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描写⑥恋と暴力の共通論理

 バットや戦争は暴力のメタファーとしてたびたび小説の中で用いられる。バットや戦争が象徴する暴力は直接的なものである。直接的な暴力に対して間接的な暴力は監視社会や差別、迫害をメタファーとする。北の国々で直接的な暴力が展開されているが、語弊を承知でいうのなら今主流の暴力は後者の間接的な暴力だ。
 直接的な暴力に対して間接的な暴力は複雑で可視化しづらい。したがって取り締まることが難しい。しかも、実体がないのにもかかわらず、刻む傷は深く、持続性も長い。この傷も間接的暴力と同様に実体がないため、他者の具体的協力を仰ぐことも難しい。
 間接的な暴力に対する具体的なアクションとして”リストカット“通称リスカがある。リスカは間接的な暴力に実体を持たせるという意味で合理的なリアクションである。心のうちに抱えるスティグマを具体的な身体的障害へと自らの力によって昇華させるのである。”可視化“という具体的目標があり、一見合理的に見えるものの、一般的にはリスカは忌むべきものと蔑まされている。それは、具体的に観測可能な状態にすることが”ナンセンス“と捉えられてしまうからだと考える。
 話が込み入ってきたところでたとえ話をしよう。あなたに恋人ができたとする。二人とも内心のうちではキスをしたいと思っていたとする。この場面において、特に男性側が「キスしてもいい?」と了承を得ようとすることは一般的にナンセンスである。ロマンスの世界においては具体的な形を持つこと、この場合でいえば言語化することはタブーなのである。
 同様の論理が暴力に対するリアクションの文脈においても蔓延っている。公然と泣くことやチクることも暴力に対するリアクションとして正当な反応ではあるが、リスカと同様に、暴力に実体を持たせることになるので、事なかれ主義の名のもとで断罪される。

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