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読書は、筆者と読者のコミュニケーションゲームだ

【読書は、“読者のもの”だ!】


私は昨年3月までの10年間、
偏差値70を超える都内難関私立中高で
延べ3000人の中高生と接してきました。

そして、
進学校の優秀な中高生の多くは

「読む」ことを
「対話」として楽しんでいると、先日の記事でお話ししました。

では、
”「読む」ことを「対話」として楽しむとはどういうことか?“


これが今日のテーマです。


「読む」と一言で言っても、

小説や新聞記事、コラム、エッセイ、評論文など、
様々な読み物がありますが、


いずれにしても、
そこにはまず筆者が設定したテーマがあり、


そのテーマについて、
筆者が考えていること、思っていること、
感じていることが書かれているもの
であることには変わりありません。


小説であっても、

筆者が普段考えていること、
感じていることがもとになって書かれているので、

そこに何らかのメッセージを
読み取ることは可能だと思います。


そして、
「読む」ということは本質的に
読者の自由に任されていると言えます。


そのことに気づくことで
読者は、初めて「読む自由」を
手に入れることができるのではないでしょうか。

つまり、
文章に書かれている内容、文章の構成などについて、
「感じる自由」と「考える自由」を手に入れるのです。

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