタ

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【ハッピーエンドは汗で買いな!】

【ハッピーエンドは汗で買いな!】

「ハッピーエンドは汗で買いな!」

これは西野亮廣さんの小説、『グッド・コマーシャル』に出てくる台詞です。
この台詞に、どれだけ勇気をもらったかわかりません。

初めて漫才師の西野さんではなく、西野亮廣という一人の作家の作品に触れた時、あまりの凄さ、いや凄まじさに、度肝を抜かれたのを覚えています。

そして、この『グッド・コマーシャル』という小説は、舞台脚本を小説化したものだと知り、舞台脚本も読ま

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【師匠との出会い】

【師匠との出会い】

僕は好きなことだけで生きていきたくて、リスクのある役者という道を選びました。
僕にとって、もっとも幸福感を感じるお金の稼ぎ方が、役者だったからです。

新喜劇も演劇も映画もドラマも、僕にとってはどれもやりたいことで、やりたいことをやらなければ、この道を選んだ意味がありません。

僕は応援してくれている人達に、好きなことだけで生きていける可能性を見せたいと思っています。

新喜劇の中で、役者のポジシ

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【おとんが死んだ日】

【おとんが死んだ日】

2012年9月23日。
僕は5UPよしもと(現漫才劇場)で、佐藤太一郎企画その4『Wedding Eve』を上演しました。
レディー・シュガー・佐藤というドラァグ・クイーンの恋物語。

そして、この日の昼間に、父が他界しました。
昼間も新喜劇に出演していましたが、3回公演のうち2回だけ出演して、病院へ駆けつけました。

延命措置をしてくれていて、僕の到着を待っていました。
僕が到着するのを確認する

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【一人旅】

【一人旅】

僕が一人旅をするようになったのは、おとんが癌になり、余命1年と宣告されたのがキッカケでした。

人は必ず死ぬ。
当たり前のことですが、それまではあまり実感がありませんでした。

しかし自分の父親が、1年後に死ぬと聞かされた時、人間の死、自分がいつか必ず死ぬということを、リアルに感じました。

おとんは仕事人間で、家族のために働いてきました。
子供の頃、おとんと一緒に遊びに行った記憶もあまりありませ

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【いつの日か輝くために】

【いつの日か輝くために】

新喜劇には、100人以上の座員がいます。
新喜劇に入団したからといって、すぐに芸人や役者の仕事だけで、食べていけるようになるわけではありません。

僕も27歳で新喜劇に入団しましたが、31歳になるまでは、父親の眼鏡屋で店長をしながら、新喜劇に出演していました。

新喜劇は毎週新作を上演しているので、毎週オーディションのような感じです。
今は、NGKと祇園花月の2館で新喜劇を上演していますが、僕が入

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【人と違うことをすれば笑われる】

【人と違うことをすれば笑われる】

佐藤太一郎企画その1は、劇団時代の先輩である岡部さんや上瀧さん、吉本の先輩である小籔さん、高井さん、ゴエさんなど、たくさんの方に支えられて、満員御礼で公演を終えることができました。

これで、新喜劇の中でも新しい道が切り拓けるのでは!?と、淡い期待もしていたのですが、たった一度の挑戦で、簡単に道が切り拓けるわけはありません。

王道ではない道を進もうとすれば、そこにはたくさんの茨も生えています。

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【初めての単独イベント】

【初めての単独イベント】

初めての単独イベント。
佐藤太一郎企画その1は、2010年6月11〜12日に、京橋花月で上演させてもらいました。

脚本は、僕が元々所属していた劇団で、女優兼作家をしていた岡部尚子さん。
現在は、劇団空晴で座長をしています。

出演は、小籔千豊さん、高井俊彦さん、上瀧昇一郎さん、浅越ゴエさん、佐藤太一郎の5人。
上瀧昇一郎さんは、ランニングシアターダッシュで看板俳優をしていた役者さんです。

劇団

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【覚悟】

【覚悟】

僕は、「笑って、感動して、元気になる芝居」が好きで、新喜劇に入団しました。
好きなことだけで生きていく。
そのために、この世界に飛び込みました。

新喜劇は野球と同じように、団体競技でありながら、競争でもあります。
スターティングラインナップの人数が決まっているように、キャスティングの人数も限りがあります。

吉本新喜劇は、お笑いの劇団です。
僕は専門的にお笑いの勉強をしてきたわけではありません。

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【カルチャーショック】

【カルチャーショック】

新喜劇に入団してからの日々は、カルチャーショックの連続でした。

①稽古期間
劇団の頃は1ヶ月以上稽古をして、芝居を作り上げていました。
ところが新喜劇の稽古は、前日の1日だけ。
読み合わせをして、立ち稽古をして、そのまま舞台稽古。
そして翌日には本番です。
しかも台本をもらえるのは、稽古の2日ほど前。
最初は台詞を覚えるだけで四苦八苦していましたが、覚えられなければ仕事が無くなるという状況に追い

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【最終審査】

【最終審査】

吉本新喜劇金の卵1個目オーディションの最終審査は、合宿でした。

合宿は、高槻の山奥にある旅館で行われました。
到着次第携帯電話は取り上げられ、外界とは完全に遮断されてしまいました。

旅館を入る時から審査が始まります。
最初の審査は、出ギャグ。
それぞれ、旅館を入る時にオリジナルのギャグを考えて、中に入っていきます。

合宿中は分刻みのスケジュールで、発声・ダンス・殺陣・マラソンなどのレッスンが

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【新喜劇オーディション】

【新喜劇オーディション】

金の卵1個目オーディションは、TV放送されるということもあり、かなり大々的に告知されていました。
応募総数は、500人を超えていたと思います。

まず一次は、書類審査。
不備がないよう気をつけながら、自分の経歴や芸歴を書き込み、プロフィール写真を同封して郵送しました。

続いて二次は、面接と特技披露。
正直、僕の中では一番緊張した審査でした。
周りはNSC出身者がズラリ。
映画やドラマのオーディシ

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【新しい道】

【新しい道】

劇団の解散が発表され、劇団員はそれぞれの想いを抱えながら、新しい道を模索し始めました。

僕は自分の原点を思い出し、吉本新喜劇に入団したいと思い、吉本興業に問い合わせました。

吉本からは、NSCに新喜劇コースがあるので、そちらを受けて下さいと言われました。
早速、NSCの資料を取り寄せたところ、まさかの壁にブチ当たります。

現在は年齢制限はないのですが、当時はNSCに入学できるのが、25歳まで

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