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描写④汗に関する一考察 -実際的な女性店員-

 汗が止まらなかった。不快で粘着質な類の汗ではない。どちらかと言えば、嫌な記憶を洗い流すようなある意味では汚れを洗い流すシャワーのような汗だ。もちろん、汗はシャワーに流される側の存在であって、汗が流すことのできる汚れは修辞的な汚れだ。失恋の嫌な記憶、バイト先でのストレス、人間関係の軋轢。その種の汚れだ。今この瞬間に「体調が悪いのか」と聞かれたのなら間違いなく「快復途中だ」と応えるだろう。確かに、傍目には具合の悪いように見えるだろう。確かに滝のように汗をかいているのだから。だが具現化しているものが実態であるとは限らない。丁度、蜂の姿を持つスカシバガ科の昆虫が毒を持っていないのと同じように。もっとも、スカシバガ科の昆虫がその擬態によって具体的なメリットを享受しているのとは異なり、僕自身は大量の汗をかくことから得られるメリットはないわけだが。
 さて、僕が汗をかく理由は今果たしてあるのだろうか。暑くはない、緊張もしていない、体調不良もない。乏しいネットワークに当たってみる限りは該当する条件は何一つ満たしていない。或いは主観的に認知することができていないだけで、潜在的にはこれらの条件を満たしているのかもしれないわけだが。
 「どこか体調が悪いんですか」
 今度はシミュレーションではない。実際に聞かれた。
 「快復途中だ」とは当然言わなかった。間違いなく応えるとは言ったものの、それはあくまでプライベートな関係の内で交わされる会話に限る。カフェの店員に聞かれたのなら話は別だ。
 「いや、別に」
 「そうですか、滝のように汗をかいているものですから」
 「多汗症なんですよ」
 平然と嘯いた。
 「なるほど。私も多汗症なんですけど、上には上がいるんですね。あ、勿論好い意味ですよ」
 「ありがとう」
 多汗症が好意的ニュアンスを有していることが社会通念上妥当なのかは判らないが、彼女に悪意がないことを感じ取り、簡潔に礼を述べた。確かに彼女もそれなりに汗をかいていた。
 「好い意味って具体的にはどういう意味を持っているのか聞いてもいいかな」
 「え、だって汗は成功に直結しているじゃないですか」
 「どうして直結しているのかな」
 「何かを成し遂げた時、その成果のことを汗と涙の結晶っていうじゃないですか。あとは、その成果に至るまでの努力を“汗の滲むような努力”ともいうし。だから汗をかかない人に成功はないと思うんですよ」
 それを言うなら“血の滲むような努力”だと思うが確かに血が滲むシチュエーションよりもむしろ、汗が滲むシチュエーションの方が現実的で実際的であるのかもしれない。
 実際的な彼女の実際的な側面を垣間見つつ、注文を終えアイスティーを受け取り店を後にした。

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