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自主映画を、撮る。その9

映画撮影、2日目。

前夜まさかの参加メン総出演大宴会となりまして、若干二日酔いのまま主宰作を立て続けに2作品撮る運びに。しかも即興ベースのコント仕立てと来たものですから、これはもう半分酔っ払いの遊びという以外なく。ぶっちゃけなるようになるプロット/脚本を組んでましたから全て結果オーライ、現場の温度感をそのまま閉じ込められたら御の字くらいの心持ち。

詳細は、稚作メイキング映像にて。

どこまで行っても「即興劇」ベースですから、とんでもない快作あるいは駄作となる可能性すら内包した演出プラン。なんちゅう泥舟、しかしそれに乗っかってくれた往年の映画部メンバーには感謝しかない。投稿時にはぼちぼち完成版(※ポシャっていなければ)がアップロードされている頃でしょうから、そろそろ作品性に迫る記事が出てきても良い頃合いかなと。

つまり従来の「メイキング談」から一歩踏み込んだ、本作のテーマ性やプロットについて具体的に言及すべきフェーズ。ズバリ本作の目標像は『クレしんパラダイス!メイド・イン・埼玉』、すなわち『クレヨンしんちゃん 爆発! 温泉わくわく大決戦』と同時上映されたオムニバス作品に着想を得た。某動画サイトでもその断片が観られますので、この機会に是非。

ある種「好き勝手モノづくりが出来た時代」の産物として。

そんな時代をリファレンスとして令和、敢えて自由奔放にやる気概でもって。撮影時の仮タイトルは『メイド・イン・甲山』、文字通りわかる人にしかわからない。うち主宰は2作品、前述のオムニバス形式の即興ベース1本と実話ベース1本で参戦。ただ蓋を開けてみれば、両作とも台本<演者個々人のパーソナリティで膨らませる作風。

全編コント仕立て。一発勝負、瑞々しい感性でもって各作を完結させる意識でもって。冗長な演技は要らない、限られた台本をもとに作品性に必要なカットのみを採用するある種ミニマルで無慈悲な撮影手法。主宰がここ数年で編み出した最適解、商業性とも大衆性とも無縁な第三のルート。それは突き詰めれば「演者主導で好き勝手やる」以外の何物でもなく。

主宰作×2の概観。

タイトルは『かぼちゃのパンケーキ』そして『大久保選手』の2作品です。『かぼちゃのパンケーキ』に関しては元々用意してあった脚本を急遽、本作のためにアレンジし主演の後輩くんと共にブラッシュアップ。喫茶店の常連さんとマスターが織り成す、絶妙に嚙み合わないエグみとシュールさを追求した即興ベースの会話劇が魅力の作品となっております。

他方『大久保選手』は先のTOKYO 2020サッカー日本代表をモチーフに制作された事実と虚構が入り混じる意欲作。なんと当時インタビュワーを務めたのは、我らが映画部の同期だったのでした。スケジュールの都合で惜しくも今回参加が叶いませんでしたので、彼への敬意も込めて。独自の社会風刺を交えつつ幕間映像的な尺でもって好き勝手やる、をコンセプトに。

『かぼちゃのパンケーキ』解説(1)

本作のキーワードを挙げると「コーヒー&シガレッツ」、「ラーメンズ」、あるいは「ポリコレ」ということになろうかと思います。言わずもがなJim Jarmusch不朽の名作をモチーフとして、白黒定点ベースの映像世界を展開。ボケとツッコミ役を棲み分ける意味で、ラーメンズのコント作品を参照した部分は非常に大きかった。

しかし近年「ポリコレ」的観点でもって特徴的なキャラクターを演じることが難しくなってきたきらいがある。そうした風潮へささやかに反発すべく、今回メガホンを取った。元来「芸事」とはそうしたキワドさやスレスレ感を楽しむものではなかったか、見えない社会風刺や語られぬメタファーに想像を膨らませるものではなかったか。

『かぼちゃのパンケーキ』解説(2)

無個性な日本社会、他方先のコロナ禍により浮き彫りとなった人間のエゴ。不謹慎厨、マスク警察、他府県ナンバー狩りに代表される過剰な同調圧力。その中でも今回「温厚そうな人ほどキレるとヤバい」論をつぶさに映像化し作品性に落とし込むよう努力したつもりです。くまのプーさんや、山田太郎ものがたりを下地としつつ主人公の化けの皮が剝がれる様を克明に記録。

当初用意していたオチを遥かに上回る衝撃の結末は、主演役の後輩がくれたアイデアです。「置きに行く」か「スカす」かの二択に固執していた主宰の石頭を、スコーンと打ち抜いてみせた。そもそも数あるパンケーキの中からなぜ「かぼちゃ」をチョイスしたかについては、語感が良かったから、以外に理由はなく。本当に、単なる思い付きからここまで話が膨らんだのです。

(次回へ続く)


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