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【あと一呼吸の勇気の代わり】

佐藤太一郎企画で、『風のピンチヒッター』という、弱小野球部の物語を上演したことがあります。
2時間走り続け、声を張り上げ、汗だくになって表現する、青春群像劇。

僕は新喜劇に入団する前、19〜27歳までランニングシアターダッシュという劇団に所属していました。

ランニングシアターダッシュは、スポーツを題材にした「泣ける!熱くなる!青春エンターテイメント」な作品を上演していました。
舞台セットをほとんど使わず、ランニングマイムなどの役者の肉体表現と、照明のライティングによって、舞台上で野球やマラソンのシーンを表現する、スポ根劇団でした。

専門学校時代に、身体表現で何か周りより特化できるものはないかと思い、パントマイムの勉強をしていたことが、劇団では大いに役に立ちました。

そんなランニングシアターダッシュの代表作と呼ばれているのが、『風のピンチヒッター』『夏の魔球』『THE END』という三つの作品でした。

その中でも、『風のピンチヒッター』は僕が劇団に入団するキッカケになった作品で、19歳の時に新宿のシアターモリエールという小さな劇場で観ました。
終演後、しばらく立ち上がれなくなるほど感動したのを覚えています。

新喜劇は舞台セットがきちんと組まれていて、日常会話の中にギャグを織り込みながら物語が進行していきます。
しかしランニングシアターダッシュの作品は、舞台セットはほとんどなく、役者が舞台上を走り回り、熱量を前面に押し出して、汗と走る姿で想いを伝えていきます。

まさに真逆の表現方法でした。
でも、だからこそ、この作品を佐藤太一郎企画で上演したいと思いました。
新喜劇の中で、役者として特化するために。

この公演終わり、ロザンの菅さんがご飯に誘って下さいました。
それまでもお世話になっていましたが、それは大勢いてる後輩のうちの一人としてであり、正直プレイヤーとしては菅さんの視界には入っていなかったと思います。

そんな菅さんが、この作品を観た後に、「佐藤はいけるよ」と言って下さいました。
何気ない言葉だったかもしれませんが、僕にとっては本当に嬉しい一言でした。
初めて、プレイヤーとして認めてもらえたような気がしました。

それから菅さんは、お忙しい中、僕が出演している演劇はほとんど観に来て下さっています。
先輩がわざわざ時間を割いて、劇場まで足を運んで下さることが、どれほど嬉しいことか。
周りから笑われていた頃から、菅さんはずっと応援してくれています。
いろんなターニングポイントで、菅さんはいつもアドバイスを下さいます。

菅さんからいただいた言葉は、僕の支えになっていますし、選択の指針になっています。
菅さんのおかげで、自分がやりたいことを愚直にやり続けようと、より一層思えるようになりました。

「あと一呼吸の勇気の代わり」

『風のピンチヒッター』の中で、過去のトラウマで投げれなくなったエースの背中を押すために、チームメイトがかけた台詞です。
菅さんからいただいた言葉は、僕にとって"あと一呼吸の勇気の代わり"になっています。

つづく

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